【悪は存在しているから学ばなくてはならない】 | 【Real.アジング~真実へ~】第5章

【Real.アジング~真実へ~】第5章

令和4年1月、50歳で陸上自衛隊を依願退職。釣りメーカー【MIZAR】を立ち上げ奮闘中!アジングの楽しさを伝えたい。ただ、意味のない過大表現や偽りでアングラーを煽って製品販売する気はない。真実を伝え、それでもなお楽しいのが本物の釣りの楽しさである。


アジング記事を期待された方すいません。

今後もこういう記事もUPしますが、興味のない方はスルーして下さい。



海猿的指南著者

【曽野綾子】さんの著書の紹介です


日本人は、戦争というと全面的に否定しますが、その存在を否定してはいけない。

戦争は悪だと思うのはいいけれど、悪は存在しているがゆえに学ばなくてはいけないのです。

たとえば嵐も洪水も学ばなくてはいけないし、貧困も病気も学ばなくてはいけない。

私達は全てのことから学べる。
悪からも善からも、実からも虚からも、おそらく学べる。

狭い見方が敵なのだと思います。

悪だからといって、その存在さえも否定してしまうと、私たちはそこから何一つ永遠に学ぶ事はできなくなる。

悪も善と同じくらい、存在を意識すべきものなんですね。

↑以上は

【何故日本人は成熟できないのか】
より抜粋。

続いて【悪の認識と死の教え】から抜粋↓



悪をはっきりと認識した時にのみ、私たちは人間の極限までの可能性として偉大な善を考える。

悪の陰影が無いということは、同時に幼児性を意味している。

私たちは、どれほどにも、成熟した人間にならなければならない。

それには、清流の中にしか身をおかないのではなく、濁流に揉まれる事であり、

自分の手はきれいだと思うことではなく、自分はいつもどろまみれであると思うことであり、

自分はいつも強いと自信を持つことではなく、

自分の弱さを確認できる勇気を持つことである。


私は子供に教える場合、人間の原型は卑怯者であり、利己主義者である。

ということを徹底させたいと願って来た。

そしてたとえば人を助けるということは、そのために払ったものの大きさによるのであって、

決してただ署名運動をしたり、デモに加わったり、わずかなお金を寄付したり、古着や米を持ち寄ったり、

死ぬ危険のないハンガーストライキをするような甘いものではない、ということを教えて来たつもりである。

現在、私達が自分はヒューマニスティックな人間だと思う時、

多くの場合、自分達がその認識によって、ほとんど失うものを持ってない。

ヒューマニズムを貫くために職を失う恐れもなく、家族が侮蔑を受けるということもなく、

特別な労働も必要なく、自分が惜しいと思うほどの金品の損失もなく、

ましてや心身に傷を負う心配もない。

そのような中でヒューマニズムを気取るなどというこは誰にでもできる。

その気恥ずかしさを修正するために、私は社会が声を揃えて『いい子の歌』を歌う時、

『ワルガキの歌』を歌っていたいとおもうのだが、それさえもほんとうは大して勇気のいることではないのである。

日本の教育に、必要なことは、人間は誰もがどのような悪もなし得ると同時に

どのような崇高な行動も取り得るという、その両極をはっきりと認識し、教えることである。


↑以上が抜粋です。


この著者、曽野綾子さんは

1931年生まれ

自分よりも40歳も年配の方

ローマ法王庁よりヴァチカン有功十字勲章等受賞等数々。


ヒューマニスティックな方に!

是非読んでもらいたい一冊です!





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