ようやく戻ってきた金色

 

 七年前の平成二九年(2017)五月二三日、私たち夫婦は今は亡き弟とその妻を三宮埠頭まで迎えに行って一年ぶりに再会し、そのまま淡路島観光に出かけた。島内各地を案内して観光した帰途、淡路島最北端の明石海峡大橋の下に行き、ここからの眺めを楽しみ、橋脚や吊り橋のワイヤを固定している基礎などを見学した。

 

我が家に向かうには再びこの大橋を通らなければならない。近くの淡路鳴門自動車道「淡路IC」のゲートをくぐったところ、そこで若い警察官に停止させられた。何と後部座席に座っていた妻と義妹が、これまでは必ずしていたというのに、この時に限ってシートベルトをしていなかったのだ。

 

 警察官は申し訳なさそうに、

「ここも高速道路になりますから」

と言って免許証の提示を求めた。後から考えると、この高速道路への引き込み道が厳密な意味で高速道路と言えるのだろうかと思っている。

 

免許証を手渡すと、彼は

「最近、事故や違反はありませんか?」

と尋ねた。若い頃には結構それらの違反があったが、加齢とともに慎重に運転するようになっており、長い間ゴールド免許証だった。

 

彼はとても丁寧な態度で、

「長い間違反などがありませんから、反則金などは発生しませんので・・・」

と言って違反切符を手渡したので、その後の免許証の更新時にこれがブルーになるとは思わなかった。周りを見回すと、奥のカーブした道路の傍に年配の警察官が立っていた。

 

 それから一年余り経った免許の更新時になって、高齢者講習を受けて更新手続きをして免許証を受け取ることになった。何と、新たに手にした免許証はブルーになっていた。これには気持ち迄ブルーになってしまった。

 

これによって、その後の一年後ごとの任意保険の更新時に免許証の色を確認する欄があり、そこにはブルーと記さなければならなかった。これがゴールドであれば保険のかけ金が一割引きになるところ、その後の六年間この特典が得られなかったが、何と言っても気持ちが違った。

 

 高齢者は三年ごとの更新になっているため、その三年後の免許更新時にもブルーだった。五年間無事故無違反であれば、更新時にゴールド免許になるため、五年経過した時点で免許証の再発行ができないか尋ねたところ、「それはできない」と拒絶された。

 

 そしてあの軽微な違反から七年余りが経過した今回の免許更新で、一昨日の八月一日にようやくゴールド免許証を手にすることができた。

 

それにしてもあの時の検問はやり方が姑息すぎる。厳密にはまだ高速道に入っていないため、警告注意が妥当だったのではないかという気持ちが今でも消えない。ただ、これからも安全運転に一層努めていきたいと、気持ちを強くしている。

 

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 攻撃は最大の防御

 

中学生の頃から剣道をやっていたが、その頃先生や指導者の方々からしばしば「攻撃は最大の防御」と言われていた。つまり相手から一方的な攻撃を受けて防御一辺倒になると反撃できなくなり、積極的に攻撃することが最も強力な防御に繋がるという訳だ。ただ、これも闇雲に攻めるだけでは話にならない。

 

 昨日は終戦記念日に絡む話を投稿したが、我が国の無謀な攻撃は初戦こそ効を奏したものの、その内に矢玉が尽きて無残な敗戦に繋がった。今、軍事大国ロシアがウクライナへの一方的な侵略戦争を行っているが、一方的な攻撃を受けるウクライナは防戦一方の状態だ。

 

余り良い話ではないが、喧嘩や戦争は双方が攻撃し合うことになる。一方的な攻撃を受けるウクライナは国民の士気が高かったとしても、軍事力が圧倒的に劣っているため、その兵器を欧米諸国の援助に頼らざるを得なかった。

 

 ところが、ロシアの核戦力の脅しを気にした欧米諸国は、防御のための支援はするが提供した兵器によるロシア領内への反撃は許さないという条件付きだった。攻めるロシアは無差別攻撃を続けているにもかかわらず、ウクライナは自国内だけで抵抗しなければならなかったため一般国民の犠牲が増える一方だ。

 

