三島由紀夫氏の憲法観と国防論 | 中丸啓オフィシャルブログ Powered by Ameba

最高の美徳は自己犠牲

三島由紀夫没後45年。


昭和451125日に氏は、楯の会同志4名と共に、自衛隊 市ヶ谷駐屯地 (現:防衛省 本省)を訪れて部方面 総監を監禁 。バルコニーでの演説の後、 割腹 自殺 を遂げられた。

この一件は、世間は勿論、当時7歳の中丸も大きな衝撃を覚えたものだ。

中丸が衆議院議員時代に、当時次世代の党最高顧問の石原慎太郎氏から三島由紀夫氏との石原氏ご自身の対談について、会食の席で聞かせていただいた印象的な話がある。


三島氏が石原氏と対談を始める前に、「君は何が男にとって最高の美徳と思うかね」と問いかけて、それぞれ紙に書いて差し出したところ、期せずして二人とも「自己犠牲」と書いた、という。


この話を石原氏は少年のように目を輝かせながら、嬉しそうに語られていた。また、「若い人は、歴史を勉強しなさい。歴史の原理を踏まえ、それぞれの感性に応じて眺めれば、過去の歴史を形作ってきた先人の生き方の中に数多くの自分自身の分身を見つけることが出来る」。混迷の時代を生き抜く知恵は、わが民族の歴史や日本人らしさを再認識することにこそ隠されていると、幾度となく石原氏から聞かせていただいたものだ。

「生きる」ということは、「死」へのカウントダウンと同義である。


すなわち、生きることとは死に向き合うことであり、その人生観、死生観の中に「最高の美徳は自己犠牲」と両氏は理解していたのではないかと考える。


自己犠牲とは自分以上に大切なもののためには、自らを犠牲にしてでも守りたい、尽くしたいとする考え方であり、これは「親子愛」にはじまりその人の持つ使命感、責任感によってその範囲は千差万別である。

吉田松陰は30歳の時、高杉晋作に送った書簡に死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。としたためた。


これは、「死ぬことによって志が達成できるならば、いつでも死んでも良い。生きることで大業の見込みがあれば、生きて成し遂げれば良い。」ということだ。


松陰先生のいうところの「死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし。」これを三島氏は自身の男として最高の美徳である「自己犠牲」精神と捉えていたのではないだろうか。


そして、最終的に割腹自殺という自らの死をもって具現化し、後世にその死に様を通じて志を世に残すことを達成しようとしたのではないかと思っている。


三島氏の憲法観と国防論



三島氏は、「問題提起 第二章 戦争の放棄」の中で、正しい日本の体面回復のためには、憲法9条を全部破棄し、その代わりに、日本国軍 を設立し憲法に、「日本国軍隊は、天皇 を中心とするわが国体 、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される」という建軍の本義を規定・明記するべきであると主張している



また、
平和憲法 と呼ばれる憲法9条について、「完全に遵奉することの不可能な成文法 の存在は、道義的退廃を惹き起こす」と、闇市 の取締りを引き合いに出して批判し、「戦後の偽善はすべてここに発したといつても過言ではない」と断じている


また、人生最後の日の檄文の中で、「諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。(中略)国家百年の大計にかかはる核停条約 は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約 の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル 一人、自衛隊からは出なかつた。



沖縄返還 とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカ は真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派 のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵 として終るであらう」とも警告しているが、それは、これまでの戦後の我が国における「経済第一」で米国だよりの安全保障政策の取り組みを見れば、まさにその通りであったと思う。


■現代に必要な国防の考え方


三島氏の生きた時代と現代の安全保障に関する考え方は装備の近代化、テロ等紛争の背景の複雑化等により、単純に「国家対国家」の戦争の時代から大きく変化している。


現在我が国には、防衛大綱は存在するが、正式な軍事 等における基本原則「仮想敵国を想定したドクトリン」が存在しない。これは、現実を直視しない「ことなかれ主義」の典型だ。


現実的な危機管理を考えれば、我が国独自に「仮想敵国・テロ・暴動・国内における組織犯罪や外患誘致等を想定した統合されたドクトリン」が必要である。


そして、計画立案に際しては、具体的情報収集・分析機関としてインテリジェンス機関が絶対的に必要となる。我が国には、外交の基本原則は存在するが、全体を統合した基本原則は存在していない。


2014318日の衆議院本会議において安倍総理も中丸啓の質問に「具体的な戦域・前線をどこに設けるか明示しているわけではない」と答弁している。


201312月に国家安全保障会議が内閣に設置され、国家安全保障局も併せて67名体制で発足して設置されてはいる。


しかし、各省庁を横断した情報収集は可能になったが、人員も予算規模もまともなインテリジェンス機関と呼ぶには程遠い組織であると言わざるを得ない。


また、国家安全保障局は、国防・警察・行政等が一体的に国家安全保障を担えるように本来のホームランドセキュリティ能力を行使可能にすべきものであることを考えれば、人員・予算・権限も含めて大幅な法改正が必要であろう。