映画で語る心理学&西の魔女が死んだ | 中村だいすけの歌う心理学

中村だいすけの歌う心理学

臨床心理士&シンガーソングライターをしています。心理学&音楽活動日記です♪

7月に入りましたね!

1日金曜はついに「中村だいすけの映画で語る心理学」の初回放送でした!(ラヂオきしわだ第一金曜20時半~21時)

カウンセリングは自分の物語を語ります。映画は登場人物の心の葛藤や成長が語られていて、物語をモデルケースとして観察がしやすく、また一人で部屋で視聴することができて、比較的負担も少ないため、今回映画から心理学を考えるという番組をすることになりました!
皆さんのきっかけや勇気がでるような作品を紹介できればと思います。



初回で紹介した作品は「西の魔女が死んだ」という作品です。
以下にラジオでも紹介した内容を記載しています。テーマを考察していく性質上内容についても言及しています。
また、再放送が本日月曜の深夜24時半~25時でラヂオきしわだであります。
ラヂオきしわだのHPからか、ラジオアプリなどを利用してお聞きください!



「西の魔女が死んだ」

この作品は中学一年生の不登校になっている女の子“まい”が、山で暮らす“おばあちゃん”の家に住み込み魔女になるための修行を通して成長していく物語です。

児童文学小説として有名で読書感想文などのテーマにもなったりしています。映画の方も文部科学省特別選定、青少年映画審議会、厚生労働省社会保障審議会と子どもたちにお勧めの映画となっています。今回は子育てに視点を当てて考察しているため保護者の方にもお勧めだと思います。

魔女といえば何が浮かぶでしょうか。ほうきに乗って空を飛んだり、不思議な力を使って物を飛ばすような練習を子どもの頃にしたことも懐かしまれます。

この作品で登場する魔法は日常の中に起こる体験で、それをおばあちゃんは魔女の力として表現しています。

そんなこの作品の考察ポイントをいくつか絞って考えていきたいと思います。



・まいの不登校について
主人公のまいは児童期から青年期に入る頃で、いわゆる思春期と呼ばれる時期に入っています。まっすぐ生きようとするが故に自分の関わり方を模索し、周囲に同調することに違和感を感じて孤立してしまいます。両親は共働きで接する時間は少なかったことや、クールな考え方をしており、受け止めてもらう時間は少なかったことが考えられます。もしかすると何か熱中する道筋も教えてもらえてなかったかもしれません。
 自分の不安や葛藤を受け止めてもらったり、ある程度の進むべき方向を教えてもらうことは大切なことです。母親はおばあちゃんの子どもであるため、作品の中にもでてくる魔女の直感が養われていて、おばあちゃんが力になってくれるということを感じて預けることになったのかもしれません。



・この作品に登場する魔女は何か
おばあちゃんは魔女をどのように考えていたか、本当のところはわかりませんが、まいに対しては熱心に魔女修行の試練を与えていきます。

 魔女の家系であることを語り、自分たちには力があるということを意識させていきます。ファンタジーの世界に寄り添っていけるおばあちゃんの人柄も魅力の一つです。

 魔女修行は規則正しい生活習慣、時間をかけて努力していくこと、主観的な思い込みにとらわれないこと、自分で決めていくこと、アンテナの張り方などを教えていきます。つまり、生きていく方向性を養うように道筋を作っていきます。



・おばあちゃんの子育て
おばあちゃんは、よく褒めます。「力持ちですね」「センスがありますね」などさりげなく褒めます。褒められれば自分の存在を認めてくているため、絆や信頼ができます。さらに自己肯定感が強化されます。下地ができているため、まいはおばあちゃんを信頼して試練も乗り越えようと応じていきます。

 ある時期、転校するかそのまま学校に戻るかまいが迷う時期が訪れます。そんなときおばあちゃんは「サボテンは水の中で育つ必要はないし、シロクマはハワイを離れて北極に住んでも責められない」と直接ではないですが、転校を後押しします。一度できた印象を変えていくことは難しいため、自分に合ったフィールドで居場所を作ることも一つの方法です。

 死について語り合うシーンでは、お父さんに合理的な事実を語られて悲しい気持ちでいることを知って、「つらかったね」と共感し、自身の死生観を語ります。子どもの世界感を大切にしながら、今のちょっとした日常の変化や自然との生活を楽しんでいることを伝えます。

こうした考えは現代の快適さを求めていく社会では古風な生き方に映るかもしれませんが、暑くなれば冷房を付けたり、寂しくなれば携帯で繋がったり、不便さをコントロールする習慣でかえって心にゆとりがなくなる一方で、自然との共生や適応をはかることで自分が変化し、心身を豊かにしているようです。

 そんなおばあちゃんは、まいに自分の土地の一部を与えてマイサンクチュアリと名付けます。聖域という意味で使われますが、まいに育てる喜びや責任感を与えることに一役かっていることが考えられます。このマイサンクチュアリがある人物に侵される危機が訪れます。ここでおばあちゃんは自分の信念を教え込もうとしましたが、まいにとってこのマイサンクチュアリは特別な場所であったために、決別がおきます。のちにおばあちゃんは自分の考えはオールドファッションなのかもしれないと寂しそうな表情を浮かべます。まいに共感的に接しなかったのはおばあちゃんの生き方ともぶつかってしまったからかもしれません。



・西の魔女が死んだというタイトルについて
 内容からは「おばあちゃんとの魔女修行」や「おばあちゃんの贈り物」のようなタイトルでもおかしくありませんが、このタイトルからは“死”をどのようにとらえていくかということを考える契機になります。それまでの生き生きとした数々の自然描写とも相まって、おばあちゃんの死生観による“死”が存在の消滅ではなく、魂の解放ということで遺された者に近づいたような印象を与えています。



この作品は映像も美しく緑豊かな山々やハーブ、鳥のさえずりを聴いてるだけでも癒されます。シーツをラベンダー畑に広げるシーンはいい香りが薫ってきそうです。
ぜひ興味持たれた方はご覧になってください。