この状況はいわばサンドバック状態で、極めて不公平かつ不利な戦いを余儀なくされているのだ。ところが、先日そのウクライナが遂にロシア領内に攻め込んだ。

 

 侵略することばかり考えていたロシアは、サンドバックが反撃してきたために虚を突かれ、その守りは脆かった。瞬く間に領内の集落が占拠されていき、国内広く相手の進軍を許してしまった感じだ。

 

この状況は、集団の力を良いことに弱い者いじめをしていた不良集団が、いじめられていた側からパンチを食らった感じに似ている。不良集団の親玉プーチンは反撃されたことに驚くとともに面子を傷つけられ、この相手の反撃を非難していたが、自らの不良行為を反省する気配は微塵もないようだ。

 

 ウクライナは相手の攻撃拠点を反撃しており、これは一方的な攻撃を食い止める策としては極めて有効な措置ではないだろうか。ウクライナ大統領は「領土的野心は全くない」と断言しており、ロシアの攻撃に比べて民間人への攻撃はかなり抑制的に映る。

 

 この戦争を観ていて強く感じていたことは、一方的な侵略攻撃を受けながら相手側領土への反撃が抑制されていたため、防御一辺倒になっているウクライナにとってはとても辛い状況だということだったが、これで一矢報いることができた感じを受けている。

 

まさに相手側領土への攻撃が最大の防御に繋がるわけだ。ただ、軍事大国ロシアも戦略を練り直して自国領土の防衛体勢を整えると思われるため、今後どのように展開していくか、予断は許されない。

 

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 終戦記念日に思う

 

 今日は先の大戦が終わってから七九年になる。日本は独・伊と同盟を組み、日ソ中立条約(1941)を結んでこれらを頼りに圧倒的な軍事力・資力に勝る米国に挑んだが、結局独・伊の両国が敗北し、日本の敗色が鮮明になるとソ連は一方的に条約を破棄して我が国の領土であった樺太南部や千島列島を攻めて北海道を占領しようとした。

 

これは我が国の指導者が世界の状況や信頼関係を読み切れなかったことが問題だったと思われるが、それも今だから言えることではないだろうか。当時は報道各社も国民もその大半がこの無謀な戦争を支持していたと理解しているが、これも情報統制が厳しかったからかもしれない。

 

 今では軍事・資源大国のロシアが一方的に隣国ウクライナに攻め込んで無抵抗な人々を多数殺害しており、国内向けには徹底した情報統制を行っているが、情報網が発達した現在ではかつての我が国のようにはいかないのかもしれない。

 

もしも我が国が先の大戦で勝っていたり、適当なところで妥協して当時の軍事国家の体制を維持していたならば、今のロシアと同じようなことをしていたのかもしれない。

 

 先人たちは敗戦によって不戦を誓い、混沌とした社会で塗炭の苦しみを味わいながらこれを克服し、今は平和で豊かな国へと生まれ変わった。しかし、今のロシアの侵略戦争を見ていると、その前のウクライナ侵略、占拠に布石があったように思われる。

 

その時、ウクライナはほとんど抵抗できないまま選挙を許し、欧米はじめ各国は一応ロシアを非難したが、しばらくすると何もなかったかのようにロシアと侵攻を始めており、その後ロシアが新たな侵略を準備していることが分ると、米国大統領は「その戦争には直接軍事介入しない」と言っていた。

 

ロシア大統領はこれらの現状を踏まえて二年半前にウクライナ侵略を開始したが、世界はかつてナチスドイツが侵略戦争を始めた時の経緯を全く学習していなかったかのようだ。

 

 このロシアを始め、軍事大国化を進める中国は覇権主義的な言動を憚らず、近隣諸国を威嚇しながら領域を拡大しているが、我が国の政治家特に野党の議員たちはこれをどうとらえているのだろうか。

 

先の大戦の経験を踏まえても戦争は、絶対に起こしてはならない。しかし、私たちが望まなくとも覇権主義的な国家は、理不尽極まりない侵略を行ったり行おうとしたりしているという現実から目を背けていてはならない。

 

 我が国はどんな国とも話し合いを続けていくことは大切なことに違いないが、現状を見ていると話が通じない国があることは明白なのだ。彼らに従わなければ力によって従わせようと軍事力を発揮して一方的に攻め込んでくるという現実があるのだ。

