(続き)

*長く考えて遂行されたアメーバブログの文字数オーバーにつき前後半に分けましたプー

上記の記事が前編です↑

 

*本稿の執筆者は、私ではなく、テーマパーク研究がご趣味の会社員のかたです。

*この方は研究者ではなく会社員ですので、アカデミックな文責を負いません。

 

 

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8.自前のホテルを持つTDRと持たないUSJとの収益性の差はない

 

TDRの直営ホテルは「ディズニーランドホテル」「アンバサダーホテル」「ミラコスタ」と3つあるがオリエンタルランドの大きな収益源となっている。

しかしながらUSJは、提携しているホテルはあるものの、直営ホテルをもたない。

そのことが、TDRがUSJよりも経営が安定しているように誤解していることが多い。

しかし、テーマパーク周辺のホテルにおいて、提携していくことによるプレミアムは直営していることによるプレミアムと等しい。

何故なら、テーマパーク周辺の公認ホテルはキャラクターのイラストが各部屋にあったりするので、その料金が宿泊料に加算されている。

ここのプレミアムは各パークの人気度に左右されるものであり、これは所有かそうでないかは無関係である。

 

テーマパークに近い一般のホテルが8,000円で、公認や直営が10,000円だとすると、差額の2,000円がプレミア料となりこの分は所有していないUSJが当然受け取る対価である。だから、TDRが公認料を受け取り、全く別の場所で一般ホテル経営をしても基本的に同じことである。また、ホテル事業には巨額な投資が必要であり、駅前の好立地の条件以外のテーマパーク周辺はそのパークの人気に左右され、それなりのリスクを採る必要がある。USJはホテル事業に回す資金をアトラクションの建設に回している可能性もあり、その方が安定して集客が出来るため、プレミアム料を安定して得られる結果となる。

 

 

(写真:フロリダ州のディズニーワールドで筆者撮影ちゅうすけ

あ〜、思い出すプーまた行きたいプー

 

9.リスク選考の変化に伴うテーマパーク市場の拡大

 

投資家がリスクとリターンの選考にあたり投資家の所得水準により選考基準が変わってくる。

投資家の所得水準が低い場合には当然支出額が低くなり(ローリスク)それに伴う収入(ローリターン)になる。

そのため投資家は必然的に収入の多さに引かれギャンブル走る傾向がある。

しかしながら、その人の所得からすれば過度な投資であっても全体の投資額からすると低く(ローリスク)となってしまう。

投資の理論である2パラメータアプローチからするとローリスク・ハイリターンというものとなり長期的には成立しない。

よって所得水準が上がるにつれ競輪・競馬(カジノ・宝くじ・パチンコを含む)などの公営ギャンブル市場は先進国になるにつれ衰退していくことになる。

次に国が政策的な思惑で中間所得者層を厚くしようと工業化の政策を採ることになる。

本来資本家は事業が失敗した場合には、損失を全ての資産を投げ打ってでも弁済しなければならなかった。

しかし、工業化には莫大な設備投資が必要である反面、製品には均一化(標準化)がもたらされ、規格大量生産を行うことが出来るようになった。

その時の供給量は購入者の所得水準に合うまで増産される。そのため投資家のリスクを減少させるため払込資本を限度とする「株式会社」制度を認めた。

ここでは、品質競争よりも価格競争が求められ、また各国が公正取引委員会などで独占禁止法に抵触する事象等を厳しくチェックしていくことになる。

しかしながら、国民所得がより向上していくと人件費等の高騰により価格競争に敗れ工業化(標準化)による恩恵を受けられなくなってくる。そのため、市場原理に捉われない希少価値を産む産業に転嫁しなければならない。

いわゆるハイリスク・ハイリターンへの挑戦である。しかしこれは、ダムや空港道路などの国策として行うものではない。

何故ならインフラはハイリスク・ローリターンであり通常の状態では長期的になりたたないものであるからである。

 

10.宗教的偶像崇拝から自ら生み出す満足度へ

 

マズローは5段階欲求説のなかで最上位に「自己実現欲求」を上げている。

これは豊かな社会に生きる人々が最終的に選択する道ということである。

下位グループ位置づけされている「生理的欲求」や「安全欲求」は人間以外の動物でももっているものである。

しかしながら、文明社会から産業化社会になるなかで「社会的欲求」と「尊厳欲求」は宗教的関係と結びつき発展することができた。

たとえば、ある男が安全を求めて社会の一員となり、努力すればリーダーとして認められ人から尊敬される将来の姿があるとされていた。

過去「安全」現在「社会」未来「尊厳」が時系列でまとめられ想像し得る幸せが見えていた。

宗教では基本的には指導者と信者という関係になる。

指導者が創ったルールを元に信者は疑うことなく従い行動してゆく。

そして、疑問を持たず常に強い信心を持った者が上位の役職となっていく。そして、労働で得た所得を惜しげもなく捧げそれが良い行いといいより上位に行くように指導する。

しかしながら、この様なネズミ講的な組織はいずれ崩壊する。

何故なら一部の信者が自ら指導者となりたがる者が出てくる。

そして分裂を繰り返しながらいずれは無くなっていくのである。

それは、幸せになっていく人は他人の指導を実行し続けるのではなく、自ら考えて行動していく人に他ならない。

宗教者的指導者は「人は一人では生きていけない」と言っているが、そんなものは当たり前のことで、集団離れさせないための詐欺的行為である。

現在SNSなので最低限の情報を簡単に得られることで、人間の最大の恐怖である「孤独」を回避することができる。

宗教的「所属・尊厳社会」は物質的豊かさと、科学的教育と、ネットワークの結びつきの中で消滅していくことであろう。今の日本は「尊厳社会」から「自己実現社会」へと移りつつある。現に日本では形式的宗教以外は消滅している。

また、日本人は戦後「会社」への依存度が高く、「所属」することにステータスがあった。

そのために自分の生き方を否定しても所属することにこだわらなければならなかった。

 

さて、話は横道にそれたが現在の日本のアーティストの活躍は、豊かさによりリスクを許容する余裕が出来、また社会保障の充実や転職の一般化により趙戦できる人口が増えてきたからと思われる。テーマパークには運営する人たちの高い能力が必要不可欠である。