また1冊読みました、今度はノンフィクション
新潮からでてるノンフィクションは衝撃なものばかり
『そして殺人者は野に放たれる』

読みながら疑問と怒りと悲しみとやるせなさとで胸が痛みました。
殺人事件には必ず被害者、加害者がいる。
殺されてしまったらもう二度と帰ってこない、二度と幸せを感じることができない。もちろんそう。
犯人は、被害者の何十倍の苦しみを味わうべきだしつぐなってもつぐないきれないはずに違いないと思う。

だけど
もしも犯人が『精神拘弱』だったら
殺しの動機を『著しく精神が混乱していたため』とされそれが認められてしまったら


犯人は大幅減刑される、もしくは無罪にすらなってしまう
そしてそんな例が数えきれないほどある
たとえば三人、五人、殺された場合は、さらに『心神拘弱』が認められてしまいやすかったりするらしい


そんな無茶苦茶なことがあるなんて

本当の心神拘弱と、犯罪者とを分けるべきじゃないんだろうか

被害者は実名報道され、加害者は今後の人生のために伏せられたり、加害者が心神拘弱とみとめられたら事件自体が報道されないまま風化していったりする場合もよくあるらしい


加害者のこと守るだけでなく、
『動機』じゃなくて『結果』だけをみるようになったらいいのに

もしも身近な大切なひとが殺され、しかし犯人が心神拘弱だったからって無罪や減刑になるなら、地獄の果てまで追い掛けてやりたいし、それでもたりないよ、

すべてじゃないけどそんな悲しいことも数えきれないほどあるんだって

『動機』より『結果』だけをみて厳しくしてほしい、被害者はあまりにも救われないもの、死にたくなかったんだ痛かったんだ





考えてしまいますね
読んでみてください
どう思いますか?

〓しょうこ〓