7月7日、七夕、ゾロ目でラッキーセブンの日。人生で初めてのサプライズパーティーを開いて頂きました!発案者は僕の妻の幸恵さん。全く気づいていなかったので、本当にびっくりしました。終始涙腺緩みまくり、泣きまくりの有難いパーティーでした。


妻は3ヶ月くらい前から準備をしてくれていたそうで、挨拶では「彼が人生で一番大事に思っているのが仲間だから、こういう形で応援の気持ちを贈りたかった。」と言っていました。

高崎高校ラグビー部の仲間達、東京外大ラグビー部の仲間達、味の素株式会社の仲間達。自分の人生の中で一番コアな仲間です。沢山の方が集まってくれて、都合が悪くて来れなかった人からもお祝いのメッセージをもらったり。本当に人間は「お陰様」で生かしてもらっていますね。

※サプライズパーティーだけに、妻が連絡先を知っている人にしか連絡が行きませんでした。来て頂けなかった方とも、ぜひ鎌倉でお会いできればと思います!

パーティー会場は鎌倉に暮らすキッカケになった「オステリアコマチーナ」。休日のランチという掻き入れどきに、貸切で、どんちゃん騒ぎを許してくれたマスターに感謝です。


実はサプライズ直前にちょっとしたハプニングがあったんです。店の前で高崎高校ラグビー部の友達、前橋に住んでいるはずのタクオが居たんです!

「え?お前なんで鎌倉にいるの?」と僕、
「あ、え?、うーん…。友達と大仏見に来たら道に迷っちゃってさ…」とタクオ。

そのあまりにオドオドした、しどろもどろの会話から、僕は一瞬で「若年性アルツハイマーだ!『明日の記憶』で見た徘徊ってやつだ!」と思いました。だって大仏は長谷駅だから、、鎌倉駅からは歩いたら相当な距離があるんですよ…。胸が張り裂けそうになって、涙をこらえるのに必死でした。

結局、彼はサプライズパーティーの時間に遅れ、絶対にやってはいけない、主賓と鉢合わせをやってしまっただけでした 笑。高校時代からの天然キャラ、僕の中に「ボケても不思議はない」という思い込みもあったんでしょうね。

でも、なんでそんなに涙まで出たのか考えてみたら、高校ラグビー部の面々は16歳から18歳までの3年間、ほぼ365日一緒に生活していたわけで、もう兄弟同然なんですね。大事な兄弟が辛い目に遭っていると思ったら、自分の身体を引き裂かれるような痛みを感じたという事だと思います。

彼だけでなく、人生の時々で出会い、心が通じ合った仲間というのは、もう親族と同じくらい大事な存在。本当は他人なのに、そんなに強い絆が生まれるなんて、生きるって素晴らしいなーと改めて実感しました。

皆さんと少しずつしか時間が取れなかったけど、昔話をしたり、お酒を飲み交わしたりする中で、なんだかとても暖かい空気が流れているのを感じました。

妻は数年来ずっと「あなたが眼をキラキラ輝かせて、力を発揮してゆくのが見たい。やりたい事があるなら会社やればいいのに。」と言っていました。現実になりました!

これからも起業家として自分の人生を楽しみ、社会に生かされていることに感謝して、創造の喜びを味わって行きたいと思います。

人生は旅。好きなように生きればいい、お前の魂がお前を導いてくれるから。のたれ死んだって魂の故郷に帰るだけのことさ。

ハナムケの生歌は、僕の大好きなブルーハーツ「ナビゲーター」でした。

皆さま引き続き、応援宜しくお願い致します!
大手企業を卒業し、代表取締役社長としての生活がスタートして3日経ちました。手伝ってくれる仲間へのインタビュー、名刺の手配、社会保険の手続き等、慣れない仕事ですけど、非日常的で楽しいです。

起業すると決めた時、自分にとって率直な意見を言ってくれそうな友人・知人・先輩・後輩をランダムにピックアップして、100人リストを作りました。僕はマーケターなので、せっかくの機会に、自身の「大手企業を辞めて起業する!」という選択を題材に社会実験をやってみた感じです。

数ヶ月かけて徐々に暴露していったのですが、ほとんどの人から大分驚かれましたし、結構センセーショナルなニュースだったと思います。43歳という年齢や、大手企業の海外駐在員という立場もありましたからね。

周りからの反応は、「賛成」、「反対」、「どちらとも言えない(ノーコメント)」の3つに大きく分けられます。思いつきレベルの段階で相談してしまった人も、起業のアイデアがある程度固まった段階で報告した人もいて、タイミングによって当然反応も違ってきますので、厳密には同条件での回答ではありません。

先ず、賛成票の多くは「僕が起業家に向いてる」「ナカジらしい選択だと思う」「何かやれそうな気がする」という感じのご意見でした。これからも応援してるぞーという気持ちの伝わる、応援絵文字が沢山入ったメールをくださった方、超拡大フォントで「祝」という文字だけを送って来てくれた人とかもいて、とても有り難く、前に踏み出す大きな勇気をもらいました。

反対票は傾向が2つに分かれました。一つは「もったいない」という意見で僕の個人としてのキャリアを案じてくれるものでした。ここまで大手企業の中で頑張ってきて、居場所も確立して、これから益々偉くなってA社を引っ張っていく人材だっただろうにもったいない、そんな感じでした。僕もそう思います…。だから何年も足踏みしてきたわけですから。そういう想いは振り返れば30代の後半には既に芽生えていたわけですので。

