寒さ厳しい毎日が続いていますが、如月に入り、節分、立春と、少しづつ春に向かい始めます。
春よ来い、早く来いと願いながら、寒さの中での稽古の日々が、今しばらく続きそうです。

 さて、合気道では、まずは、一教、入り身投げ等、形(かたち)を通して稽古を行ないます。
初段までは、いろいろな形を覚える、浅く広くの練習であり、
初段からは、深く、技を修錬していく稽古になります。
 しかし、初段にもなると、いつもの稽古相手だと、相手の動き動きを先回りして、
抵抗するということを見受けます。
 形にこだわり、投げられまいぞという気持での稽古は、頑張り合いでしかなく、
体を動かし、温まるのにはいいでしょうが、
お互いに、痛め、痛められだけでは、合気道の稽古とは言いがたいのではと思います。
力づくで相手を倒して満足していないかと考え、
相手が気持ち良く倒れる道を探すことが大切なのではと思います。
 また、初段以上になると、初心者に教えたくなる人が多いように感じます。
満足してしまっては、そこが頂点。後は下りるだけになってしまうと思います。
稽古は、自分の問題点を、稽古相手に試させてもらうものであると言われます。
教えるということは、この試させてもらう機会を自ら放棄していることになるのではと思っています。
稽古は人のためならず、であると思います。

 合気道が上達しようとこの形の稽古をするですが、
その形の稽古の向こうには何があるのでしょうか。
 開祖は、合気道は宇宙万世一系につながる、自分の中の小宇宙と大宇宙とを一つにする、
というようなことを言われたと聞いています。
 相手と一つになる、相手を自分の体の一部のように感じる稽古、
そして、大宇宙とつながる稽古ができないないものか、
と、最近は、考えている次第です。