●形状記憶されるアイデンティティ

 

NORIKOです。

 

最近、アメブロのオンラインレッスンを楽しんでいます。

興味のあるレッスンだけ~なのですが、60分~90分ほどのレッスンで。

楽しいけれど、意外とこの60分~90分のレッスンに集中する…ということが、難しくなっていることに気づきました。

 

 

学生のころは1コマ90分でしたよね。

若いってすばらしい。

 

 

で、ついつい

「昔のこと」が「今のこと」のように思い出されるわけですが。

最近、仕事をしていても、自分の親を見ていても。

 

そして、私達の年代であっても

 

「どの時点の記憶が鮮やかに残っているか」

が、鮮明になってくる。

 

 

自分としては、ちょっとした体験談や思い出であったとしても、年数としては2,30年たっているびっくり
 

誰かのきらびやかな思い出話も、もしかしたらそれくらい前のお話かもしれない。

武勇伝が、かれこれ30年前のことということも。

 

 

子どもの頃、親や祖父母の思い出話が、わりと苦痛だったことがあります。

今思えば、親や祖父母にとってはそれは「昔話」ではなく、「その記憶を持っている現在の自分」だったわけですよね。
 

思い出、体験談も含めて「アイデンティティ」なのです。そう思うと、御年輩の方々の「昔のはなし」にちゃんと、耳を傾けようって思ってしまいます。

 

日常的な雑談であれば、そうした昔話もときにはほのぼのとしたひとときになるでしょう。

 

 

ただ、仕事に関しては、そうした「過去の経験、技術、教え」が、足枷になる場合があります。

古い情報かもしれないし、アップデートされていない技術かもしれない。

 

だけど、それを教えてくれた人の、人となり、自分が得た感情や学びなどは変わらないわけです。

 

似たような教えが渋沢栄一の「論語と算盤」にもありますね。

 

「道徳は変わらない」「道徳をふまえてやり方を変えていく」

 

これは、いろんな場面であてはまることだなあって思っています。

 

占い技術において、メソッドはいろいろある。だけど、占い師さんそのもの、占いを教える人の「人柄」みたいなものは普遍。
そからもエッセンスを享受できれば、教えられる側も「善い占い師」になるのかな?と感じます。

 

 

「善い占い師さん」につけば、おのずと日常生活も整ってくる…。それは自分自身で考える力が身につけられる。

その「自分自身で考える」という「素地」の部分が共感できる占い師さんに出会えると良いですよね。

 

 

さて、タイトルの「形状記憶されるアイデンティティ」ですが。

 

過去に執着せず、「今」の自分を積み重ねよ

 

自分のアイデンティティがどこで固定されるか。

 

若かりし頃、あんなことした、こんなことした…という記憶で固定されると、老いていくほどに「遠い過去の自分がアイデンティティ」として固定されていく。それは、10年前だったものが、やがて50年前のもになるかもしれない。

もちろん、それでOKならば、それが自分のアイデンティティ。

しかし「過去の栄光」よりも、できるだけフレッシュな自分を認めてあげたいですよね。
 

私はできるだけ「今」を積み重ねていきたいと思っています。

過去に得た経験や体験、そして教訓。思い出に感謝しながら、今を生き、できるなら1秒でも未来のことを考えたい。

 

おばあちゃんになっても、今日の日を尊び、1秒さきの未来に想いを馳せる。

過ぎた過去はいつまでも自分のもとにあるものだから。

 

そんな日々であれば良いなと感じています。