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本稿は経済学部、経営学部、観光学部の学生さんにお勧めです。

 

 

 

マイケル・ジャクソンのテーマパーク狂騒曲

〜ネバーランド以外にもテーマパーク事業に投資〜

 

中島 恵

 

1.はじめに

 

 テーマパーク業界に投資する有名な投資家が二名いる。それがサウジアラビアのアルワリード王子とアメリカの歌手マイケル・ジャクソンである。本稿でマイケル・ジャクソン、次稿でアルワリード王子について考察する。

 アメリカの人気歌手マイケル・ジャクソン(1958〜2009年、以降マイケル)は大のディズニーランド好き、テーマパーク好きである。自宅の庭にディズニーランドを参考にしたとされるテーマパーク「ネバーランド・ランチ」(Neverland Ranch)こと通称「ネバーランド」を作った。ランチ(Ranch)とは牧場という意味である。牧場も可能なほど広い土地をカリフォルニア州のロサンゼルス郊外のサンタバーバラに買ったのである。このネバーランドに大豪邸、テーマパーク、動物園などがある。

 

image

 

マイケルジャクソン↓

 

 マイケルはネバーランド以外にも、日本の横浜、韓国、ポーランドにテーマパーク事業を計画し、100億円投資するとマスコミ発表したが、2021年現在それらしきテーマパークは無い。日本にマイケル・ジャクソン・ジャパンという会社を設立した後に、計画が立ち消えたと思われる。

 韓国では、マイケルは金大中・新大統領の就任式に出席し、韓国に「ネバーランド・アジア」建設のため1億ドル(約100億円)支援することで合意した。また財閥2位の三星(サムスン)グループの李健煕会長と極秘会談した。

 

金大中元大統領↓

 

 

 このようにマイケルは外国でテーマパーク事業を企画して投資する事業家、投資家として活動するはずだった。しかし彼ほどの有名人がマスコミ発表した後で実行できなかったと思われる。

 また自宅のネバーランドは、少年虐待疑惑の舞台になり価値が低下、仕事の低迷と浪費がたたって維持できなくなり、サッカーのベッカム選手に買うように打診して断られるなど、まさに「テーマパーク狂騒曲」となった。

 本稿では、マイケル・ジャクソンのテーマパーク事業をネバーランドの維持と売却、他のテーマパークへの投資活動と企画という点から考察する。そのために第1にマイケルの人物史、第2にマイケルにちなんだテーマパーク関連の出来事、第3に死後の急激なCD等販売と借金完済、上海版ネバーランド計画、を考察する。

 

2.マイケル・ジャクソンの人物史

 

 2009年6月25日に死亡したマイケル(享年50歳)の主な経歴は以下のようになっている[1]

 マイケルは、1958年に米インディアナ州の貧しい家に生まれ、1962年に兄たちと5人兄弟で「ジャクソン・ファイブ」というグループで歌手デビューし、売れてからソロ活動を開始し、伝説的に売れた。そこからは巨万の富を得たものの、浪費と奇行が目立つようになり、スキャンダルと借金と訴訟にまみれた人生となった。不眠症に悩み、50歳で手術用麻酔薬の過剰摂取で亡くなったとされている。

 

 

ジャクソン5、マイケル子供の頃↓

 

 

表1:マイケル・ジャクソンの主な経歴

年月

出来事

1958年8月29日

米インディアナ州ゲイリーで誕生

1962年8月

兄たちと結成したジャクソン・ファイブで歌手デビュー

1969年3月

ジャクソン・ファイブがモータウン・レコード傘下のタムラと契約。マイケルの声が話題となり一躍人気グループに。「ABC」「I’ll Be There」などのシングル曲が次々に大ヒット

1970年

ジャクソン・ファイブと平行して、ソロ活動開始

1979年8月

初のソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』発売。クインシー・ジョーンズがプロデュースし、1100万枚の売上を記録

1982年12月

アルバム『スリラー』発売。「Billie Jean」「Beat It」など7つのヒット曲を含むアルバムは全世界で約5000万枚売上

1984年

ペプシのコマーシャルフィルムの撮影中、事故で大火傷を負う

1985年

ジョン・レノン、ポール・マッカートニーの曲の版権を管理する音楽出版社ATVを約4750万ドル(約45億円)で購入

1985年

アフリカ飢饉救済を目的にしたチャリティー曲「We Are the World」制作

1987年

アルバム『バッド』発売、2600万枚の大ヒット。このアルバムを最後にクインシー・ジョーンズとのタッグを解消

1987年

自伝『ムーンウォーク』出版

1992年

アルバム『デンジャラス』を発売、売上数2200万枚

1993年

13歳の少年がマイケルから性的虐待を受けたとその父親が訴え、示談で決着

1994年5月〜

1996年2月

エルビス・プレスリーの娘リサ・マリー・プレスリーと結婚 →離婚

1995年

アルバム『ヒストリー』発売

1996年11月〜

1999年10月

看護師デビー・ロー(37歳)と結婚。2人の子供が生まれ、プリンス・マイケル、パリス・キャサリンと名付けられた。→離婚

2001年

アルバム『Invincible』発売

2002年

別の女性との間に生まれた3人目の実子プリンス・マイケル(生後9ヶ月)をベルリン市内のホテルの窓からぶら下げて、非難を浴びる

2003年1月

競売大手サザビーズが、マイケルが落札した絵画2枚の代金約170万ドル(約1.6億円)を支払っていないと提訴

2003年11月

アルバム『ナンバー・ワンズ』発売。警察当局がネバーランドを家宅捜査 → 少年への性的虐待容疑で逮捕され、間もなく保釈

2003年12月

性的虐待の罪で正式に起訴

2004年1月

法廷に初出頭、無罪を主張 →無罪判決(2005年)

2009年3月

ロンドンで「最後」の復活コンサートを行うと発表

2009年3月

復活コンサートの延期を発表。当時、延期の理由はマイケルの健康問題ではないとコンサート主催者が主張

2009年6月25日

ロサンゼルスで死去

出典:2009/06/26 AFPBB NEWS/AFP通信「マイケル・ジャクソンさん、栄光と転落の軌跡」

 

3.マイケル・ジャクソンのテーマパーク関連の出来事

 

アルワリード王子と娯楽事業の合弁企業設立

 1996年3月、マイケルとサウジアラビアのアルワリード王子が幅広い分野で娯楽事業を進めるための合弁会社「キングダム・エンターテインメント」を設立すると発表した。パリで計画を発表した2人によると、「マルチメディア革命に対応し、テーマパークやホテル、映画製作、アニメ、音楽、出版、歌手の公演ツアー、キャラクター商品販売などの事業を予定している」という。

