先日、道兄のI先生から、「合氣道」という本を拝借し、読んでいます。
この本は、二代目道主 植芝吉祥丸先生が書かれ、開祖が監修された本で、昭和32年に上梓されたものを、平成8年に復刻版として出されたものです。
 過日、筆者は、「後の先」といったことをこの「而今」に書きましたが、理解不足であったようです。
 この本の中で二代目道主が書かれていたことを抜粋して、ご紹介したいと思います。

「開祖は、常々門下生に対し、『先などという語を口にする間は、まだまだ道の門にも到らず、と言わねばならぬ。合気道には先も先々の先もない。自己が動く処、相手が喜び勇んでついてくるようになるのである。』とといている。
(中略)
 なおここに一言注意して置きたいのは、合気道の技法修練は、動もすれば一見「後の先」のみのような感じを与え勝ちであるが、それは皮相の感であって、底知れぬ深淵には仇波はたたぬ、その真実のところは正しき修練を積むに従い自ら会得することができる。」

 また、「この極致に到達するには、実に決死の修行を必要とする。」とも書かれていました。まだまだ、合気道は、奥深いものであると感じている次第です。