守・破・離という言葉があります。
筆者の記憶が正しければ、観阿弥・世阿弥が、
能の世界の鍛錬・進化の段階を表現した言葉だと思います。
その由来にかかわらず、能だけででなく、茶道、書道の諸芸や、
剣道、空手、そして、合気道等の武道の世界でもよく使われる言葉です。

「守(しゅ)」とは、最初の段階で、指導者の教える基本の型を忠実に守り、
その型を正しく身につける段階。
「破(は)」とは、自分独自に工夫して、指導者の教えにかなった方法を試し、
うまくいけば、自分なりの発展を試みる段階。
「離(り)」とは、指導者のもとから離れて、自分自身で学んだ内容を発展させていく段階。
であると言われています。

以前に、初段までは練習、初段からは稽古と学びました。
いわば、初段までは、「守」の段階であると思います。
道場によって、稽古のスタイルが異なりますが、
自分が所属した道場で、指導者の教えを守り、基本を身につけることが、
まず、第一段階であると思います。
基本の型は、道場ごとに1つであり、中心はひとつであると思います。
その道場の指導者の考えから出ているものが、基本ですから、
おのずと、1つのものであるといえます。

よく、研鑽会などで、指導される先生の教えを聞かず、
自分なりの稽古をしている人があったりします。
そういう稽古をするのであれば、研鑽会に参加する必要がないように思います。
学ぶものがないのであれば、参加する必要もないでしょうし、
また、ご指導される先生に対しても失礼なことだと思います。
「三年稽古するより、三年師匠を探せ」という言葉があります。
学ぶことがないと思うのであれば道場に足を運んで無駄な時間を費やすよりも、
自分にあった師匠を探す努力をする方がいいと思います。

基本とは、地道で、派手さがないものかもしれませんが、
基本をしっかりと身につけてこそ、
次の段階に進めるものだと思います。
初段からの稽古の道のりをしっかりと歩んでいくために、
初段までの日々の練習が大事だと思います。