 新会社の資金規模や具体的な事業計画を明らかにしなかったため、集まった報道陣から質問が続出した。しかし、主役の2人は記者会見に応じず退場してしまい、代理人が「プロジェクトはおいおい発表するが、事業には必要なだけの資金を投入する」などと答えたにとどまった。アルワリード王子は経営難にあったパリ郊外のユーロディズニーに4.5億ドルに上る資金を提供し、「星の王子様」と話題になった有名な投資家である[2]

 

ネバーランドを34億円で売り出し

 1997年9月、マイケル(当時38歳)がネバーランドを1,700万ポンド(約34億円)で売りに出した。この頃マイケルはフランスに在住していた。ネバーランドで少年に性的虐待していたとの疑惑をかけられ、仕事が減り、縁起の悪い自宅に寄りつかなくなったとの憶測が出ていた。またこの頃、マイケルの兄、ティトー・ジャクソンは「1998年夏、マイケルを含めた兄弟5人でコンサートをやる予定。初演はギリシャのアテネを考えている」と明かした[3]

 

韓国に100億円投資してネバーランド・アジア計画

 1998年2月、マイケルは経営再建下にある韓国のリゾート開発会社に1億ドル(約100億円)を投資して子供向けのテーマパークを建設すると発表した。会社がマイケルと同年4月までに正式な書面を交わすことで合意した。その会社は、1997年10月に和議申請を出した中堅財閥グループの「SBW開発」で、韓国を代表するリゾート地、南部の茂朱(ムジュ)リゾートを運営している。金大中・新大統領の就任式に出席したマイケルと同社が協議を重ね、経営再建に協力するとともに、テーマパーク計画を進めることで合意した。構想では、リゾート内の16万〜33万平方メートルに、ハイテクゲームの施設などを備えた「ネバーランド・アジア」を造る。マイケルがテーマパークの企画、設計、建設を受け持ち、同社を支援する1億ドルとは別に、新たな投資を予定しているという。マイケルは大統領就任式の前後に、大手建設会社が計画するテーマパークや物流団地を視察し、財閥2位の三星グループの李健煕会長とも極秘で会談するなど、外国人投資家として精力的に活動していた[4]

 

横浜に新テーマパークを200億円で計画、ポーランドにも計画

 1998年4月、マイケル(当時39歳)が日本国内に子供向けテーマパークの建設を計画していることが明らかになった。有力な候補地は横浜市が再開発を進めている新山下地区で、総事業費200億円に上る見込みであった。マイケルは同年5月に来日し、自ら計画を発表する。計画が順調に進めば1998年内に着工し、2001年頃に完成しそうであった。

 テーマパークの仮称は「ワンダーワールド」で、子供好きのマイケルが子供のために夢の国をつくるというものであった。関係者によると、東京ドーム2個分に当たる約3万坪(9.9ヘクタール)の敷地に、世界中のおもちゃやキャラクターグッズを集めて展示、販売し、ジェットコースターなどのアトラクションも設置する。子供が転んでも濡れないように氷を使わない特殊加工の室内スケートリンクも計画されていた。計画は1997年夏、マイケルが企画を持ち込み、極秘に関係者との打ち合わせが進められてきた。マイケル自身が5月中の来日を希望しており、自ら企画した内容を発表する予定であった。同時に東京・神田錦町の企画会社「アモン株式会社」(水野利夫社長)と協力し、建設準備会社「マイケル・ジャクソン・ジャパン」を設立する。建設費は日本企業からも募るが、総事業費は200億円規模で、費用の半分はマイケルが投資する。

 数ある候補地の中で最も有力なのが、横浜市が1995年から再開発している新山下地区(横浜市中区)であった。計34ヘクタールの開発対象区域には、ホテル、マーケットなどが建設される予定だが、実現すれば「ワンダーワールド」は近くの山下公園、港の見える丘公園と並び、横浜市の新しい目玉になる。関係者によると、子供の頃から歌手として走り続けたマイケルも、同年8月に40になることから、事業に力を傾ける考えを持っているという。日本だけでなく、米国、韓国、ポーランドでも進めているテーマパーク建設計画については、以前は義父の関係にあった「ロック・オブ・ザ・キング」(ロックの帝王)と呼ばれる故エルビス・プレスリーが米メンフィスに「プレスリー・ミュージアム」を残し、成功していることへのライバル心もきっかけになったらしい。関係者は「マイケルは常日頃から自分はポップ・オブ・ザ・キング。プレスリーに負けないものを世界中に残すことが使命と話している」と言う。

 マイケルにとって、日本は1987年に初めて訪れて以来、お気に入りの国であった。マイケルは時間を見つけて後楽園ゆうえんち(現・東京ドームシティアトラクションズ)や東京ディズニーランドを貸し切りにしたこともある。周囲に「大好きな日本で絶対に夢を実現したい」と話していた。

 マイケルのテーマパーク計画は世界規模で進行していた。ネバーランドの所有地にプライベート用のテーマパークや動物園を持っていて、近く一般開放用のテーマパークを建設する予定であった。

 韓国・茂朱(ムジュ)やポーランド・ワルシャワにも建設する予定で、既に現地調査を済ませていた。ただ、マイケルが約1億ドル(約135億円)の投資を予定している茂朱での計画は、深刻な韓国内の経済危機から頓挫する可能性もあった[5]

 

マイケル・ジャクソン・ジャパン設立、100億円出資

 1998年7月、マイケル・ジャクソン(39歳)が横浜市に建設する子供向けテーマパークの発表のため来日し、東京都内のホテルで記者会見を行うこととなった。

 テーマパークの仮称は「ワンダーワールド」、横浜市が開発を進めている新山下地区に建設されるもので、東京ドーム2個分にあたる約3万坪(9.9ヘクタール)の敷地に世界中の玩具やキャラクターグッズを展示する。ジェットコースターなどのアトラクションも設置する。子供好きのマイケルが、子供のために夢の国をつくる。企画はマイケル自ら発案し、1997年夏から極秘で関係者との打ち合わせを行ってきた。既に日本の企業と提携して建設準備会社「マイケル・ジャクソン・ジャパン」も設立した。総事業費は約200億円で、マイケルが半分出資することになる。当初同年5月に来日し発表する予定だったが、マイケルのスケジュールの都合で来日が延びた。着工時期、完成時期や細かい内容は明らかになっていなかった。「マイケル・ジャクソン・ジャパン」は「具体的なことは会見でマイケル自身が説明します」と言う[6]

 