 

力が無ければ力の強いものに従うしかないが、他国を侵略うるちからではなく、他国の非道から時刻を守るための力を備えるとともに、話が通じる国々と協力して同盟を強化し、侵略を許さないようにしたい。今、不条理を甘んじて受け入れるのか、それともそれを許さないのか、その選択を求められているようだ。

 

 話の分かる国であっても、自らが国を守るために戦うという意志のない国に対して、自国民で構成される軍隊を差し向けることはしない。何故なら、自国民の命を犠牲にして他国を守る義務はないからだ。

 

私たちは目の前の平和で豊かな社会を守っていくためにそのための備えはしっかりとしなければならないが、それはきれいごとでは済まない。ただ、一日一日が過ぎて行けばよいという自堕落な考えでは何時不幸な目に陥るのか分からないということを自覚する必要があるいうことを忘れてはいけない。

 

 終戦記念日は二度と戦争は起こさないということを明確にするとともに、他国の侵略を許さないということを誓う日でもありたい。

 

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 枯れ草焼き

 

 昨十三日はこの地域の北奥の市では三九度五分を記録する暑さだったが、当地も相当な蒸し暑さだったようだ。孫の勉強を見ていた午後には気分が悪くなってしばらく休んだほどで、いよいよ老衰かと思ったものだったが、もしかすると軽い熱中症だったのかもしれない。

 

 それはともかく、当地に住み始めてはや四半世紀余りが経った。入居以来、地域の行事に参加することは地域の方々と交流する機会だと考えて積極的に参加してきたが、加齢とともに体力の衰えをかんじるようになってこのところそれも少しずつ辛くなってきた。

 

地域の年中行事の中で最も体力を要するのは、ここでも何度か取り上げて来た広大な地域に広がる用排水路の溝掃除だ。これも以前には九月にも行われていたように記憶しているが、いつの間にか五月と七月の二度だけになっている。これまで毎回欠かさずに参加してきた。

 

 我が家に隣接する児童公園の草刈りは先述の溝掃除の最後に草刈り機を持って参加している方々が一斉に刈ってくれているが、それだけでは足りないため、当初から地域の行事とは関係なく毎年ニ、三回の草刈りを行って、刈草が枯れるとそれを焼却していた。

 

地域の取り決めでは、児童公園の草刈りは子供会担当者が行うことになっており、町内の方々の多くはその担当者が草刈り作業をしていると思っていた人が少なくないようだ。そのため、私が個人的にこの草刈り作業を行うことには、「本来やるべき人がやらなくなってしまう」と言う人もいた。

 

しかし、この公園の隣接地に住む者にとっては、雑草が茫々と伸びれば蝮(まむし)が出没したり、ナメクジなどの害虫の住処(すみか)になったりするだけではなく、子供たちが遊べなくなることなどが気になっており、この状態を放置できなかった。

 

 ところが寄る年波には勝てず、昨年は私が個人的に草刈りをしたのは一回だけだった。今年も草が茫々と生い茂っていたので気になりながらも体調が思わしくなかったために一回も草刈りをしなかったところ、いつの間にか草刈りが行われていた。

 

妻は「知らない人が来て刈っていたわ」と言っていたが、他地域から当地域に来て住んでいる方で、子供会担当者になった方の親御さんが他地域から来て草刈り作業をしてくれていたのかもしれない。こういうことは過去にも二、三度あった。

 

 ただ、公園の草は刈ったままで放置されており、刈り取った草をどうするかも問題だ。これを放置しておけば、強い風が吹いたときなどには枯れ草が方々に吹き飛ばされて散ってしまうため、以前からお隣のご主人や私などが折を見て燃やしていた。

 

ところが、行政が温暖化対策や火災予防の観点からこれらの消去を制限しているため、最近草を燃やすのも気が引ける。先日の溝掃除の折に、地域の役員をしている消防団幹部にその話をしたところ、彼は「別に問題ないでしょう」と言っていたので今回も折を見て燃やさなければと思っていた。

 

