まだまだ日本の暑さは尋常ではないようですね。
ここパリもものすごい暑さです。
私の8月のパリの印象は、お天気が良くなく、比較的気温も低め。
それこそ5年前、次女を出産したのは8月のパリで、肌寒かったのを良く覚えています。
今週のパリはきっと1年で一番人が少ない・・・住人達はみんなヴァカンスに出かけてしまい、お店も多くが閉まっています。
通りの路上パーキングもこの時期だけはスペースが有り余っている。
私はこの時期の静かなパリが大好きです。
子供たちは大喜びでソントル ド ロワジール(日本の学童保育のようなもの)に行っていて、その間に私は家の片づけや仕事をしています。
この写真は子供たちのお迎えに行くところ・・・


彼が録画しておいてくれた“HIROSHIMA”というドキュメンタリーを子供たちと一緒に観ました。
戦後70年・・・でも私は戦後24年に生まれたのだと思うと、あの痛ましい戦争は実は私が生まれる少し前のことだったのだと思うのです。父も母も戦時中に生まれています。
日本とアメリカで取材されたこの番組。ナレーションはフランス語です。
映像やインタビューは、あらためて戦争が人災であることを痛切に感じさせるものでした。
「今まで誰にも言うことがなかった・・でも今、あえて言います。
8月6日の後、人は人ではなくなった。人は人の心を持たなくなった。なぜ、自分が今、こうして生きていられるのか?どうやって生き延びたのか?・・・・・」広島で被爆したある男性の言葉です。
突然、親や家族を失った子供たち。空腹を満たすためにあらゆることをした。
言葉に尽くせない様々な体験。沢山の痛み、悲しみとともに生きてきた方たちの口から語られる70年前の戦争。
生きるために必死だったとき、アメリカでは“きのこ雲”の形をしたケーキを囲んで、パーティーが行われ、テレビ番組では“原子爆弾”と言う言葉を使ったジョークで観衆が笑っていた。
そんな当時の映像を見ながら感じたのは、誰もが思うことと一緒。
「こんなことは絶対に繰り返してはならない」

何度も涙した言葉があります。
平和運動の母と言われた、中村文子さん。2013年に99歳で亡くなられました。
“それほどまでに戦さがしたい男たちよ
子を産んでみよ
死ねといえるか“

私は絶対にいやです。どんなことがあっても守ります。
自分の子供だけでなく、すべての子供を全力で守りたい。
どうしたらいい?
何ができる?

何でもない平穏な毎日に感謝するだけです。