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[論文の書き方]テーマパークと遊園地の違い・定義
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倉敷チボリ公園が2008年に閉園しました。
その失敗を創業社長のお孫さん(高校3年生)が論文にまとめて発表し、毎日新聞社賞を受賞、その記事が掲載されていると知人からの連絡で知りました
私のコメントや分析は記事の次に書きます。
本稿は経済学部、経営学部、商学部の学生さんにお勧めです。
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毎日新聞「倉敷チボリ公園 元社長の孫が失敗分析 高校生が論文発表」(2017年5月12日)
2017年5月14日アクセス https://mainichi.jp/articles/20170512/k00/00e/040/223000c
2008年末に閉園した倉敷チボリ公園(岡山県倉敷市)の失敗原因について、運営会社社長の孫で甲南高校(兵庫県芦屋市)3年の志鷹依蕗(したか・いぶき)さん(17歳、同県西宮市)が論文にまとめ、昨年度の「第20回図書館を使った調べる学習コンクール」(図書館振興財団主催)で優秀賞・毎日新聞社賞に選ばれた。志鷹さんは「祖父が当時語ることができなかった苦労を知ることができてよかった」と話している。
論文は「『第三セクター』から『第四セクター』へ」。まず、全国のテーマパークを経営主体に着目して比較した。当初から民間が運営する東京ディズニーランド(TDL、千葉)は成功を続け、第三セクターでスタートしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪)とハウステンボス(HTB、長崎)は経営不振に陥ったものの、民間運営に切り替えて巻き返したと指摘。一方、岡山県と倉敷市が大株主の第三セクター「チボリ・ジャパン」(TJ)が運営を続けた倉敷チボリ公園は閉園に追い込まれたとした。
その上で、第三セクターによる運営は、リピーターを増やすための新アトラクションの設置など追加投資に積極的な民間企業と、公共性を旗印に税金投入に消極的な自治体の思惑がぶつかると主張。「公共としての行政と、利潤を求める企業との間で綱引きが始まると、事業そのものが行き詰まる」とし、第三セクター方式のテーマパーク運営が地域活性化に寄与しないメカニズムを浮き彫りにした。
さらに、兵庫県西宮市で地元自治会が中心となって運営しているコミュニティーバスを実地調査したことを紹介。行政にも企業にも依存せず、地域住民が主体となった上で行政にも支援を求める「第四セクター」構想を提案している。
論文は高校の授業の一環として取り組んだ。当初はテーマパークを題材に考えていたが、調べるうちに第三セクターに関心を持った。そこで、TJで最後の社長を務めた祖父の坂口正行さん(77歳、西宮市)に「倉敷チボリ公園はなぜ閉園したのか」と質問したところ、坂口さんがスクラップしていた倉敷チボリ公園に関する毎日新聞岡山面の連載記事(計40回、08年9~12月)や雑誌記事を渡され、「何が成功と失敗の分かれ目になったのかを自分なりに考えて」と助言された。このほか、県の「倉敷チボリ公園事業検証委員会」の報告書や図書館で借りた他のテーマパークに関する書籍を参考にし、論文を執筆したという。
坂口さんは「自分の目で見つめて論文にまとめてくれたことに大変感激している」と孫の力作に目を細めている。
倉敷チボリ公園
倉敷チボリ公園は1997年7月、JR倉敷駅北側のクラボウ工場跡地で開園した。デンマークにある世界最古のテーマパーク・チボリ公園と提携し、約12ヘクタールに観覧車など約20種の遊具や遊覧ボートのある人工池を配置。デンマークの古い街並みを模した専門店街もあった。
元々、岡山市制100周年記念事業として同市内で計画されていたが、当時誘致を進めていた第三セクターの不明朗会計などが問題となって頓挫。その後、県が主導して開園した。年間の入園者数200万人を目標に掲げたが、4年目にこれを割り込むなど業績不振に陥り、2008年12月末で閉園した。
ホテル社長だった坂口正行さんは06年、石井正弘知事(当時)に請われて運営会社「チボリ・ジャパン」の社長に就任した。デンマークの本家と契約更新交渉をし、社員とともに経営改革に尽力した。しかし、県が突然方針転換して閉園に向けて走り出したため、県と激しく対立。最後は遊具の売却など円滑な閉園作業や社員の再就職に力を注いだ。
