武道での動きを表す言葉の中に、「先の先」と「後の先」という言葉があると聞いたことがあります。
合気道には試合がありませんので勝ち負けということはありませんが、気持ちの上で、相手に飲み込まれ、相手に気おされては、負けていることになると思います。
開祖の逸話に、「ある時、剣道の高段者が挑んできた。相手に打ち込ませ、入り身でさばくだけで、何も技をかけたわけではないが、相手は打ち疲れて『まいった』と言った。」という話があります。
また、以前に剣の稽古をしている時、ある先生から、「剣では受け太刀の方が、師匠の立場であり、相手に『さあどうぞ』と打ち込ませるのだ。」とお聞きしたことがあります。
正面打ちや横面打ち等の打ち技では、相手に十分に打ち込ませずに、相手を力でねじ伏せようとしてしまいます。これだと合気にならないのではないかと思っています。相手に打ち込ませる道を開け、十分に引き込むことができないかと思っています。
筆者は、稽古の中で、「もう少し我慢して」という言い方をしますが、十分に相手に一番下まで打ち込ませれば、今度は上にあがる道が見えてくるのではないかと思っています。その位置に相手が来るまで待つ、それを我慢するということで表現しているつもりです。我慢できず、中途半端の地点だと、無理矢理、相手の力に逆らって、力任せの技になるのではと思っています。
この考えに誤りがなければ、この考えを毎日の生活の中でも活かせるのではないかと思っています。相手を十分に立てながら、自分も揺るがず、お互いが合気する道を探せるのではないかと思っています。これが、筆者にとっては、生活の中の合気道であると思っています。とはいえ、筆者自身も、まだまだ道半ばであり、日々研鑽の過程であります。
合気道には試合がありませんので勝ち負けということはありませんが、気持ちの上で、相手に飲み込まれ、相手に気おされては、負けていることになると思います。
開祖の逸話に、「ある時、剣道の高段者が挑んできた。相手に打ち込ませ、入り身でさばくだけで、何も技をかけたわけではないが、相手は打ち疲れて『まいった』と言った。」という話があります。
また、以前に剣の稽古をしている時、ある先生から、「剣では受け太刀の方が、師匠の立場であり、相手に『さあどうぞ』と打ち込ませるのだ。」とお聞きしたことがあります。
正面打ちや横面打ち等の打ち技では、相手に十分に打ち込ませずに、相手を力でねじ伏せようとしてしまいます。これだと合気にならないのではないかと思っています。相手に打ち込ませる道を開け、十分に引き込むことができないかと思っています。
筆者は、稽古の中で、「もう少し我慢して」という言い方をしますが、十分に相手に一番下まで打ち込ませれば、今度は上にあがる道が見えてくるのではないかと思っています。その位置に相手が来るまで待つ、それを我慢するということで表現しているつもりです。我慢できず、中途半端の地点だと、無理矢理、相手の力に逆らって、力任せの技になるのではと思っています。
この考えに誤りがなければ、この考えを毎日の生活の中でも活かせるのではないかと思っています。相手を十分に立てながら、自分も揺るがず、お互いが合気する道を探せるのではないかと思っています。これが、筆者にとっては、生活の中の合気道であると思っています。とはいえ、筆者自身も、まだまだ道半ばであり、日々研鑽の過程であります。