ネバーランドで少年に性的虐待し逮捕

 2003年11月、マイケル・ジャクソン容疑者(45歳)は少年に性的虐待を行った容疑で逮捕された。その事件の舞台となったのは、秘密のとばりに包まれてきた広大な屋敷「ネバーランド」であった。それは、マイケル容疑者が愛するお伽噺「ピーターパン」にちなんで名付けられ、動物園やテーマパークを敷地内に持つ「夢の国」である。マイケル容疑者は少年たちに囲まれてネバーランドで生活していた。

 マイケルが1988年に購入したネバーランドの敷地は約1052ヘクタールで、東京ドーム約220個分の面積である。内部には観覧車、ミニ鉄道、動物園などを備える。登記上の価値は約1350万ドルで、維持費だけで年間200万ドルかかる。内部に入るのを許されていたのは一部の関係者だけであった。1991年に女優エリザベス・テイラーの結婚式が行われたほか、子供のためのチャリティーパーティーが一度開かれただけだった。このためネバーランドでの暮らしは、謎に包まれていた。

 その一部が明らかになったのが、2003年2月に英米などで放映されたドキュメンタリー番組である。この中でマイケル容疑者は12歳の少年と出演し、一緒のベッドで寝ていることを告白した。この少年の身元は明らかにされていないが、癌の末期治療中で、兄弟とともにマイケル容疑者と一夜を過ごすよう頼まれたと語った。また同番組の中でマイケル容疑者は、子役俳優をはじめ「これまでたくさんの子供と一緒に寝てきた」と告白した。12歳の少年を自分にもたれかからせながら「一番楽しいことは誰かとベッドを共有すること」と語った。

 マイケル容疑者の逮捕を指揮したサンタバーバラ郡の検事は、1993年に虐待疑惑が発覚した際に捜査したものの、立件できなかった経験を持つ。1993年に発覚した疑惑は、マイケル容疑者が13歳の少年にみだらな行為をしたというもので、同郡のトム・スネッドン検事はロサンゼルス郡の検事とともに捜査に乗り出した。しかしマイケル容疑者が巨額の解決金を支払って和解が成立した。少年が証言を拒否したため、検事は刑事責任追及を断念せざるを得なかった。

 日本国内でマイケル容疑者のマネジメント関係者と親交がある音楽評論家の湯川れい子氏は、「彼は父親に暴力的に育てられたため、子供や小動物しか愛せない偏った人格になったと聞いている。容疑が事実かはともかく、彼自身は純粋な気持ちで少年たちと暮らしている。それが一般社会で通用しないところに悲劇がある」と述べた。同年4月に「マイケル・ジャクソン」というブランドスーツの販売権を獲得し、1000着を売り出したばかりの岐阜市のアパレルメーカーは、「代理店に確認したが、今のところ何も分からないという返事だった。無実と信じ、今後の展開を見守るしかない」と言う[7]

 

ネバーランドからビバリーヒルズの22億円の豪邸に引っ越し

 2004年1月、マイケルは子供に対する性的虐待などの罪で起訴されたため、保釈中にネバーランドから、ロサンゼルス郡ビバリーヒルズの超高級住宅に転居していたことが明らかになった。米メディアによると、新居は銀幕のスターらの大邸宅が並ぶことで知られるビバリーヒルズでも特に豪邸が並ぶ一角で、時価約2000万ドル(約22億円)、約9100平方メートルの敷地に約3400平方メートルの住宅のほか、プールや個人劇場、テニスコートが備わっている。所有者はアジア系の実業家グループで、マイケルは2004年12月初めに3人の子供と転居した。マイケルは2003年末に放送されたテレビインタビューで、逮捕の2日前に捜査当局が捜索したネバーランドについて、「プライバシーを汚され、家はあっても安らげるホームではなくなった。二度と元には戻らず、住むことはない」と話した[8]

 その後、この豪邸を1ヶ月家賃7万ドル(約770万円)以上で賃貸契約を結んだことが明らかになった。マイケルはネバーランドの自宅には二度と戻らないつもりでいるという[9]

 

破産の危機:銀行融資の返済期日迫る

 2004年2月、マイケル(45歳)が破産の危機にあることが分かった。銀行に対する7000万ドル(約74億円)のローン返済期日が5日後に迫っていたが、資金がなく、金策を続けていた。破産すれば、少年への性的虐待などの罪に問われている裁判にも影響が大きい。大物弁護士を擁する弁護団の高額報酬が維持できないからである。ネバーランド売却の危機に立たされていた。米紙ニューヨーク・タイムズがマイケルの財務顧問の話として伝えたところによると、マイケルは所有する約540億円といわれるビートルズの楽曲の版権などを担保にバンク・オブ・アメリカから多額の借金をしていた。以前からその返済が滞っており、同銀行から同月17日までに7000万ドルの支払いを求められていた。しかし12日に返済のめどは立っておらず、破産を避けるために関係者が金策に懸命であった。ビートルズの版権やネバーランドなど巨額の資産を持つマイケルだが、現金はこれらの資産を担保に同銀行や複数の金融機関から借りて捻出した。少年への性的虐待事件[10]マイナスイメージで他の金融機関が貸し付けを渋り、2つの投資会社もマイケルとの事業計画から撤退した。マイケルがイスラム教団体「ネーション・オブ・イスラム」にのめり込み、多額の資金を費やしていることも、スポンサー離れを招いた。

 当時CDやコンサートなど本業の収益力も下り坂で、財政状況が悪化していた。この財務顧問は「マイケルにこれらの厳しい現実に直面してほしい」と、危機の公開に踏み切ったという。またマイケルの音楽マネジャー、コッペルマン氏は「莫大な財産を持つ人々と同じように、マイケルにも多額の借金がある」と、銀行と定期的にローン交渉を行っている事実を認めた。破産危機については「財産の額は借金をはるかに上回っている」「マイケルは巨額の金を生み出す能力がある」と否定したものの、財務の詳細について説明しなかった。バンク・オブ・アメリカはコメントしなかった。

 借金の原因は、主にマイケルの浪費癖とされた。関係者によると、苦しい台所事情にもかかわらず、マイケルは毎月200万ドル(約2.1億円)以上の生活費を必要としていた。1ヶ月あたりスタッフへの給料約4000万円、リムジンのレンタル代約2030万円、おもちゃ代約3000万円などを使い続けていた。

 

