《天孫降臨》
その二
分かれ道に立ちはだかり、
邇邇芸命(ニニギノミコト)の行き先を塞いでいる
怪しい神のところまでやって来た、
天宇受売命(アメノウズメノミコト)は、
その神に向かって
『これから天孫が 地上に降りられる通り道で、お前はいったい何をしているのか?』
と、問い正しました。
すると、
意外にもその神は、素直に答えたのです。
「はい、私はこの国(葦原の中つ国)の神で、猿田毘古神(サルタヒコノカミ)といいます。
天孫が降りて来られると知り、お仕えする為に、ここまでお迎えに参上致しました。」
それを聞いた 天宇受売命(アメノウズメノミコト) は、ほっと胸を撫で下ろし、
「なるほど、そういうことでしたか。
それならば、早速 天孫邇邇芸命(ニニギノミコト)を、地上までご案内して下さい。」
「はい、喜んでご案内致します。」
こうして、
猿田毘古神(サルタヒコノカミ)を先導にして、地上への道先案内を任せ、
邇邇芸命 一行は、出発されます。
お供を務めるのは、
・天児屋命(アメノコヤネノミコト)
・布刀玉命(フトダマノミコト)
・天宇受売命(アメノウズメノミコト)
・伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)
・玉祖命(タマノオヤノミコト)
以上の
※五伴緒(いつとものを)と呼ばれる
「天の岩屋戸」に登場した五柱の神々です。
このとき、天照太神は、
自身の御霊を
※ 三大神勅 と
※ 三種の神器 に
込めて、
邇邇芸命(ニニギノミコト)に授けられました。
天照太神は、
葦原の中つ国(日本)に
高天原を再現しようと、なされたのではないでしょうか。
邇邇芸命 を
※「真床追衾(まとこおふふすま)」
に、くるんで、日向の高千穂の峰に降させられ、
尚かつ、先の ※五伴緒(いつとものお)の神々に加えて
・思金神(オモイカネノカミ)
・手力男神(タヂカラオノカミ)
・天岩戸別神(アメノイワトワケノカミ)
の三神も、新たに 邇邇芸命 に随行させると、
思金神(オモイカネノカミ)に、こう申し付けられました。
「思金神 よ、そなたは、邇邇芸命 をよく補佐し、立派な政治を行う様にするのですよ。」
※邇邇芸命 と、思金神 は、伊勢神宮にお祭りされています。
さて、こうして 邇邇芸命 一行は、高天原を離れ、
八重にたなびく雲を押し分け、沢山の雲道を別け入って、
威風堂々と天の浮橋(あめのうきはし)に立つと、そこから下界を見下ろしました。
そして、筑紫(つくし=九州)の日向(ひゅうが=現在の宮崎県)の高千穂の峰、
久士布流多気(くじふるたけ)という霊山(れいざん)に降り立ったのでした。
※(宮崎県と鹿児島県の県境のある標高1574mの山)
そこには、
・天忍日命(アメノオシヒノミコト)
・天久米命(アマツクメノミコト)
の二神が、
・天の石靫を背負い、
・頭椎の太刀を帯び、
・天の波士弓を持ち、
・天の真鹿児矢を脇に挟み、
軍容粛々と凛々しく
邇邇芸命 御一行を出迎えに来ていました。
高千穂の峰に降り立った
邇邇芸命 は、
「朝日が直接射し、夕日が照り輝く、この地はとても良い地である。」と言って喜ばれました。
そうして、地底の岩に届くほど、宮柱を太く掘り立て、
高天の原に届くほど、垂木を高く上げて、
立派な宮殿をお造りになり、そこに鎮座されることになります。
これが、「肇國」我が国の始まりです。
神武天皇の即位より、
179万2千470余年前
の事と伝えられています。
読んで頂き、ありがとうございます。