第7波のころ(5)―EDO・TOKYO・YAESU HISTORY―。 | 新潟大学 中本真人研究室

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ホテルの送迎バスで、東京駅八重洲に到着。

八重洲地下街にみつけた「EDO・TOKYO・YAESU HISTORY」。

 

 

八重洲の地名は、慶長5年に漂着したオランダ船リーフデ号の船員ヤン・ヨーステンに由来。

家康の通訳として重用された彼は、いまの日比谷辺りに屋敷を与えられました。

 

 

そのため「八代洲(やよす)河岸」と呼ばれるように。

地下街の壁には、江戸東京博物館蔵「江戸絵図屏風」から城郭都市江戸の様子が掲げられています。

 

 

次の絵は、ウォーターフロントでの歌舞伎興行が描かれた「江戸名所図屏風」の一部。

若衆歌舞伎に集う人々の姿が生き生きと描かれています。