県の「倉敷チボリ公園事業検証委員会」の報告書は「極めて困難なビジネスモデルだった」と指摘し、苦い経験を真摯に受け止めて教訓を県政に生かすように求めた。
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(私の見解)
倉敷チボリ公園はデンマークのチボリ公園を日本に誘致したテーマパークでした。
私はこれについて以前少し調べましたが、あまり情報を得られず、論文一本分になるほどのデータが無く、あきらめました。
今回創業社長のお孫さんが学校の論文の授業をきっかけに調べて毎日新聞の賞を受賞されたそうです。
おめでとうございます。
高校生でこれを調べるのはそうとう苦労したと思います。
私もそうですが、調べていてもほとんど資料が出ないです。
論文せめて研究ノート1本に耐えうるデータが出ないと書きようにないです。
デンマークのチボリ公園は、アメリカのウォルト・ディズニーがディズニーランドを設立する際、世界中のレジャー施設を見学して回りました。
それで世界で唯一参考にしたのがこのデンマークのチボリ公園だそうです。
清潔で明るい雰囲気の園内は当時のレジャー施設としては画期的だったそうです。
それを日本の倉敷に誘致したのですから、成功間違いなしな響きですが、そうはいかなかったようです。
上の記事によると、倉敷チボリ公園は岡山市の市制100周年記念事業として計画されていましたが、不明朗会計事件で頓挫し、岡山県が主導して誘致し、開園に至りました。
同園の運営会社の社長は坂口正行氏で、地元でホテル経営者でした。
確かにテーマパークは隣にホテルを経営しているケースが多いです。
どちらもホスピタリティ産業、観光産業に属しますが、似て非なる事業です。
どちらかというと、ホテル事業の経営能力の方が汎用的で色々なところで生かすことができます。
でもテーマパーク事業の経営能力は特殊性が高いです。
換言すると、他の観光産業、ホスピタリティ産業で成功した人であってもテーマパーク事業は非常に難しい事業、成功しにくい事業です。
倉敷チボリ公園も、別の事業で地方の名士になった人が頼まれてテーマパークを創設したことが分かりました。
長崎オランダ村とハウステンボスの創業社長の神近義邦氏(1942年生まれ)や宮崎県のシーガイアの創業社長の佐藤棟良氏も、別の事業で地方の名士となり、頼まれて開業しています。
フェニックスシーガイアの佐藤棟良氏の略歴
http://www.seagaia.co.jp/japanese/guidance/information/20150810/817/
倉敷チボリ公園の話に戻します。
日本では、東京ディズニーランド(TDL)開業の1983年以降、テーマパークは常に追加投資を必要とする過酷な産業に変わりました。
TDLが日本ののんびりした遊園地業界を激しい競争の業界に変えました。
これについてはこの本↓に詳しく書きました。
![]() |
テーマパーク産業の形成と発展
Amazon |
本家デンマークのチボリ公園はどういう経営状態か分かりませんが、日本ほどテーマパーク業界が熾烈な競争ではないはずです。
テーマパーク産業で世界一の先進国はアメリカ、二位は日本、日米で世界市場を牽引しています。
大きく差が開きますが、三位が韓国、四位が中国です。
中国の追い上げは激しいものの、香港ディズニーランド、上海ディズニーランド、ユニバーサル・スタジオ北京、スピルバーグ監督の映画テーマパーク計画など、供給過剰なだけで、需要が追いついているか甚だ疑問です。
経済成長するとテーマパークの供給が急増しますが、需要が合わせて増加するかはそのテーマパークの魅力と国民の経済力によります。
ヨーロッパの大型テーマパークはフランスのディズニーランド・リゾート・パリだけです。
他は中小規模のテーマパークだけで、ヨーロッパ人は日米ほどテーマパークに行くのが好きじゃないようです。
つまりデンマークのチボリ公園には強力なライバルがいないのです。
倉敷チボリ公園の創業社長のお孫さんの分析によると、第三セクターによる運営は公共性を旗印に税金投入に消極的な自治体の方針がネックになります。
公共としての行政と、利潤を求める企業との間で綱引きが始まると、事業そのものが行き詰まるため、第三セクター方式のテーマパーク運営が地域活性化に寄与しないメカニズムを主張されています。
民間企業のテーマパークは常時追加投資して魅力を上げ、リピーターを増やしていきます。
ただ高校生なので仕方ないのですが、民間企業のテーマパークとしてディズニーやユニバーサル・スタジオやハウステンボスなど大手のみ考えていると思います。
民間企業のテーマパークでも、お金がなさ過ぎて追加投資できないところの方が多いです。
