スタジオジブリがトヨタ自動車本社に開設した

「西ジブリ」とは何か

 

中島 恵

 

 ジブリ解散説を耳にし、驚いて調べ始めたら「西ジブリ」の存在を知った。何かと思えば、スタジオジブリがトヨタ自動車本社に設置した新スタジオであった。しかしそれは2009年4月に開設され、2010年8月に閉鎖された。なぜ閉鎖されたのかどこにも掲載されていない。日経テレコンで検索するも出てこない(2017年2月1日検索)。

 なお、筆者は主としてディズニーランドなどテーマパークの経営戦略を研究している。宮崎駿監督が日本のウォルト・ディズニーと呼ばれていること、三鷹の森ジブリ美術館という小規模なテーマパークを経営していることを知ってから、スタジオジブリ(以降ジブリ)の研究もするようになった。

 

l   若手アニメーター育成に迫られたジブリ

 

 2009年4月、スタジオジブリは愛知県豊田市のトヨタ自動車本社の一室に新スタジオ「西ジブリ」を新設した。今までにない環境で若手の育成というジブリの意向をトヨタが受け入れスタートした。

 西ジブリには若いアニメーター22人がアニメーションの基礎を学ぶ。東京のスタジオから派遣された5人のベテランアニメーターの下、動画や作画の基礎をたたき込まれた。宮崎駿監督も5回ほど講義を担当した。彼らは同年9月からは東京に移り、先輩アニメーターと三鷹の森ジブリ美術館で上映予定の短編アニメの制作に取り組む予定であった。ジブリの制作現場で働く社員は約120人で、その2割にあたる新人の採用は英断であった。宮崎監督も「賭けに出た」と言う。若手スタッフの育成はジブリにとって大きな課題であった。事務職員を含む約160人の社員の給与を支給しながら、宮崎監督や高畑勲監督の映画を制作する。費用と日数のかかる両監督の作品と若手監督の小・中規模作品を車の両輪とするのが理想だが、増える作業量に対応できるスタッフを補充しなければならない。ジブリ開設以来25年、スタッフの高齢化が進んでいた。西ジブリの望月雄一郎所長も「毎年平均年齢が上がると、ムードが沈滞していく。若い人を投入して、スタジオを活性化できないか」と危機感を募らせていた。作業が立て込む時には外部に発注することもあるが、宮崎監督自身も「日本のアニメーターの数には限りがある。自分たちがリスクを負って、新人を育てないといけない時期にきている」と考えている。ジブリでは新作の準備も進む。そこでの活躍が西ジブリ出身の若手にも期待される。一般大学を卒業し、西ジブリに応募した秋田雅子氏は「仕事の質を落とさないように、大勢の人がものすごい仕事をこなしている。私も必死になるしかない」と言う[1]

 宮崎駿監督による後輩アニメーターの人材育成については前著(2013)で述べた。宮崎駿監督は天才的なアニメーターなのでできない人がなぜ出来ないのか分からず、人材育成は得意ではないとされている。仕事に対して非常に厳しいので耐えられないアニメーターの離職率は高いと言われている。宮崎駿監督(1941年生まれ)、高畑勲監督(1935年生まれ)ともに高齢になってきているため、次世代の育成が必要である。しかし宮崎駿監督に言いたいことを言える人はジブリ内で二人だけ、高畑勲監督と長男の宮崎吾郎監督だけとされている。宮崎駿監督に耐えられるのも上記の二人だけで、後続の監督が育ちにくいとされている。

 

l   ものづくり志向のジブリとトヨタ

 

 スタジオジブリ代表取締役社長の星野康二氏は2009年3月、次のコメントを公式HPで発表した[2]

 

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(原文のまま記載)

 スタジオジブリは、本年4月より新スタジオ“西ジブリ”を開設することになりましたので、ここにお知らせいたします。
 スタジオの場所は、これまでも一部で報道されておりますように、愛知県豊田市です。ただし自前の建物を調達するのではなく、トヨタ自動車本社内の建物の一部屋を賃借し、開設いたします。その中には、新人アニメーターと指導者的立場のアニメーター、合わせて30名弱が2年間の期限付きで常駐し、アニメーターの育成と三鷹の森ジブリ美術館で上映する短編映画の制作を目指します。もちろん、宮崎駿監督を初めとする本社スタッフも定期的に通い、指導に当たることになります。これは、もちろん、トヨタ自動車さんの全面的な理解と協力があってのものです。