表:マイケルの巨額購入品

1992年

ロンドン市内のおもちゃ屋で絵本やコンピューターゲームなど約5700万円分購入

1993年

友人の女優エリザベス・テイラーに約1億1700万円のダイヤのネックレスをプレゼント

1994年

妻リサ・マリーのために、映画「フリー・ウィリー」で主役を務めた全長8メートルのシャチを約1億円で購入

2004年

毎月の家賃770万円のビバリーヒルズの豪邸を借りる

 

 破産となれば、虐待裁判にも大きな影響が出る。1回の弁護料が500万円を超えるといわれる敏腕弁護士マーク・ゲラコス氏をはじめとする大物弁護士を擁する弁護団の維持に多額の費用がかかる。裁判は長期化が予想され、弁護料が払えなければ、大物弁護士たちもマイケルから離れていく。マイケルは13日にサンタバーバラ郡裁判所で予定されていた公判前の予備審問を欠席する。出席する権利を放棄する署名をしたとされる。

 米国の破産法に詳しい弁護士によると、アメリカの破産の方法には、①チャプターセブン(破産手続き)、②チャプターイレブン(再建手続き)の2種類がある。「チャプターセブン」で破産申し立てすると、よほどのことがない限り免責が認められる。ただし資産は差し押さえられ、すべてを失う。「チャプターイレブン」は申し立て後、裁判所が免責許可の条件をクリアしているか調査し、認定されれば再建手続きに入る。この場合、資産を差し押さえられることはなく、債務者の資産調査、評価へと続く。その後、残された資産をもとに弁済計画が立てられ、債権者から同意が得られた時点で返済が始まる。マイケルの場合、歌手活動を続けることを考慮し「チャプターイレブン」で申し立てする可能性が高い。ただし、ネバーランドをはじめ、音楽版権など巨額の資産を有するマイケルの場合、資産調査に2~3年、評価に1~2年、弁済計画を含めすべての手続き完了までに5~6年はかかるという。

 

表:アメリカの破産方法比較

 

破産方法

英語表記

内容

借金の免責

財産差し押さえ

1

チャプターセブン

Chapter 7

破産手続き

される

される

2

チャプターイレブン

Chapter 11

再建手続き

されない

されない

筆者作成

*免責とは借金を返さなくていいことである。「免責される」とは借金を返さなくていいこと、「免責されない」とは借金を返す義務があること。

 

 米放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏は「少年への性的虐待でマイナスイメージが付きまとうマイケルだけに、新たな収入源も見込めない。今ネバーランドを売りに出しても1000万ドル程度にしかならず、焼け石に水でしょう。あれだけの売れっ子ならある程度は株の投資などで財産所有の危機管理もしているはず。有名だからこそ、財界人の中からマイケルを助けるスポンサーも出てくるかもしれない」と言う[11]

 

ラップ歌手エミネムがネバーランド購入か

 2004年2月、米人気ラップ歌手エミネム(31歳)がマイケルのネバーランドを購入すると、USウィークリー誌が報じた。同誌によると、エミネムは友人らに、当時住んでいたミシガン州デトロイトの厳しい気候に耐え切れず、2600エーカーの敷地に建つ約4900万ドルの邸宅を購入することを検討中だと言った。この噂が本当なら、同月17日までに7000万ドルの借金を返済しなければならないマイケルには朗報となる。エミネムはこの報道についてコメントしていない[12]

 

カリフォルニア州の禁固刑では有罪なら数十年服役

 2005年1月、マイケル被告(46歳)の初公判が始まった。訴訟のためにマイケルの芸能活動はストップしていた。訴訟費用や生活費はビートルズの版権で賄っていた。マイケルは1985年にビートルズの楽曲約250曲分の版権を約4750万ドル(約50億円)で買った。業界関係者によると、彼はこれを担保に銀行から巨額の融資を受けて、散財を繰り返していた。裁判は長期化の様相を見せていた。同月7日に再開するはずだった陪審員を選ぶ作業も、マイケルの代理人の家族が亡くなったため、早速一週間延期され14日となった。マイケルは子供に対する性的虐待4件を含む計10件の罪に問われていた。カリフォルニア州法では14歳未満の子供に対する性的虐待は一件あたり3〜8年の禁固刑になる。有罪になれば、仮に3年×4件としても12年、これに残り6件の分が加わる。そうすると数十年の服役になる[13]

 そしてこの後、無罪を勝ち取ることとなる。

 

中東のバーレーンの王宮で生活、バーレーン移住計画

 2005年10月、マイケル(46歳)が中東のバーレーンに移住する計画を進めていることが分かった。マイケルはカリフォルニア州サンタマリア地方裁判所から、ある裁判の陪審員として召喚されたが、これを拒否した。マイケルの弁護士はネバーランドを売却し、バーレーンに移住するため、陪審員を務めることができないと説明した。弁護士は「バーレーンには困難な時期にマイケルを支えてくれた親しい友人がいる」という。兄弟の1人が同国の王子と親しいこともあり、既に同国の宮殿で生活していた[14]

 

ネバーランドの従業員47人に給料未払いで閉鎖命令と罰金

 2006年3月、カリフォルニア州の労働当局はマイケル(47歳)に対し、ネバーランドの従業員への給与未払いと、適正な保険に加入させていないという理由で、ネバーランドの事実上の閉鎖と約17万ドル(約2000万円)の罰金支払いを命じた。ネバーランドの管理にあたる従業員47人は、2005年12月から賃金を受け取っていないと申し立てている。当局は、給与支払いや保険の更新が行われるまで、邸宅で従業員を勤務させないよう命じた。この頃、マイケルは中東のバーレーンに滞在していた。当局は、敷地内にいる動物の世話を地元の動物管理局に依頼していた[15]

 

ネバーランドで火災

 2006年8月、ネバーランドの敷地内で火災が発生した。消防当局によると火事による負傷者は発生していない。サンタバーバラ郡消防当局の広報担当者は「入口から800メートル以内の場所で火の手が上がり、全敷地約2500ヘクタールのうち、16ヘクタールに広がった」と言う。この火災による負傷者はなく、飼育されている動物にも影響はなかった。鎮火のために約100人の消防員が動員された。マイケルはこの頃バーレーンに滞在していた。マイケルは歌手としての再起をかけてヨーロッパへ拠点を移し、新作アルバムを製作する計画を発表していた[16]

 