第三セクターでなくても、追加投資に消極的なテーマパークが多いのが現状です。
私が色々な企業や人の相談を受けるようになって気づいたことですが、日本人がテーマパークと言うと、ディズニーを思い浮かべています。
どうやら東京ディズニーリゾートを経営するオリエンタルランドを頭に浮かべて、「うちの会社もテーマパークに多角化したい」と言っていることに気づきました。
オリエンタルランドは特殊な成功事例です。
あれが世界の標準ではないです。
私はテーマパークを新設したい人や企業の相談を聞いていて気づきました。
テーマパークは遊びに見えるようで、なめてかかる人ばかりだと。
遊びに見えるのはエンターテイメント産業だからであって、そこに遊びに行くことと違います。
テーマパーク事業は非常に難しい事業です。
テーマパークが簡単に参入できるように見える二つ目の理由は、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオがチェーン店に見えるからです。
確かにチェーンですが、コンビニチェーンや飲食チェーンと違います。
ネット情報で恐縮ですが、ラーメン店は家賃5〜6万円・敷金礼金2ヶ月ずつ、居抜きなら開店資金100万円でなんとか開業できるそうです。
またフランチャイズのように本部の人に指導してもらえて初心者でも開業できると思っているのかも知れません。
倉敷チボリ公園がどのような契約だったのか分かりませんが、デンマークのチボリ公園からフランチャイズ(例えばセブンイレブン)のように指導してもらえたのでしょうか。
コンセプトを使う権利のみ購入した、または著作権使用料を支払うだけで何も指導してもらえなかったなら、どう経営していいか分からなくて苦労したでしょう。
ノウハウも重要ですが、テーマパーク経営は資金調達力によります。
テーマパークは高額な事業です。
それはアトラクションの値段が高いことによります。
絶叫マシンは一基20〜30億円はします。
私の知る限り最も高額な絶叫マシンは富士急ハイランドの高飛車で、55億円です。
オリエンタルランドとUSJの高額アトラクションはもっと高額で、一基100億円以上のものがたくさんあります。
USJのスパイダーマンが140億円、タワーオブテラー210億円、トイストーリーマニアが200億円くらいだったと記憶しています。
学会で発表するたび驚かされますが、オリエンタルランドは人気テーマパークだから自然に投資資金があるのではありません。
努力で資金を捻出しています。
決して一度人気テーマパークになれば自然に売上を確保でき、その中から追加投資資金を出せるのではありません。
ディズニーが経営努力で成功したと感じさせない理由は、ウォルト・ディズニーが生前「ディズニー・マジック」という言葉を好んで使っていたこと、そのまま使い続けていることによるでしょう。
とはいえ、高校生の授業の一環の論文としてはよく書けているのだと思います。
第三セクターといえば、官民一体ゆえに赤字を税金で埋め合わせるのか、その余裕がないため経営難に陥っても放置するのか、ある程度で経営破綻します。
バブルのきっかけの一因と言われるリゾート法(1987年施行)により、日本中に第三セクターのテーマパークができましたが、どこも悲惨な状態でした。
第三セクターでは市役所職員がホスピタリティ産業、エンターテイメント産業に参入するので、ウォルト・ディズニーのようなセンスはとてもありません。
市役所職員の発想は地味です。
しかも60歳までぶら下がれればいいと思っている人が多いはずです。
ウォルト・ディズニーが属していたコミュニティはハリウッドです。
ハリウッドはアメリカの映画製作の拠点で、アメリカンドリームの象徴です。
センスも感性も行動も性格も派手で華やかです。
エンターテイメントのセンスが必要になります。
しかもハリウッドは極端な成果主義、能力主義、実力主義で成功者は巨額報酬を得られ、セレブになれます。
それ以外の人は低賃金、長時間労働、重労働で、ある程度で限界に達して辞めていきます。
でも日本企業に極端な成果主義は適さないので、バブル崩壊後にブームになりましたが、そうとう減ったはずです。
そう考えると、アメリカのディズニーランドは成果主義で成功したのに、日本のディズニーランドは成果主義じゃないのに成功しました。
これがなぜか気になります。
倉敷チボリ公園から脱線したのでここまでにします。
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倉敷チボリ公園の動画
この動画↓にありますが、2000年に天皇皇后両陛下が来園されています