先日、NHKゆうどきネットワークの「あの時を忘れない」に出演させて頂きました。
なんと司会を務めています山本哲也アナウンサーは
中央大学の大先輩でもあります!
モニターを確認しながらスタンバイ中!
少しでもセットが崩れるとメイクさんが直してくれるんです。(笑)
実は私の前が東京ラーメンショーの番組でして・・・・・・・
今回は地元・新潟での取材でした。
「あの時を忘れない!」人生には、その人生をも変えてしまう転機があります。
私も過去を振り返ると「あの時があったから今がある・・・・・・・・。」
「たら・れば」なのかもしれませんが、そう思える事の出来るターニングポイントがいくつかあります。
その中で、今回はアテネ五輪があった2004年の出来事。
金メダルを期待されていた私は、オリンピック日本代表選手にも選ばれる事も無く落選。
アテネオリンピックへの切符を手にする事は出来ませんでした。
水泳をやっていた自分に後悔し、自分の存在すら嫌になり、地元に帰る事も出来ず、毎日自分が何をしているのかわからない生きている心地もしない生活。
それから半年、色々な事に悩み、それでも「もう1度泳ごう」と決心し練習を再開した矢先に中越大地震。
車の中での生活。
私にとって2004年は最悪の年でもあり、しかし、あの時の出来事があったから、今の自分がいる。
12歳(小学校6年生)から27歳まで、私を育ててくれた竹村先生 。
ある意味、家族よりも長い時間を共にしました。
小さい頃は、よく怒鳴られ、よく叩かれ、物が飛んできたりも・・・・・。
その度にゴーグルに涙を溜め、泣いている自分を隠すかのように、必死に泳いでいた時もありました。
しかし、私も自分の意見を言える様になり、そこでお互いが言い合い。
でも、最後は私の我ままを受け入れてくれる・・・・・・。
そんな竹村先生ですが、2004年の現役復帰に対して反対をしていました。
もし、あの時 水泳を辞めていたら今の自分はいなかったでしょう。
プールを見るだけで心が痛くなり、水泳と関わる事を自分から避けてしまっていたかもしれません。
選手を引退し、もうすぐで4年。
この4年間で、自分にとって「水泳」と言うものがあったお陰で、本当に多くの人との出会を頂きました。
あの時がなかったら、この出会いもなかったでしょうね。
今回、大変お世話になりました安田さん!
★おまけ★
そう言えば・・・・・・!
「なら、あの時はスゲ~嬉しかったんですね!」と言う安田さんの質問に「はい、スゲ~!嬉しかったですよ!」と答えた私。
そしたら、そこだけ抜かれてました。
「スゲー」って言葉は、テレビ的にはNGワードですよね。
お恥ずかしい。