それからかなり経ったニ、三日前に町内の市道を車で通っていたところ、路傍の雑草を刈った後の枯れ草が燃やされていたのを見た。「いくら制限されていても行政を始め、誰もこれらの草の処理をしてくれない以上、こうでもしなければ仕方がないな」と思った。

 

 そして今朝の六時過ぎ、曇っていたことを幸いに、先日刈っていた公園の反対側に隣接する段ボール工場の駐車場の枯れ草をそれぞれ燃やすことにした。ところが、間もなくすると雲が晴れて陽射しが照り付けるようになって、とても暑くなって汗でビショビショになってしまった。

 

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 裸の王様

 

 先日、将来の兵庫県政の推進を担うべき今年の県職員採用試験で四割もの受験者が辞退していると報じられていたが、この状況は既に県政の停滞を招いていることを象徴していると言っても良いのではないだろうか。

 

今の県政になって二人もの幹部職員が追い込まれて自殺するという異常事態を招いているが、知事はこのような事態に陥っていても「県民の負託に応えて県政を前に進めて行きたい」と言うだけで、「混乱の責任を取って辞める」などとは言わない。その強心臓ぶりには驚くほかない。

 

 今回の問題では、知事の言動を摘発する文書が明らかになった時点で、知事が「全て事実無根、勤務中に職場のパソコンを使って文書を作成していたことは問題」として、この告発である幹部職員を一方的に非難して退職の手続きを取り消し、懲戒処分にしたことが今の県政を象徴しているように思われる。

 

このような問題点が明らかになってくると、次から次に問題が表面化してくるのはありがちなことだ。その全てが事実かどうかは分からないが、知事が訪問した施設では二十㍍ほど歩かされたことに激昂したと言われており、知事はその後の記者会見でこのことに対して「指導した」と言っている。

 

 

一般的に担当職員が故意にそんなことをしたとは思われず、事情があったはずだ。その理由を聞いたか聞かないか知らないが、「指導」したなどということが理解しにくい。知事には強い権限があり、それだけに頭ごなしの指導をしたとすれば、それは叱責ととらえかねない。

 

想像するに、戦々恐々といった雰囲気が漂っていたのではなかったのだろうか。これは強権国家の領袖の下ではありがちだと思われるが、職員の多くが委縮してしまっては県民のためになる積極的な提言や姿勢で職務に取り組むといった雰囲気が乏しくなり、既に県政は停滞の方向へと向かっていたのかもしれない。

 

 知事と言えば、巨大組織のトップであり、強い権限を持っている。そのため、かえって謙虚に幹部職員をはじめ、第一線で働く多くの現場職員の生の声を聴く姿勢が無ければ、知事としてのよい仕事はできそうにない。この人にに対してそのようなアドバイスができる人物がいなかったのかもしれない。

 

今だから言えることかもしれないが、知事の側近であった副知事は事態が混乱して収拾できなくなくなった状態に陥ってから「知事に五回も辞職を勧めたが、聞く耳を持たなかった」と言っていたが、本来であれば今の県政が発足した当初から知事としての心構えを説くべきではなかったのだろうか。

 

取り巻きの幹部職員が他にもいたと報道されているが、強い権限を振りかざす知事には意見ができなかったり、また意見したとしても聞かなかったりしたために適切な補佐ができなかったのかもしれない。

 

知事はいきなり大きな組織のトップに座ったことが彼の勘違いを招き、支持者の意見に耳を貸さなかったり、幹部職員が意見できない雰囲気を造り上げてしまっていたりしたとすれば、それはまさに「裸の王様」状態になっていたのかもしれない。

 

 彼は選挙で多くの県民が彼に投票したことによって知事になったが、維新議員以外で彼を支持した多くの市町長や県会議員、県民は今でも変わらず支持しているとは言えそうにない。人は間違いを侵すものであり、その自覚こそがより謙虚な姿勢を生み、より良い県政に繋がっていくのではないだろうか。

 

県議会の百条委員会で委員の質問に答えることになっているが、一番の問題は既に述べたように告発があった最初の対応にあると思われる。このことをしっかりと追及できないことには、問題の解決も刷新もできそうにはない。

 

 読んでいただき、ありがとうございます。