オンデマンド授業の収録(20)―蔵前国技館跡―。浅草御蔵は、幕府が天領の年貢米などを収納、保管した蔵。主として旗本・御家人の給米用に供されました。浅草御蔵の前側は「御蔵前」と呼ばれ、蔵米を取り扱う米問屋や札差が立ち並んでいました。そのような由来から「蔵前」の町名が誕生したのは昭和9年。昭和59年まで、この地には蔵前国技館がありました。現在は、東京都下水道局北部下水道事務所と蔵前水の館に。跡地から隅田川越しにみえる両国国技館の屋根。両国から大江戸線に乗ったときに、ふと蔵前に立ち寄りたくなり、初めて蔵前国技館の跡地を訪れました。