サッカーのベッカム選手にネバーランド購入を打診

 2007年1月、レアル・マドリードのMFデビッド・ベッカム選手(31歳)のロサンゼルス・ギャラクシー移籍が決まった。そして米国で新居を探しているビクトリア・ベッカム夫人に、マイケルがネバーランド売却を打診したと英紙サンが報じた。マイケルの関係者の言い値は1000万ポンド(約24億1000万円)であった。夫人は一度断ったものの、関心を持っていた。ロサンゼルスで有名セレブへの挨拶を続けるビクトリア夫人は、思わぬ大物からの打診に驚いた。買うつもりはないと慌てて断った理由は、ギャラクシーの練習場から遠すぎたことである。約250キロ離れており、通勤に車で3時間かかる。英国のベッカムの自宅の豪邸は「ベッキンガム宮殿」と呼ばれ、そこに迷路をつくっており、ネバーランドに「見学なら大歓迎」と興味津々であった。既に内装業者に「子供部屋はサッカースタジアムをモチーフに」と指示するなど楽しい新居づくりを目指していたため購入の可能性はあった。2005年5月に売却話が出た時には1950万ポンド(約47億円)の値が付いたが、打診はその半値であった。ベッカムはこの時、年俸60億円だったので購入可能な価格ではあった[17]

 

ベッカム選手↓

 

 

自信喪失し、世界で最も成功しているプロデューサーに依頼

 2007年2月、マイケル(48歳)が超大物プロデューサー、サイモン・フラー氏とタッグを組んで再起を目指していると、ニューヨーク・ポスト紙が報じた。同紙によると、マイケルはフラー氏とラスベガスで会った。その頃マイケルは自信をなくしていると言われていた。2006年、ロンドンで開催されたイベントでパフォーマンスをこなせずブーイングを受けたことが原因とみられた。そこで世界で最も成功しているプロデューサーに泣き付いたらしい。フラー氏の名声は世界中に轟いていた。スパイス・ガールズのマネジャーを務め、世界的人気グループに育てるなど、敏腕音楽プロデューサーとして頭角を現していた。音楽だけでなく、テレビ、スポーツの分野でも成功を収めている。アカデミー助演女優賞にノミネートされたジェニファー・ハドソンらを輩出した米人気アイドルオーディション番組「アメリカン・アイドル」の制作総指揮を務めた。当時デビッド・ベッカム選手の米国移籍を成立させた仕掛け人でもある。マイケルは3億ドル(約360億円)に及ぶ借金に苦しむが、フラー氏には十分勝算があるらしい。

 フラー氏の代表的なプロデュース(設立した会社「19エンターテインメント」によるものも含む)は、音楽ではスパイス・ガールズをはじめ、米英両国で次々とヒット曲をリリースした。ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタイン氏のセールス記録を破った。「ポップス界の錬金術師」の異名をとる。テレビでは2001年に英国でアイドルオーディション番組「ポップ・アイドル」を制作、それをベースに2002年、米国で「アメリカン・アイドル」を制作した。スポーツでは2006年にF1のホンダと5年契約でイメージ戦略を担った。ベッカム選手をロサンゼルス・ギャラクシーと5年総額2.5億ドル(約300億円)という巨額契約を成立させた。また夫人や子供を含む一家のグッズ商品、テレビ番組制作、アパレル商品など「ベッカム・ブランド」の戦略も担う[18]

 

ネバーランドのローン借り換え交渉の最終段階

 2007年11月、マイケルがローン滞納でネバーランドを手放す危機にあるとの報道について、マイケルのスポークスマンが否定した。スポークスマンのRaymone Bain氏は、マイケルは2005年に少年への性的虐待の容疑で起訴され無罪になって以降、ネバーランドに居住していないものの、ローン返済については怠っていないとの文書を発表していた。同文書には「公開された情報に反し、マイケルはローンを滞納していない。マイケルはローン借り換え交渉の最終段階に臨んでおり、ネバーランドを失うことはない」「マイケルの個人的な財政事情について、今後コメントは控える」と書かれていた。サンタバーバラ郡の米保険会社Fidelity National Financialの発表によると、マイケルは2006年に2300万ドル(約26億円)を借りており、返済の終わっていない残高が2320万ドル(約26億2500万円)あるという。芸能ニュース専門サイトTMZ.comは、マイケルがネバーランドをローンの担保に入れていると伝えていた[19]

 

26億円返済かネバーランド売却か

 2008年2月、マイケル(49歳)がネバーランドを競売で売却する可能性が出てきた、とFOXニュース(電子版)が伝えた。マイケルが約26億円の債務を返済しない限り、競売にかけられる。ネバーランド売却の話は過去に何度も出ていたが、今度こそ手放すらしい。マイケルは1987年にカリフォルニア州サンタバーバラの1000ヘクタールもの敷地に拠点を構えた。チューダー調の大邸宅、本格的な遊戯施設を持つテーマパークや、トラなどを含む動物園も建設した。

 ところが、夢の邸宅は相次ぐ児童への性的虐待容疑の舞台になった。マイケルは2005年6月、同容疑の裁判で無罪となって以降、ネバーランドには居住していない。そして同時期から何度かの売却報道が出ていた。報道によると、マイケルがネバーランドの維持費や裁判費用などで、350億円規模の負債を抱えていた。過去の報道は事実ではなかったが、このFOXニュースはネバーランドの競売が「公式文書の一部」に明記されていたと報道し、内容に自信を見せていた。その報道によると、競売はサンフランシスコの金融関係会社、ファイナンシャル・タイトル社がサンタバーバラ郡地裁に申し立てた。マイケルが抱える債務2452万5906ドル(約26億円)を返済しない限り、同年3月に競売が実施される。同社はAP通信に対し、ネバーランドが競売物件になる可能性を認めた。競売は、ネバーランド内の個人所有物すべてが対象となる。邸宅内の家具や電化製品だけでなく、メリーゴーランドなどの遊戯施設も含まれる。

 この報道について、マイケルの関係者は何もコメントしていない。2007年3月に東京都内で、1人40万円の入場料で300人と記念撮影するイベントを開催した。それでも競売を回避できなかったようだ[20]

 

ネバーランドの差し押さえ回避

 2008年11月、 マイケル(50歳)がネバーランドの所有権を、自身の会社と同不動産の債権会社に引き渡していたことが分かった。不動産記録によると、新しい所有者は「シカモア・バレー・ランチ・カンパニー」となっている。ある匿名の関係筋によると、同社は同不動産の債権約2400万ドル(約23億5000万円)を持つコロニー・キャピタルとマイケルとの合弁会社である。この関係筋は「コロニーとマイケルは一緒に多数の合同事業を進める意向」と言う。マイケルは同年5月にコロニー・キャピタルがニューヨークを拠点とする投資会社フォートレス・インベストメント・グループから債権を買い取ったことで、ネバーランドの差し押さえを回避した[21]

 