 自動車会社の建物の中でアニメーションを制作する。この一見、無謀とも思える発想が生まれた経緯は2006年にさかのぼります。
 この年の11月、鈴木プロデューサーを初めとするジブリスタッフは、トヨタ自動車本社内にあった、パーソナルモビリティi-REALの開発現場を見せていただく機会がありました。そこで、鈴木プロデューサーが目にしたものは、まさに“ものづくり”の現場でした。コンピューターやロボットがずらりと並んだクリーンな環境だとばかり思っていたのに、そこは、まるで町工場のような手作りと知恵に満ち溢れた現場だったのです。
 スタジオに戻って宮崎監督にそのことを話すと、監督は大変興味を持ち、「そんな環境で新人の育成ができたら」と考えたのです。ただ、監督はその時すでに「崖の上のポニョ」の制作に入っていたので、その制作の傍ら、西ジブリの構想を練り続けていたのでした。
 2007年12月、無茶な提案だということを承知の上で、固まってきた西ジブリの構想をトヨタ自動車側に伝えると、案に相違して、それは双方にとってプラスなことではないかという肯定的な返事をいただくことが出来たのでした。

 今回のスタジオ開設によって得られるものとして、スタジオジブリにとっては、世界最高の自動車開発現場の真っ只中で作業を行なうことによる外的刺激や緊張感が、新人の育成や作品にプラスになると信じています。また、スタッフ同士が食堂を同じくすることで新たな交流が生まれることも想定しています。これらの刺激は、きっと何らかの形で魅力的な映画づくりに結びつくと信じます。

 今回の“西ジブリ”開設が、単なるチャレンジに終わるのか、はたまた大きな成果を生むのかは誰にもわかりません。ただ、何らかの投資が必要なわけではなく、いわば、お互いが懐を開いて少しだけ歩み寄ってみることだけで実現できるチャレンジなのです。
 このような考え方の一致から、トヨタ自動車さんとスタジオジブリは、“まず動く”ことを選択しました。小さなチャレンジからでも、大きな夢を見ることができると信じて。

 

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 星野社長のコメントをまとめると次のようになる。

 2006年11月、ジブリの鈴木プロデューサー等が愛知県豊田市のトヨタ自動車本社にあったi-REAL[3]の開発現場を見学した時、小ぎれいな会社かと思えば、予想に反して泥臭い知恵と工夫の町工場のような開発現場を目にした。スタジオジブリに戻ってから宮崎駿監督に話すと、興味を持ちそのような環境で新人の育成をしたいと考えるようになった。トヨタ自動車に申し込むと好意的な返事をもらった。2年間限定で場所を本社ビル内に賃借し、新人アニメーターと指導者的立場のアニメーター、計30名弱が常駐し、アニメーターの育成と三鷹の森ジブリ美術館[4]で上映する短編映画を制作する。どういう発展するか分からないのでまず行動する。①場所の賃借、②トヨタ自動車の全面的な理解と協力がある、と言う2点から、どう転ぶか分からなかったけれどトヨタ自動車内に西ジブリを開設した。

 トヨタ自動車75年史にも西ジブリに関する記述が若干ある。それによると、「スタジオジブリの鈴木プロデューサー・宮崎監督とのご縁で技術部内に西ジブリを開設(2009年4月~2010年8月)したことに加え、技術部エンジニアに向けた感性開拓講座の実施により、「感性磨き」、「日本独創」のより深い理解、実践を可能とする活動を展開している。これらにより、"モノづくり"がさらに先鋭化されるというスパイラルが継承されることと考えている。[5]

