芸能論へのいざない(12)―七代目松本幸四郎の弁慶―。9代目市川團十郎は「勧進帳」の弁慶を教えないまま死去。後継者もいなかったため、弁慶を勤める役者が不在になります。 弟子のひとり市川高麗蔵は、師の「勧進帳」のとき、四天王や後見を勤めていました。舞台で師の弁慶を何度も眺めながら、その演技を習得。 師の死後「勧進帳」の弁慶を勤めるようになります。その回数は、師をはるかに超える約1600回。 明治44年、高麗蔵は7代目松本幸四郎を襲名。当代幸四郎は、その曽孫に当たります。