バーレーンの王子が6.8億円返還を求めて提訴

 2008年11月、バーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ王子がマイケルを契約不履行で470万ポンド(約6.8億円)返済を求める訴えを、ロンドンの高等法院に起こした。王子の弁護人によると、王子は2005年の児童性的虐待裁判の後、経済的に貧窮していたマイケルを金銭面で援助していたという。マイケルのスタッフからの依頼で、ネバーランドの公共料金として3.5万ドル(約340万円)を、その後も100万ドル(約9600万円)を支払ったこともあった。マイケルの裁判費用220万ドル(約2.1億円)も含め、王子がマイケルのためにさまざまな支払いを立て替えていたと、弁護人は主張する。王子はさらに、マイケルのミュージシャンとしてのキャリアを復活させようと、独自のレーベルでCDのリリースを予定していた。レコーディングは児童性的虐待裁判が結審した翌日に実施され、作詞作曲は王子が担当した。このCDの売り上げを2004年のスマトラ島沖地震による津波の被害者救済のために寄付する予定だったと、王子は述べている。この曲は法廷で公開される予定であった。王子はこうしたプロジェクトのためマイケルに事前に支払っていた必要経費470万ポンド(約6.8億円)の返済を求めて、訴訟した。

 一方、マイケルは王子から受け取った金銭は「贈り物だった」として、王子の主張を否定した。裁判所に出廷しなかったが、ロサンゼルスからテレビ電話で参加した。「王子は誤解している」などと述べ、2人の間には契約が成立したプロジェクトは1つも無かったと反論した[22]

 

競売決定:ネバーランドの入口の門が競売の目玉に

 2008年12月、ネバーランドの門からトレードマークの白い手袋まで、マイケルゆかりの品2000点が、2009年4月に競売にかけられることになった。ロサンゼルスの競売会社ジュリアンズによれば、出品されるアイテムはビバリーヒルズで1週間展示された後、4月21日から4日間の日程で行われるオークションに出品される。収益の一部は困窮したミュージシャンを支援する慈善活動に用いられる。出品アイテムの中で最大の目玉は1983年のヒット曲「ビリー・ジーン」を歌う映像の白い手袋であった。ネバーランドの入口にある門も注目を集めた[23]

 

 

 

 

ロサンゼルスの高級住宅地に月1000万円で1年間賃貸契約

 2009年1月、マイケル(50歳)が約3年ぶりに米カリフォルニア州に戻ってくる見通しとなったと、ロサンゼルス・タイムズ紙が報じた。マイケルの広報担当者によれば、マイケルはロサンゼルスの高級住宅地ベルエア(Bel-Air)地区にある超高級住宅を月額約10万ドル(約1000万円)で1年間借りる賃貸契約を結んだ。この物件はフランスのシャトー風建築の住宅で、寝室が7つ、浴室が13、暖炉が12、ミニ映画館などがある。広報担当者は「賃貸契約をする1年間に自分の夢の家を建てたいのかもしれない」と付け加えた。マイケルは児童性的虐待裁判後、バーレーン、欧州、ラスベガスなどを転々とし、2008年11月にはサンタバーバラのネバーランドの所有権を失った[24]

 

スリラーの映画監督、マイケルが印税を払わないので提訴

 2009年1月、マイケルの音楽ビデオ「スリラー」を監督した映画監督ジョン・ランディス氏が、マイケルを相手取り、スリラーのビデオやDVD、ゲームなどの過去4年間の利益のうち、半額を契約通り印税として支払うようロサンゼルス郡上級裁に提訴した。米メディアによると、マイケルは多額の借金を抱えており、200811月にネバーランドをロスの民間企業に譲渡した[25]

 

スリラー↓

 

 

マイケルがオークション中止を求めて提訴

 2009年3月、翌4月に開催予定のマイケルの私物オークションに関して、マイケルのプロダクションがオークション中止を求めて提訴した。4月22〜25日にビバリーヒルズで開催予定のオークションにネバーランドの門や白手袋など2000点以上の品が出品される予定だった。しかしマイケルのプロダクション「MJJプロダクション」がオークションに出品されるものは、他に代わりのない貴重な品で、大事な思い出として、ロサンゼルス郡上級裁判所にオークション中止を求める訴えを起こした。

 オークションを主催する競売会社ジュリアンズのマーティン・ノーラン氏は出品予定の品の展示会が行われているアイルランドでインタビューに応じ、「提訴には非常に驚いている」「MJJプロダクションが我々にオークションを依頼したのに、打ちのめされた気分。非常にショックだ」と語った。

 訴状によれば、MJJプロダクションのTohme R. Tohme社長は前年7月、オークション用の品をネバーランドから持ち出すようジュリアンズに連絡した。しかし、それらの品の写真付きリストをジャクソンとTohme氏が確認して、マイケルが必要なものとそうでないものを決定するまで、オークションは行わないと伝えた。

 一方のノーラン氏は、ジュリアンズはオークションに向けて、MJJプロダクションと密に連絡を取ってきたと語った。「訴状を見ていないので、現時点では何も分からない。MJJプロダクションと最後に連絡を取ったのは2日。マイケルが返してほしいと言ったロールスロイス3台を返却した」と言う。同氏はさらに「前月27日には要求があった絵画2点も返した。だから、なぜこんなことになったのか分からない」と語った[26]

 

マイケルの私物オークションの予想落札価格1020億円

 2009年4月、開催が待ち望まれているマイケルの私物オークションが予定通り行われる見込みとなった。同月13日に行われたマスコミ向け内覧会で、ハリウッドの競売会社ジュリアンズのマーティン・ノーラン氏が発表した。マイケルの所属事務所「MJJプロダクション」はオークション停止を求めて提訴したが、ロサンゼルス郡地裁は同月はじめ、この請求を棄却した。これとは別にジャクソンさん側が求めていた差し止め請求の審理は15日に行われる。ノーラン氏は「オークションは開催されると確信している。私たちは今回の展示に自信を持っている」とAFPに語った。有名な宝石が散りばめられた手袋や、革・クルミ材・24金仕様で特別注文されたロールス・ロイス製リムジンなどを含む膨大なコレクションの予想落札価格は1000〜2000万ドル(約10〜20億円)と見られていた[27]

 

 

 

 

4.マイケル死後の動き

 そして2009年6月25日、マイケルは50歳の若さで死去した。

 

CD売上500億円以上、借金400億円

 2009年6月26日、マイケル・ジャクソンが以前所属していたレコード会社「ソニー・ミュージック ジャパン インターナショナル」はアルバムやビデオなど世界の総売り上げが7.5億枚以上になると発表した。ダンスやプロモーションビデオなどで視覚に訴え、世界の音楽シーンに革命を起こした。晩年は少年虐待事件で逮捕、起訴され、浪費と借金などスキャンダルにまみれた。ニューヨーク・タイムズ紙は「驚きの一生」と振り返った。

