どうも!
二十歳を過ぎた頃から、【善悪】【真実】
を追い求めて、色々な書籍を読み漁っていたclass俺です。
前記事もそうだけど、【言の葉ブログ】
から、引用してみた。
【卑怯者の見分け方】
卑怯者ってのはね、
きみが何をしたか、
ってことで決まるんじゃなくて、
きみが何を後悔してるかってことで
決まるんだよ。
マルチ作家・詩人である
寺山修司の言葉。
行動ではなく
何を悔いているかで決まる、と。
他者の行動を取り上げて云々することは容易い。
しかしそれだけでその人の人格の判断は出来ない。
その行動にどういう意図があったのか、
好き好んでやったか、
嫌々ながらやったのか、
少なくともそのくらいまで見えないと判断するきっかけがつかめない。
さらに行動に対して一体何を悔いたか。
「もっと得しておけばよかった」
「もっと良心に従えばよかった」
「他人に押しつければよかった」
「手を抜けばよかった」
「もっととことんやればよかった」
「やっぱりやるべきではなかった」
「やっちゃったんだから仕方がないだろう」
いろいろな悔い方があるだろうが、そこまでわかれば卑怯者かどうかの判断がつくというわけだ。
一番卑怯なのは、
「やったことは不可抗力だから仕方がない。
だからその結果には自分の責任はない」
と開き直ることだろうか?
いや、もっと卑怯なことがある。
「全く後悔をしない」ことだ。
どんな自分の行動も正しいと決めつけ
周りにもそう思わせるようにする。
自分だけは正しく、悪いのは他者という立ち位置を常に確保しようとする。
自分は絶対泥はかぶらず、常に手を汚さず身奇麗にする者こそ本物の卑怯者なのである。
そう考えると今の時代の真の卑怯者たちは一体どこの誰なのか・・・
もはや触れるまでもあるまい。
以上。
さて、class俺は明日昼には房総入りしてます!
今日の【言葉】
ひとを嫌うこと、ひとから嫌われることを人間失格のように恐れなくともいいのではないか。
「好き」が発散する芳香に酔っているばかりではなく、「嫌い」が放出する猛烈な悪臭も充分に味わうことができる人生ってすばらしいのではないか。
そう思います。
『ひとを<嫌う>ということ』
中島義道
おしまい。