首を観た。後編 | プロレスラーにあこがれて

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@nakamuraigf

前回の続きです。



面白かったところ、疑問に思ったところを書いていきます。

※ネタバレを含みますのでご了承ください。

  


  






強烈すぎるつかみ


織田信長(加瀬亮)が刀の先にまんじゅうをつけ、荒木村重(遠藤憲一)に咥えさせて口を血まみれにさせたあとディープキスする序盤のシーンが強烈すぎる。

※刀に刺さったまんじゅうを食わせたのは史実らしいですね!🤮





戦国武将のダサい所にスポットを当てた

アウトレイジでヤクザのダサさに着目しVシネマのアンチテーゼとなったのと同じく、この作品は戦国武将のダサさに着目することで、大河ドラマのアンチテーゼとなっています。

武将同士のラブシーンを汚く描いたり、宴席で光秀の恋人である村重に切腹を迫った信長を「人の命を余興に使うとは…」と糾弾した明智光秀(西島秀俊)が、自身は信長討伐の練習台に家臣?を◯害しまくるという矛盾点を描いていました。

※無理だと思いますが、北野流の綺麗事無しの太平洋戦争の映画とか撮って欲しいです。



首が飛びすぎ

タイトルに偽りなし。首チョンパのオンパレード。

北野監督の死生観「実際の死は呆気なく、かえってそれが残酷なもの。メディアは"死"を大袈裟に演出することで、かえってその残酷さを疎外している。」に基づいた表現のようです。

この死生観は、ベトナム戦争で米兵が先住民族を簡単に◯害しまくる動画を見た際、その呆気なさと残酷さに衝撃を受けて形成されたそうです(パンフレットより)。


信長の最期

あんなに人を虐めたり殺したりしてた信長が呆気なく首チョンパで死ぬところが、信長も一人の人間だと端的に表しているようで良かったです!

※信長(加瀬亮)のイカれっぷりも最高でした。


"首"の価値とは?

この作品のテーマだと思います。出演者による首への執着具合は千差万別でした。


全く首に執着しなかった秀吉、首(=手柄)に固執した茂作(中村獅童)、信長の首には固執したが、村重は溺死させた光秀、豊臣陣営が呆れるほど自らの切腹を仰々しく行った清水宗治(荒川良々)。

特に対照的だったのが秀吉と茂作。

農民から成り上がろうとする茂作が秀吉の生き写しとして描かれていたようでしたが、首への執着はまるで異なりました。

武将である秀吉は相手を殺した事実だけがあればよく、末端の茂作は自分が討ち取った手柄を証明しなければならない。両者の立場の違いが生んだ違いでしょうか。(※これだけだと浅いなー💦他に何かあったらコメント欄にお願いします。)

首に固執した茂作が、自分と同じ様に光秀の首を狙う農民に殺害され、価値は皆無であろう生首を切り落とされるという結末はかなり皮肉が効いていました!


※明智光秀は逃亡中に農民に殺されたという、歴史の授業で習ったけどテストに1回も出なかった史実の裏にはこんなことがあったのかも!?と思いを馳せれるのは良かったです!



長くなりましたが…まとめ的なもの

「こんなもん要らねえんだよ馬鹿野郎!」

秀吉にとって、死んだ人間の首に価値は無い。

ラストシーンでは、武将の光秀の首と、いち農民の茂作の首が隣に並ぶ。

秀吉は光秀の首を蹴り飛ばす。

人類皆平等ではないが、秀吉の目には死人は平等に無価値に映るのだろう。

「どうせお前ら死ぬんだからな。」全ての人間は死ぬ。死は誰にでも平等に訪れる。

斬首される直前の子どもが遊んでいたお手玉と、茂作が曽呂利(キム兄)にお守りとして渡したでんでん太鼓。生を象徴する子どものおもちゃと、それを持ったまま死んだ大人と子ども。生と死の境界は、我々が意識しているほど高くないのかもしれない。


※戦国時代と現代での生死の概念は異なると思いますが、我々だって寝て起きたら不整脈等で死んでる可能性もありますよね🤯 

人がバッタバッタ死ぬ映画を見たら、自分が今日、明日死ぬことも別におかしくないのかも?と思いました!

たけし映画らしくバイオレンスで面白く、説教臭くない、でも考察すれば何か出てきそうな?映画でした!面白かったです!


パンフレット¥990




パンフレットは外装や見開きがカッコよく、中身も面白かったです。

逆に、クソ映画のパンフレットの中身はどう体裁を保とうと頑張っているのか?気になりました!