 シングル&アルバムの売り上げだけで500億円以上を稼いだとされるものの、見たものすべてを買ってしまうほどの異常な浪費癖や豪遊癖があった。ネバーランドの維持費などで借金は400億円に膨らんでいたといわれる。2度の結婚と離婚をし、その間にもうけた3人の子供と一緒に暮らしたネバーランドを借金返済のために売却した。1ヶ月の賃料1000万円のお城のような豪邸で最期を迎えた[28]

 

長崎県のハウステンボスを気に入って買いたがった

 親日家だったマイケルが少年虐待疑惑の渦中の1993年に来日した際、プライベートで最も身近にいた日本人女性は、多くのアスリートを抱えるPR&マネジメント会社「サニーサイドアップ」の社長の次原悦子氏であった。同社には元サッカー日本代表・中田英寿選手をはじめ多くのスポーツ選手が所属した。1992年から3回の来日でマイケルファミリーの身の回りの世話などを担当した唯一の日本人が、マイケルと思い出を語った。

 1993年9月7日、少年虐待疑惑という大スキャンダルの中、マイケルは福岡ドーム公演のため福岡空港に到着した。AP、ロイター、CNNなどマスコミが世界中から集まった。その中で、兄のジャーメイン・ジャクソンの息子、親しい友人、ボディーガードら10数人の「マイケル・ファミリー」と常に行動を共にする謎の日本人女性が次原氏である。

 過熱する報道の中で、一部週刊誌などで「マイケルの親戚と結婚する日本人女性」と書かれたのが次原氏であった(報道は事実無根)。アメリカのマイケルの個人事務所から1992年の東京ドーム公演の際にプライベートでのコーディネーターの依頼を受けたのがきっかけだった。1992年の来日時は「とにかく東京を離れたい」とマイケルが希望したので、同年3月に開業したばかりの長崎県のハウステンボスを訪れた。「クリスタルドリーム」というガラスに映し出される映像と噴水による演出にすっかり魅了されたマイケルは突然、「これを買いたい!」「ネバーランドにあれを作りたい!」と言いだした。

 ハウステンボスを気に入り、翌1993年も福岡空港から直行した。少年虐待疑惑の直後なのでマスコミが殺到した。厳戒ガードでノーコメントを通したまま、好奇の目から逃れるように一息ついた。50年間の生涯のうちの40年間、パパラッチの標的となり続けた。日本滞在中に「ウォシュレットに興味を持って『エツコこれはどう使うの?』と聞いてきた。もみくちゃになっているファンの中に子供がいると『連れてきてあげて』と言って、抱きしめてあげた。児童虐待と言われていましたが、本当に子供が好きで大切に思う心を感じました」と次原氏は言う。ホテルの部屋には深夜でもかまわず世界中のファンから電話がかかり、どこへ行ってもファンとパパラッチに囲まれた。次原氏は「マイケルはいつも危険と隣り合わせで緊張感がいっぱい。こんな生活が毎日というのは普通ではいられませんよね。でも人間らしくて優しい人でした。時に子供のように無邪気で。そして寂しそうでした」と言う[29]

 

 

 

 

純資産225億円、ネバーランド31億円

 2009年7月、マイケル2007年3月末時点の純資産は約2億2660万ドル(約225億円)だったことが分かった。AP通信が、過去にマイケルの資産状況をまとめた会計事務所の文書を入手した。ネバーランドやビートルズ作品などの著作権を管理する会社の保有株、高級車、美術品などで540億円近い資産を持つ一方、314億円の負債があったとされている。当時の最良の資産は、会社の保有株で370億円(時価)、ネバーランドは31億円だった。マイケルが持っていた現金は約6500万円だったという。

 またマイケルの遺族の弁護士は、2002年に書いたとみられる遺言書の存在を確認したことを明らかにした。母キャサリンさんを3人の子供の後見人にすることや、チャリティーへの寄付などが書かれていた。遺族は本物かどうかを含めて調べている。

 マイケルの遺体は同月2日にネバーランドに移される予定であった。3日にはファンに遺体を公開して追悼式典を行い、5日には遺族のみでの葬儀が営まれるという[30]

 

上海版ネバーランド計画

 2009年7月、中国の開発会社がネバーランドを小型化した施設を上海の崇明島に建設する計画があると、チャイナ・デーリーが報じた。同紙によると、総事業費約1億元(約14億円)とみられる同プロジェクトの投資家は、2010年の上海万博開幕までに完成させたい。詳細は明らかにされていないものの、「上海版ネバーランド」は地元の環境に合わせ中国らしさを加味したものになる見込みという[31]

 

上海版ネバーランドは商工会議所企画の農業パークの一部

 2009年7月、ネバーランドのレプリカを中国・上海に近い崇明島に作ろうと、地元商工会議所らが企画していた。現地紙、上海日報によると、ネバーランドのレプリカを上海沖の島に計画されている農業関連の観光パークの目玉とする計画であった。同パークでは他に地方の伝統料理を味わったり、中国の伝統音楽を聞くコーナーなどが計画されている。浙江省温州市の商工会議所の代表は「ネバーランドなしの農業パークではあまりに当たり前でつまらない」「中国のファンが彼を懐かしむ場所を作るのはいい考えだと思う」と同紙に語った。ネバーランドを取り入れようという話が出たのは、前月ジャクソンさんが亡くなったからだと言う。本家ネバーランドは、動物園やテーマパークや、映画館といった部分に分かれているが、どの部分を再現するかは詳しく報道されていない。レプリカの規模は、本家の17分の1の66.7万平方メートルを予定し、2010年にも工事の第一段階は完了できるという。同商工会議所に加盟する実業家の1人は、すでにジャクソン家に近い筋を通して、レプリカ・ネバーランドのためのマイケルの遺品を購入できないか打診していた。ネバーランドがレプリカの建設に反対するのではないかという考えは、商工会議所内にはまったくないという。「マイケルさんの文化は世界全体の遺産。知的財産権の問題があるとは思わない」と、この実業家の女性は述べた[32]

 

 

 

 

