アジング記事を期待された方すいません。
今後もこういう記事もUPしますが、興味のない方はスルーして下さい。
海猿的指南著者
【曽野綾子】さんの著書の紹介です
日本人は、戦争というと全面的に否定しますが、その存在を否定してはいけない。
戦争は悪だと思うのはいいけれど、悪は存在しているがゆえに学ばなくてはいけないのです。
たとえば嵐も洪水も学ばなくてはいけないし、貧困も病気も学ばなくてはいけない。
私達は全てのことから学べる。
悪からも善からも、実からも虚からも、おそらく学べる。
狭い見方が敵なのだと思います。
悪だからといって、その存在さえも否定してしまうと、私たちはそこから何一つ永遠に学ぶ事はできなくなる。
悪も善と同じくらい、存在を意識すべきものなんですね。
↑以上は
【何故日本人は成熟できないのか】
より抜粋。
続いて【悪の認識と死の教え】から抜粋↓
悪をはっきりと認識した時にのみ、私たちは人間の極限までの可能性として偉大な善を考える。
悪の陰影が無いということは、同時に幼児性を意味している。
私たちは、どれほどにも、成熟した人間にならなければならない。
それには、清流の中にしか身をおかないのではなく、濁流に揉まれる事であり、
自分の手はきれいだと思うことではなく、自分はいつもどろまみれであると思うことであり、
自分はいつも強いと自信を持つことではなく、
自分の弱さを確認できる勇気を持つことである。
私は子供に教える場合、人間の原型は卑怯者であり、利己主義者である。
ということを徹底させたいと願って来た。
そしてたとえば人を助けるということは、そのために払ったものの大きさによるのであって、
決してただ署名運動をしたり、デモに加わったり、わずかなお金を寄付したり、古着や米を持ち寄ったり、
死ぬ危険のないハンガーストライキをするような甘いものではない、ということを教えて来たつもりである。
現在、私達が自分はヒューマニスティックな人間だと思う時、
多くの場合、自分達がその認識によって、ほとんど失うものを持ってない。
ヒューマニズムを貫くために職を失う恐れもなく、家族が侮蔑を受けるということもなく、
特別な労働も必要なく、自分が惜しいと思うほどの金品の損失もなく、
ましてや心身に傷を負う心配もない。
そのような中でヒューマニズムを気取るなどというこは誰にでもできる。
その気恥ずかしさを修正するために、私は社会が声を揃えて『いい子の歌』を歌う時、
『ワルガキの歌』を歌っていたいとおもうのだが、それさえもほんとうは大して勇気のいることではないのである。
日本の教育に、必要なことは、人間は誰もがどのような悪もなし得ると同時に
どのような崇高な行動も取り得るという、その両極をはっきりと認識し、教えることである。
↑以上が抜粋です。
この著者、曽野綾子さんは
1931年生まれ
自分よりも40歳も年配の方
ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章等受賞等数々。
ヒューマニスティックな方に!
是非読んでもらいたい一冊です!
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