今後の忠臣蔵の絵は「義士忠臣蔵之図」というもの。
「明治四十四年八月廿日印刷」に「博画館」が出しました。
この絵、細かくみていくと、いろいろおかしい箇所がある。
たとえば、こちらの「赤穂城内判官切腹之場」。
「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官切腹の場面のようですが、判官が切腹したのは鎌倉の屋敷だったはず。
つまり赤穂藩の浅野内匠頭とごっちゃになっている(しかも浅野が切腹したのは、赤穂ではなく江戸!)。
さらに「大石由良之助」なる人物が描かれています。
いうまでもなく「大星由良之助」と「大石内蔵助」が混乱。