 アニメづくりはものづくりという発想は前著(2013)で説明した。宮崎駿監督は職人気質で「ジブリは町工場、中小規模の町工場でないといいものを作れない」と言う。ウォルト・ディズニーは職人ではなく、芸術化志向で途中からプロデューサーとしてビジネス志向に変わっていった。日本のウォルト・ディズニーと言われることについて、宮崎駿監督は「ウォルト・ディズニーはプロデューサー。ぼくは現場のアニメーターなので、比較されても困る。オールドナイン(ディズニーアニメのパイオニアである9人のアニメーター)のことは尊敬している」(鈴木, 2008, 111頁)と言っている。宮崎駿監督は職人気質、ものづくり志向なのでトヨタ自動車の泥臭い開発現場を好んだのだろう。

 

西ジブリ開所式の様子(宮崎駿監督)

出典:トヨタ自動車75年史「企業価値創造」2017年2月2日アクセスhttps://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/products_technology/research/creation/details.html

 

まとめ

 

 2010年8月、西ジブリを閉鎖とスタジオジブリ公式HPの社史に載っている。閉鎖した理由等は一切書かれていない[6]。トヨタ自動車のHPにも閉鎖理由が無い。ジブリの星野社長によると、最初から2年間限定でスタートした。しかし実際は1年4ヶ月で閉鎖されたため、予定より8ヶ月ほど早い閉鎖であった。

 早い閉鎖理由を推測すると次のようになる。①泥臭いものづくりの現場という点は一致していたが、アニメ制作および若手アニメーター育成と自動車開発製造に共通点が少なく、シナジーが生じなかった。トヨタ自動車の社員と社員食堂を共にすることによる交流とシナジーが期待されたが、特に生じなかった。②トヨタ自動車の協力により相場より定額の賃料だったのであろうが、それでも賃料が高額であった。③東京都三鷹市のスタジオジブリから講師を派遣する交通費など経費がかさんだ。講師派遣のコストを考えると、三鷹市周辺につくった方が効率がいい。ジブリに地域性が無いことが一因だろう。例えば、お笑い芸人の事務所、吉本興業[7]は大阪本部、東京本部、札幌事務所、東北事務所(仙台市)、福島事務所、新潟事務所、静岡事務所、東海支社(名古屋市)、広島事務所、四国事務所(松山市)、福岡支社がある。東京および地方テレビ局での仕事があるから全国に拠点を置くのだろう。西ジブリに愛知県周辺から発掘した人材を集結させたいわけではないだろう。製造業は製造拠点や開発拠点を物価の安い海外に移す。東京都三鷹市周辺と比べて愛知県豊田市周辺では物価がほぼ同じである。

 

<参考文献>

l   鈴木敏夫(2008)『仕事道楽』岩波書店

l   中島 恵(2013「スタジオジブリの三鷹の森ジブリ美術館」『テーマパーク経営論−映画会社の多角化編−』92−108頁

 


[1] 2010/08/27 東京読売新聞 夕刊9頁「[ジブリの軌跡](8)トヨタ本社に「西ジブリ」(連載)」

[2] 「スタジオジブリ新スタジオ “西ジブリ”設立について」(2009年3月2日)2017年2月2日アクセス http://www.ghibli.jp/info/005681/

[3] i-REALとはフロント2輪、リヤ3輪のパーソナルモビリティ(一人乗りで走行)である。2009年にグッドデザイン・フロンティアデザイン賞を受賞した。トヨタ自動車「TOYOTA DESIGN」デザインアワード/ i-REAL 2017年2月2日アクセスhttps://www.toyota.co.jp/jpn/auto/toyota_design/award/i_real/

[4] 三鷹の森ジブリ美術館(東京都三鷹市)の創業から運営については、前著(2013)「スタジオジブリの三鷹の森ジブリ美術館」に詳しい。

[5] トヨタ自動車75年史「企業価値創造」2017年2月2日アクセスhttps://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/automotive_business/products_technology/research/creation/details.html

[6] スタジオジブリ「スタジオジブリの年表」2017年2月2日アクセス http://www.ghibli.jp/chronology/

[7] 吉本興業株式会社「事業所一覧」2017年2月2日アクセス http://www.yoshimoto.co.jp/corp/info/companies.html