政治家の信念って?
今、兵庫県では知事への不信感が広がっている。辞職を求める声が大きくなっているが、知事は「選挙で選ばれた」ということを盾にしてなかなか辞めそうにないが、既にもうどうにもならないところまできているのではないだろうか。
そもそもこの問題が持ち上がった時点での対応が拙く、この知事の体質を象徴しているようにさえ思われる。選挙は民主主義の根幹だが、これを経たからと言っても絶対ではない。いくらあがいてみてもアリ地獄の穴に深く落ちていくようなもので、次の選挙で選ばれることはないはずだ。
これは時間の問題と言ってもよいだろうが、今アメリカの大統領選挙が揺れている。外国の選挙にいくら気をもんだところでどうしようもないが、この国の選挙は世界中に影響を与えるため、単純によそ事では済まされそうにない。
かつては破天荒な大統領の登場によって、我が国の指導者は慌てて彼の国に飛んでいき、その懐に潜り込んで我が国の杞憂を払拭しようとしていたように思われる。
それから数年を経て再び同じことが起きようとしているが、この間我が国の周辺事情は一気に深刻さを増している。それにもかかわらず成り行きを見守るしかないことが実にもどかしい。
この大統領選挙、共和党の候補者を選ぶ選挙戦ではいろんな候補が登場しており、最後まで戦っていたヘイリー氏は「トランプ氏では民主主義が危うくなる」とまで言い切っており、その主張には共感できるものがあった。
ところが、最後には力尽きて撤退していたが、先日行われていたまで党大会では全くの掌返しをしていた。その姿を見て、「彼女の政治信念は、一体何処に行ったのだろうか?」と思ってしまった。
彼女の主張にはこれまでかなり多くの共和党員が共感し、彼女を支援していたようだが、彼女の掌返しに彼女の支持者の多くはそっぽを向いてしまったようだ。彼女がいくらトランプ氏支持を叫んだとしても、これらの人々の多くが彼女に従うことはないようだ。
それにしても身近な我が国の選挙でも、全く主張が異なる政党を渡り歩いている政治家が少なくないが、彼らの「政治信念は何処へ行ったのか」と思うことが多い。こんな政治家の人格を信じて支持してみたところで裏切られるのがおちだ。
政治家による金銭絡みの問題や利己心もさることながら、政治理念を忘れた信念のない言動が人々の政治不信を招いている要因でもあり、これは民主主義にとって重大な問題ではないだろうか。アメリカの民主主義にも黄信号が点滅している気がしてならない。
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