昨日、天之武産塾合氣道道場の阿部醒石先生の訃報が入りました。
阿部醒石先生は、合気道開祖 植芝盛平翁先生から、直接ご指導を受けられ、関西地区での合気道の発展に寄与された先生のお一人でした。
また、書道の大家であり、開祖植芝盛平翁先生が書になじむようになられたのは、阿部先生の影響が大であったとお聞きしたことがあります。
また一人、開祖の直弟子の先生が亡くなられ、開祖から学ばれたことを、お聞きする機会がなくなったことは本当に残念なことだと思います。
ご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌
翌日、今度は、従兄が他界したとの連絡が入りました。
享年73歳でした。従兄は、私にとっては、父や伯父ほどには年齢が離れておらず、かといって、兄弟ほどには年齢のひらきが近くないという存在でした。幼かった頃、かわいがってくれたことをおぼろげながら思い出します。長い間、闘病生活にあったとはいえ、70歳代前半での旅立ちは、まだ少し早かったように感じます。
今年は、1月に母を見送り、そして、先月は、従姉の夫君、今月は従兄と3人を見送りました。また、合気道の関係では、4人の方を見送りました。
今年に入ってまだ、5ヶ月で、7人の訃報を聞くことになるとは、予想も出来ませんでした。
自分自身が馬齢を重ねるようになってきたのでしょうか、人の命ということを感じることが多くなってきました。寿命とは、命を寿ぐと書きます。人によって、この世の中で、過ごし時間は、生まれる前から、決まっているということを聞いたことがあります。此岸から彼岸にわたると、もう二度と同じ時を過ごすことができなくなります。
以前に、佐々木先生から、「時と場所を同じくしている人としか喧嘩もできない。」ということを教わったことがあります。今という時間、此処という同じ場所にいるから、喧嘩も出来るのだということだと思います。
話をしたい人、稽古をしたい人は、今、目の前にいる人だけだと思うと、1時間、1時間の稽古時間を大切にしなければと思います。それが一期一会なのかもしれないと感じる今日この頃です。
阿部醒石先生は、合気道開祖 植芝盛平翁先生から、直接ご指導を受けられ、関西地区での合気道の発展に寄与された先生のお一人でした。
また、書道の大家であり、開祖植芝盛平翁先生が書になじむようになられたのは、阿部先生の影響が大であったとお聞きしたことがあります。
また一人、開祖の直弟子の先生が亡くなられ、開祖から学ばれたことを、お聞きする機会がなくなったことは本当に残念なことだと思います。
ご冥福をお祈りしたいと思います。 合掌
翌日、今度は、従兄が他界したとの連絡が入りました。
享年73歳でした。従兄は、私にとっては、父や伯父ほどには年齢が離れておらず、かといって、兄弟ほどには年齢のひらきが近くないという存在でした。幼かった頃、かわいがってくれたことをおぼろげながら思い出します。長い間、闘病生活にあったとはいえ、70歳代前半での旅立ちは、まだ少し早かったように感じます。
今年は、1月に母を見送り、そして、先月は、従姉の夫君、今月は従兄と3人を見送りました。また、合気道の関係では、4人の方を見送りました。
今年に入ってまだ、5ヶ月で、7人の訃報を聞くことになるとは、予想も出来ませんでした。
自分自身が馬齢を重ねるようになってきたのでしょうか、人の命ということを感じることが多くなってきました。寿命とは、命を寿ぐと書きます。人によって、この世の中で、過ごし時間は、生まれる前から、決まっているということを聞いたことがあります。此岸から彼岸にわたると、もう二度と同じ時を過ごすことができなくなります。
以前に、佐々木先生から、「時と場所を同じくしている人としか喧嘩もできない。」ということを教わったことがあります。今という時間、此処という同じ場所にいるから、喧嘩も出来るのだということだと思います。
話をしたい人、稽古をしたい人は、今、目の前にいる人だけだと思うと、1時間、1時間の稽古時間を大切にしなければと思います。それが一期一会なのかもしれないと感じる今日この頃です。