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なんと、ロバートリーさんの息子さん、つまりブルースリーの甥っ子さん!わああああ!
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「文化」を国語辞書で調べると

「世の中が開け進めたもの。精神の働きにより作り出したもの。」とある。

ならば、やっぱりブルース・リーは文化なんです。

ブルース・リーはマーシャルアーツを使って世の中とコミュニケーションした人で、その手段として「映画」を使った。それはエンターテイメント業界や様々な革命だった。まさに改革。政治家までも見習え!と言いたい。世の中を「映画」で変えてしまった。

映画には音楽やお芝居、シナリオ、撮影カメラ、証明、美術、衣装など総合的な芸術性が必要とされる「文化」つまり、対人間としてコミュニケーションのツールを「映画」とし、ブルース・リーは自らの「マーシャルアーツ」を世界に知らしめた。

「マーシャルアーツ」には「民族の文化」の歴史がある。彼は先ずは「ジークンドー」とはせずに「クンフー」とした。歴史は世界中の民族の歴史とリンクする。ということは「世界中」にリンクできる。「映画」なら可能!という偉業。だから、作家の安部さんが言うように「ジークンドー」と「映画」は切り離せない。何故かというとブルース・リーは「映画」で「マーシャルアーツ」を世界に広めたから。
じゃあそれで、何が起きたか。ある者は身体を鍛えプロの格闘家になり、ある者は見知らぬ哲学書を読み、ある者は音楽を始め、ある者は漫画を描き、ある者は、ある者は、と果てしなく影響を与え続けて、40年になる。これだけ多大な影響を及ぼした存在は珍しい。何故か。それは「映画は感性で見るもの」だから。だから人に影響を与えるし、映画は影響を受けるために見るものだから。今では映画を見ていない世代でもブルース・リーの名前くらいは知っている。

じゃあ、ブルース・リーという人間は何なのかと調べると、ジグゾーパズルのピースを集めるかのように、知れば知るほと分からなくなる。何か分かると何かが分からなくなるように謎が深まるという解けないパズルになっている。

特に日本のファンは「燃えよドラゴン」公開が73年12月だから、公開した時すでにブルース・リーはいないから、ブルース・リーに逢えたファンは一人もいない。俳優で共演された倉田さんとあと数人しかいない。「あらかじめ虚構」「あらかじめ偶像」だけど、実際に世の中に確かに居た。とは分かっていても、実態が分かりにくい存在にあった。93年のハリウッド作品の「ドラゴンブルース・リー物語」くらいから書籍やドキュメンタリーも含めて少しづつ見えてきたところで本作「ブルース・リーマイブラザー」がある。しかもハリウッドでは、今からまた新作でブルース・リーの伝記映画の撮影が始まる。これはちょうど「マイブラザー」の後のアメリカ時代のあたりの話らしいので物語が「マイブラザー」と繋がる。それから「サイレントフルート」も再映画化が進んでいる。これは40年の長い月日の中で増え続ける様々な年齢層のブルース・リーファンにとっては嬉しい出来事で、我々の心の中にブルース・リーが生きている証だと考える。不思議と定期的に引き戻されるかのようにブルース・リーのニュースがいまだにある!

そんなふうにこれからも世界中のあらゆる所でブルース・リーは再生し、輪廻転生し続けるのだと思う。

でも、やっぱり「死亡遊戯」が見たかったなぁ。
今でも一番待ち遠しい新作映画タイトルです。