【追悼】松平康隆 | THE ONE NIGHT STAND~NEVER END TOUR~

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「40歳からの〇〇学 ~いつまでアラフォーと言えるのか?な日々~」から改題。
書評ブログを装いながら、日々のよしなごとを、一話完結で積み重ねていくことを目指しています。

負けてたまるか!/松平 康隆
 負けてたまるか


松平康隆さんがなくなりました。
ニュース記事

「松平って誰だ?」
と思われる方も(若い人には)多いと思いますが、
日本男子バレーボールチームが、唯一オリンピックで金を獲得した、
ミュンヘン五輪(1972年)のときの監督です。

松平康隆・・・1930年、東京都出身。慶応大法学部を経て、1952年、日本鋼管へ入社。 
1960年まで選手、監督として活躍。全日本男子チームのコーチとして1964年東京五輪銅メダル。 1965年全日本監督就任。1968年メキシコ五輪銀メダル、1972年ミュンヘン五輪で金メダルに導いた。 速攻、移動、時間差といった攻撃スタイルを確立させ、世界のバレーボール界へ普及・発展を促した。 1998年日本人で初めてバレーボール殿堂入り。 日本バレーボール協会会長、JOC副会長、IOC理事を歴任。旭日中綬章受章。

冒頭の
「負けてたまるか!」
という本は、中学時代になぜか読む機会があって、
中・高と何度となく読み返した本でした。
(今は手元にないけど、残念ながら)

この本は、ミュンヘンで金をとるまでの男子バレーボールチームの軌跡が
書かれているのですが、書かれたのがオリンピック前というのが味噌で、
「金を取りました!」
という回顧録ではなく
「金を取る」
という宣言の書になっています。

覚えている部分を箇条書きしてみると
・褒め8割、叱り2割で育てる
・滅私奉公はありえない
・欠点の修正より長所を伸ばす方が先
など、70年代前半に書かれたことを考えると画期的な指導法が
書かれていました。
(僕が読んだのは80年代初頭ですが、それでも斬新だったと思います)

後年(つまりここ2~3年ですが)
いわゆる「コーチング」の入門書を読んだとき、
「なんだ、松平さんが言ってることと同じじゃないか」
と思ったものでした。
(あくまで入門書段階です)

ただ、実は僕がもっとも影響を受けた言葉は別にあります。

いまさらっていることを言ってるからいつまでたってもダメなんで、今からでいい、気がついた時から始めようと。

ミュンヘンの後、松平さんは監督をやめるだけでなく、
些細な事件がきっかけで、 バレーボール協会からも離れることになります。
そして、7年後に復帰するのですが、
そのとき、日本男子バレーボールチームは、
ミュンヘンの遺産を食い潰したような状態になっていました。
世界選手権で惨敗、モスクワ五輪アジア予選敗退、
出場権を「世界最終予選」に掛ける段階で総監督として現場に復帰します。
そして、最初にさせた練習が

「基礎体力トレーニング」

最終予選まで1ヶ月しかない中、当然、マスコミからは
批判的な質問が出てきます。
「戦術練習を優先すべきでないのか?」
その時
「協会に復帰して、ミュンヘンと比べて格段に基礎体力が落ちていると感じた。そこからやり直さないと。」
と言ったあと、言い放ったのが引用した言葉です。

この言葉、実はけっこう支えにして生きていた時期があります。
高校受験のとき、大学受験(浪人・代々木時代)など。

その後、社会人になってすっかり忘れていたのですが、
あるときなぜか思い出します。
家庭教師派遣会社にいたとき、父兄の方から
「この時期に来て、こんなことをしていていいのでしょうか?」
という相談に、
「いまさらって言ってるから伸びなので・・・」
とすべて答えていました。

そして、何度も同じ回答をしているうちに思ったことがありました。
「いまさら、って一番言ってるのは俺だ」

そのころ僕は、その会社を辞めたかった(理由はたくさんあります)
でも、何度も転職をし、すでに40を迎えていて転職することに自信がなかったのです。
「いまさらやめてどうする?」
続ける決断も辞める決断もできずにいました。
そう、「いまさら」を言い訳にしていたのは僕だったのです。

そして、最終的にとった行動は
「逃げる」
その場からとにかく逃げる、何のあてもなかったですが逃げました。

それがよかったかどうかはわかりませんが、
少なくとも今の僕がそこそこ楽しく生きていられるのは、
あのときの決断が始まりだったと思っています。


というように、個人的には松平さんには思い入れがありました。
それだけに、非常に残念だな、と。

ミュンヘンのときの選手の中に、すでに亡くなられた方もいるので、
80歳を超えているということもあり、けっして早過ぎる死、だとも思いませんが、
それでも残念だという気持ちはあります。

ご冥福をお祈りしたいと思います。

PS
晩年のインタビューをネットで見つけました。⇒
『人生で大切なことは、スポーツが教えてくれた』

ぜひ読んでみてください。