グアム戦没者慰霊祭に参列し決意を新たに | 中丸啓オフィシャルブログ Powered by Ameba

9月の5、6日にグアムで開催された慰霊祭に参列させていただいき、現地の戦跡を巡る機会をいただいた。



大東亜戦争でのグアム戦(Battle of Guam)は、大東亜戦争 におけるマリアナ-パラオ戦役の戦いの一つであり、サイパンの戦い に次ぐ日本軍死者18,500人、米軍死者2,124人、負傷者5,676人に及ぶ激しい戦闘となった。


マリアナ沖海戦の勝利により、制空・制海権を確保していた米軍は、上陸に先立ってグアム島に徹底した艦砲射撃と空爆を加えた。激しい砲爆撃で、海岸のヤシの木は全て焼けただれ、見渡す限りの建物はほとんどが破壊され、上陸援護の米軍の砲爆撃は、日本軍の想定を遙かに超えており、海岸線に構築された陣地の多くが破壊され、後方に作られた露天砲台も破壊された。




しかし、密林内、洞窟陣地内、多くのトーチカ、海岸より4㎞以上離れた場所に設置された野砲は破壊を逃れる事ができ、その後の反撃の大きな戦力となった。



上陸部隊が海岸に接近すると山砲と速射砲で砲撃を加えた、またフォンテヒル(日本軍呼称 本田台)に配備されていた第10連隊砲兵大隊も砲撃を開始し、上陸作戦で第3海兵水陸両用部隊は47両のLVT を日本軍の攻撃で撃破され、3両が機雷で撃破されている。


また、上陸初日にアメリカ軍は1,047名の死傷者を出したが、その内102名はLVT の乗組員であった。


しかし、その後も米軍による艦砲射撃と空爆による激しい集中砲火を浴び、次第に砲兵陣地は沈黙していった。その後に上陸してきたアメリカ軍に対し、第48旅団の第一大隊は中村大隊長自ら手榴弾を手にして白兵戦を展開するも、圧倒的な火力のアメリカ軍相手に死傷者が続出した。


また、中村大隊に配属されていた旅団の工兵隊も、隊長の三宅大尉自ら爆薬を抱いて戦車に体当たり攻撃をかけ、下士官は戦車に取り付いて、ハッチから手榴弾を投げ込もうとするなど、隊員全員が激しい肉弾攻撃を行い文字通り全滅している。当時日本軍はチャモロ人の殆どとなる20,000名を、グアム島南東部マネンガンの収容所を初めとした5か所の収容所に送り込んだ。


収容所には食糧も飲み水もまともになく、多くのチャモロ人が苦しめられたが、結果的にこれら収容所が日米の激戦地と離れた場所にあった為、大多数のチャモロ人の命を救う事となった。それでも戦闘に巻き込まれて亡くなったチャモロ人は数千名に上った。機密保持目的の虐殺事件も起こしており、その記念碑もグアム島に散在しているが、一説には日本軍に殺害されたチャモロ人は合計で700人と言われる。


今回の初日、グアム地元民グアム地元民グアム地元民慰霊祭では、この地元民に対しての慰霊追悼を地元の皆様とともに参列し心より、供養の念を捧げさせていただきました。










また翌日には、日本軍戦没者慰霊祭に参列。激戦を戦い抜いた先人たちの英霊に感謝と哀悼の誠をささげさせていただきました。

今回の両式典には平沼赳夫先生をはじめ、田沼隆志・杉田水脈両同志ととも中丸啓も献花の上、参列させていただきました。平沼先生の日本軍慰霊のご挨拶の際「この慰霊祭は日本人だけではなく、戦争でお亡くなりになられた米国、地元すべての人への慰霊です」と述べられ、参列していた地元のセネターやメイヤーはその言葉に深く感動されていました。

この両慰霊祭は、現地芳賀建介 氏をはじめとする戦争を風化させない会」に皆様民間有志による民間行事として毎年開催されています。関係各位に心からの敬意を表するとともに、感謝を申し上げます。






先日、発表された「太平洋における第二次世界大戦の終戦70周年記念の大統領声明」(※1)で合衆国オバマ大統領は、「戦争の終わりは、日本とアメリカの関係において新しい時代の始まりとなりました。安倍首相と私は訪問中に述べたように、戦後の70年間で両国間の関係は、和解の力のモデルとして同盟国として歩み続けました。旧不動の同盟国となっている両国は、共通の利益を進めるために協力し、グローバルアジアにおける普​​遍的価値を創造する。」と、アジアの平和と安定に両国が寄与することに力強く決意を述べられています。



今回の、慰霊祭への参列を通じて改めて、戦争を起こさないために、日米同盟をより強力に深化させ、我が国の平和と安定はもちろん、アジアの平和と発展に寄与する国家たるべく微力ながらこの身を捧げてまいることを決意いたしました。


※1

Statement by the President on the 70th Anniversary Commemorating the End of World War II in the Pacific


The end of the war marked the beginning of a new era in America’s relationship with Japan. As Prime Minister Abe and I noted during his visit in April, the relationship between our two countries over the last 70 years stands as a model of the power of reconciliation: former adversaries who have become steadfast allies and who work together to advance common interests and universal values in Asia and globally. Seventy years ago this partnership was unimaginable. Today it is a fitting reflection of our shared interests, capabilities, and values, and I am confident that it will continue to deepen in the decades to come.