いま男にとって必要なのは、ほんとうはなんなのだ。
男の誇り、自分が男であるということへのこだわり、痩せ我慢。言葉で言えば、そういうものだろう。それが、言葉ではなく、自分の生き方のルールのようになった時、男はほんとうに自分に必要なものを獲得したと言える。
ー北方謙三「試みの地平線」よりー
いきなり冒頭で上から目線で「男」を語られた。
このおっさん、若者の質問をロクに読まずに「ソープへ行け!」で解決しようとするクソ親父だろ?
と思いつつ中身を読んだ。
「性行為にビビってしまうので、初体験をスムーズに済ませたい」という高校生からの質問に対し
童貞とヴァージンの組み合わせは、けっこうたいへんだぞ。俺はたまたま最初からうまくいったが、それでも二度目はできなかった。ソープランドへ行ったよ。(以下省略)
セックスの実績を作れと言っても、高校生は性風俗へ行けないだろう?というシックリしない点もあるが、自身のソープランド経験を交えての割と熱心な回答。
人生相談の合間にあるKENZO's MESSAGEというコーナーでは、自身の若き日について赤裸々に語っている。
「柱」
柱に額をぶっつけて、血を流したことがある。まだ20歳になったばかりのことだった。
思い悩むことがあって、その解決がつかず、衝動に襲われたというわけだった。
柱に頭をぶっつけて、悩みが解決するわけではない。なぜそんな真似をしたのか、傷を見て不思議に思ったほどだ。それでも22年前、自分の躰を傷つけずにはいられないほど悩んだことは、いまでもはっきり憶えている。ところが、なにについて悩んでいたかは、どうしても思い出せないのだ。
小僧ども。若い頃の悩みというのは、その程度のものなのだよ。俺ぐらいの歳になると、悩んだことは憶えていても、悩みの内容については忘れてしまっている。だから悩むな、などと言うのではない。人生を、悩み一色で塗りこめても、所詮いつかは忘れると言っているだけだ。大事なのは、その悩みからなにかを感じ取るかさ。額をぶっつけた柱を見るたびに、俺は悩むことができた自分がいとおしく、懐かしい。それだけでもよかった、といまは思うのだ。
悩む青少年と若き日の自分を重ねる北方先生。
大事なのは、悩みから何かを見つけること。
「男根が小さくて悩んでいる」いう27歳に対しては、
そして、「俺のものは小っちゃいのか」と訊いてみろ。(省略)
男が問われるのは、男根の大きさではない。金玉の大きさだ。もちろん、象徴的な意味での金玉で、ぶら下がっている金玉じゃないぞ。その意味は、小僧どもみんなで考えてみろ。
必殺!ソープへ行け!!!
「キャバクラ嬢に恋をしてしまった」という38歳には
もう一度言う。ソープに行け!
ソープに行け!x2!!!連発STO並に強烈!!!
北方先生の必殺技でおなじみ「ソープに行け」。
ある相談者から、「行けと言われたからソープに行ったら性病にかかった。どうしてくれますか?」
という手紙もあったとか。
男の価値は金玉のデカさ。
そして、悩むことは悪いことじゃない。大事なのはその悩みからなにかを感じ取るか。
レバーに銘じて生きて行きます。
あとソープに行ってきます。