釧路から札幌へ引っ越し・・・、私の幼少期について | 飯寿し屋おやじの独り言

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飯寿しや魚醤などと言った、
北国の食文化を創造し生業としている弱小企業の経営者の独り言です。
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朝から蒸し暑い今日の北海道伊達市です。今日は東北での大雨が心配されているほか、関東以西では40℃に達する危険な暑さが心配されてますね、それに比べて我が北海道は快適なのかも知れません・・・、それでも北海道民にとってみれば「暑い」のですが・・・。

 

さて、話題は私、中井英策商店代表の及川が生まれた北海道東部の街、釧路市から札幌へ移住してからの話に戻ります。

 

鈍行列車に乗って釧路から札幌へ移動、そのまま札幌の街に私が40歳になるまで住み続けた町、それが札幌でした。

 

父親の仕事の関係で、札幌市内を移動に次ぐ移動、小学校だけで7回転校するという激しさでした。

今でも私の母親は「転校ばかりで、淋しい思いをさせた」と言ってますが、当の本人は意外とあっさりしていて、「今度はどこに引っ越すのかな?どんな学校に移るのかな?どんな友達出来るかな?」と不安よりも、楽しみが多かった気がします。

 

最初に住んだ町が、札幌市内の現在の豊平区月寒で、当時は回りが畑が多く、何やら大きな建物だなあ・・・と思ったのが、競輪場でした。その後、札幌オリンピックの開催で、その競輪場はスケート場に生まれ変わります。

そこで、活躍するのがフィギュアスケートの妖精と言われたジャネットリン選手でしたね・・・。

懐かしいです。

 

そこの月寒のアパートに住んでいたのですが、そこで二階の部屋で大騒ぎして二階の窓から下に転落、大騒ぎとなったらしいのです。

「らしい・・・」というのは、転落してからの記憶が無いからなんですが・・・、それでも今でも元気なのは、「何ともなかった」からなんでしょうね・・・?

 

札幌に引っ越してからも、とにかく暴れまくっていた私でした。

友達も、引っ越し先で直ぐに出来た私で、転校した初日に友達と一緒に返っていた記憶があります。

 

そんなノー天気な私でした。

(次に続きます)