ネバーランドの公園化構想、エルビス・プレスリー自宅は年収32億円

 2010年7月、ネバーランドを公園としてよみがえらせる計画が動き出そうとしていた。 当時ネバーランドは不動産投資会社とマイケルの家族が共同保有していた。州立公園の諮問委員も務めるアリス・ハフマン全米有色人地位向上協会カリフォルニア支部長から公園化の提案を受けたマイク・デービス州下院議員が「世界中の音楽ファンの目的地になる」と賛同した。同年8月に事業化が可能かどうか州下院で調査を始める。問題は火の車のカリフォルニア州財政であった。景気の落ち込みで税収不足で、州立公園を維持するだけでも精いっぱいで、とても巨額の予算でネバーランドを買収する余裕はなかった。デービス議員は「テネシー州でロック歌手の故エルビス・プレスリーさんの元自宅が年間3600万ドル(約32億円)を生んでいる例もある。官民の協力で運営すれば、州にとっても収入源になるかもしれない」と言う[33]

 

 

 

 

死後に映画やCD販売で248億円稼ぐ

 2011年10月、マイケルの死後、マイケルの映画興行やCD販売などから得られた収入が3.1億ドル(約248億円)に上ることが分かった。ロサンゼルス郡地裁に提出された資料を基に米メディアが伝えた。死去直前の復帰公演のリハーサル風景を描いたドキュメンタリー映画「THIS IS IT」が最も高収入に貢献した。全世界で2億6100万ドル(約209億円)の興収を記録した。未発表曲のリリースやグッズ、印税なども加算された。晩年には人気に陰りが見られたものの、「ポップの帝王」と呼ばれたマイケルへの関心が、急死をきっかけに再び高まったことが反映した。マイケルは浪費が激しく、4億ドル(約420億円)の負債を抱え、破産寸前の危機にあった。しかし約1億5900万ドル(約127億円)を返済した。遺産管理委員会はネバーランド牧場の改善資金も支払ったほか、マイケルの母キャサリンさんと3人の子供たちも養っている。法廷書類によると、2010年は一家の休暇旅行に11万5000ドル(約920万円)を支払ったという。マイケルさんは2006~2008年にかけて税金の支払いを怠っていたため、弁護士らが解決に当たっていた[34]

 

 

 

 

死後3年で借金400億円完済

 2012年7月、マイケルの死後3年で5億ドル(約400億円)と伝えられる借金を年内にも完済できる見通しとなった。芸能情報サイトTMZによると、マイケルの遺産管理団体が提出した書類で、同年5月末の時点で総収入が4億7500万ドルと判明した。マイケルは少年への性的虐待裁判での弁護士費用などで借金がかさみ、ネバーランドを手放すほどだったが、死後にアルバムの売り上げが急上昇した他、ドキュメンタリー映画の大ヒットで、多くの収入を得た[35]

 

ネバーランドが124億円で売りに出される

 2015年5月、ネバーランドが1億ドル(約124億円)売りに出されたと、不動産仲介業者が明かした。ネバーランドの所有者は変わり、名称が「シカモア・バレー・ランチ」(Sycamore Valley Ranch)に変更され、売りに出された時、動物はラマ1頭のみであった。同物件はある投資会社によってリフォームされ、複数の不動産業者が1億ドルでこの物件の買い手を探してたる。専門家らは、マイケルによる子供への性的虐待の疑惑がつきまとっていることから、物件の価格について楽観的との見方を示し、売り手の希望価格で売却するのは難しいとみている[36]

 

東京の会社が虚威の契約書を見せて違法なライセンス契約

 2016年10月、マイケルの遺産を管理する財団が東京都内の遊戯場運営会社を相手取り、「虚偽の契約書を見せて違法なライセンス契約を結んでいる」などとして、契約書が虚偽であることの確認などを求めた訴訟の判決が東京地裁であった。東海林保裁判長は財団の訴えをすべて認め、「財団から許諾を受けた」と表示しないよう命じた。訴えられたのは、「マイケル・ジャクソン・ジャパン」(東京都港区)である。判決によると、同社はマイケルのアニメ製作に関する権利を財団から与えられたとする契約書を偽造し、マイケルの氏名の使用権や肖像権を他の業者に許諾するなどしていた。訴訟で同社は反論しなかったため、判決は同社が財団の訴えを認めたとみなし、同社と財団の間に契約関係はないと判断した[37]

 

日本でマイケルのアニメ化すると偽って1000万円詐欺

 2017年3月、マイケルのアニメーション化事業の権利を譲渡する名目で、1000万円余りを詐取したとして、警視庁は会社役員の原定雄容疑者(66歳、東京都江東区東雲1丁目)と長男で別の会社社長の達也容疑者(40歳、港区六本木3丁目)を詐欺容疑で逮捕した。いずれも容疑を否認しているという。赤坂署によると、2人は2010年11月~2011年9月、都内に住むアニメ制作プロデュース業の男性(62)にマイケルの架空のアニメ化事業を持ちかけ、「二次使用権を与える」「契約金は1億円」などと嘘を言い、6回にわたって計1100万円を達也容疑者が社長を務める遊技場経営会社「マイケル・ジャクソン・ジャパン」名義の口座に振り込ませ、騙し取った疑いがある[38]

 

ネバーランド7割引、35億円に値下げして売り出す

 2019年3月、ネバーランドが大幅に値下げされて再び売り出された。価格は4年前の希望売却価格1億ドル(約110億円)より約7割引の3100万ドル(約35億円)であった。ネバーランドにはベッドルームを6部屋備えた邸宅に、3棟のゲストハウス、滝がある4エーカー(約1.6ヘクタール)の湖、テニスコート、複数の車庫や動物園が併設されている。代理人の一人、カイル・フォーサイス氏はネバーランドの大幅値下げの理由について「ロスオリボス周辺で数年続いた干ばつが不動産価格に影響を与えた」「施設の維持管理はしっかり行われている」「干ばつが終わり、サンタイネス・バレーが見頃を迎えている今が売り時」と言う。

 マイケルは1980年代にネバーランドを1950万ドル(約22億円)で購入したが、債務不履行に陥り、不動産投資会社が2008年に2250万ドル(約25億円)で買い取った。ネバーランドをめぐっては米ケーブルテレビ局HBOが同月、ネバーランドの屋根裏部屋や寝室、プールなどでマイケルから幼い頃に性的虐待を受けたと男性2人が証言するドキュメンタリー映画『Leaving Neverland』を放映する予定であった[39]

 

ネバーランド、22億円で売却

 2020年12月、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルなどはネバーランドが2200万ドル(約22.8億万円)で実業家に売却されたと伝えた。一時は1億ドルで売りに出されていたが、大幅に値下げされた。購入したのは投資会社の共同創設者ロン・バークル氏で、2000年代に仕事を通じマイケルと交流があった。つまりネバーランドは1980年代に約1950万ドルで購入し、2020年に2200万ドルで売れたのである[40]