もう一つの反対票は、そんなに多くはなかったけど「大きな組織を飛び出して何が出来るのさ?」というもの。直接いう人もいれば、ニュアンスで自然と伝わってきた人もいましたが、「起業という言葉は響きがいいけど、要は中小企業だろ?」という感じです。

企業は大きければ大きいほど良いという訳でもないと思います。特に今の日本では社会課題にもなっているし。でも、確かに世の中全体に大きく広がってゆく価値を生み出して行く仕事は、資金面や人材面である程度の規模がないと価値がない(価値が見えない)かもしれません。だからこそのチャレンジです。こういう意見をくれた人は「いつか見てろよ!」と負けず嫌いの僕が奮起するのを最初から分かって、敢えてキツイ意見を言ったと信じよう 笑。誰になんと言われようと、僕は僕なりの社会実験を続けます。

ノーコメント票の多くは、突然突拍子も無い事を言われてうまく考えられていないようでした。何か言ってあげたいけどうまく言えないという感じで、実はこのタイプが一番多かった。「自分だったらそういう選択はしないけと、人の人生に責任は持てないし、でもこれからも幸せに生きて欲しいし…、寂しいし…」みたいな感じ。本当にその節は迷惑な質問をしてすみませんでした!これからも仲良くしてください 笑。

親父からは「まあ家族を路頭に迷わせないように、自分達で決めてやってけ。」というコメントをもらいました。言い出したら止まらない性格なのをよく分かってる父上、情に厚くいつも受け止めてくれる。これからも人生のロールモデルです。

ちなみに、賛成票・反対票・ノーコメント票の割合は、3割・3割・4割(当社推定)でした。という事は、人の意見を聞いてから何かを決めるのは無理という事ですね。賛成という形で応援してくれるにしろ、反対という形で心配してくれるにしろ、この一連のやり取りの中で、皆さんの暖かい気持ちがよく分かりました。だからこそ、起業に対する想いと仮説(こうすればうまくやれるはず)を信じて、自分を信じて前に進むしかありません。

勇気ある決断、覚悟を持った判断、大胆な行動、特に後輩達からはそう見えるかもしれないけど、その決断をしなかった世界(もしもボックスの世界)は絶対に見ることができません。いつだって、やらなかった現実というのは見えない。誰でも、いつでも、自分が細かく決断して生きているわけで、勇気!覚悟!なんて必要以上に身構える必要はないのかもしれないよ。

大きな判断をするのにちょっとした勇気を振り絞る時はあるけど、清水の舞台から飛び降りるほど緊張しないで、救命胴衣をつけて江ノ島の海に飛び込むぐらいでもいいじゃない。そんなに頑張って何かと闘わなくたって。

人生は主人公俺、演出俺、監督俺、観客も俺の劇場なのだから、生きている事だけで社会の大事な構成要因になっているのだから、「なるようになる」と思って、セレンディピティ(偶有性)を楽しんでゆけば良い。僕は今、そんな風に感じでいます。

うまく行くか行かないかは乞うご期待 笑。これから20年かけて描く社会実験の様子をたまに覗きに来て頂けたら嬉しいです!

※妻がアレンジしてくれた親族旅行にて、中島丸出航しまーす 笑
昨日、20年間お世話になった味の素株式会社を退職しました!7月からは長年の夢だった起業家の路を、鎌倉で、妻と一緒に歩んでゆきます。

個性を発揮する数々のフィールドと幅広い事業経験を与えてくれた会社、一緒に働いてくれた素晴らしい仲間達、何よりもワガママな僕を20年以上支え続けてくれた妻に感謝しています。

自分で言うのもなんですが、かなり順風満帆なサラリーマン人生でしたし 笑、直近も二度目の海外赴任でバンコクに駐在しておりましたので、会社の同僚からかなり驚かれました。「驚かせるつもりはなかったんですが…」とみなさんにお礼のご挨拶をして回り、昨日無事にサラリーマンとしての最終出社を全うして参りました。

僕自身は「やり切った感」と大企業での得難い経験を携えて、起業家として新しいスタートを切れる事を素直に喜んでいます。卒業する理由は「今、社長をやりたかったから」です。

それは10年後でも、定年退職後でもなく、今。やりたい事を先延ばしにせず、今やる。10歳の命を生き切った長男優大との約束が、自分の命を味わい尽くす事でした。父親としては勿論、ビジネスパーソンとしても彼からもらったギフトの偉大さを改めて感じています。

でも昨日、湘南に帰る電車の中で妻とメールでやり取りしていて、今の気持ちを一言で表現したら?という質問に、「自由だーーーー!」という言葉が自然に浮かんできました 笑。仕事はとても充実していたので自分でも驚きましたが、やはり飛び回りたい気持ちがあったんですね。

家について荷物の整理をしていたらもう一つビックリ。3年前にインドに瞑想とヨガ体験に一人旅をした時のメモが出てきました。瞑想の先生からもらった言葉「feel free and allow your body relaxed(自由を感じて、自分がリラックスする事を自分に許してください)」に再会しました。

自分を許すのも自分、自分の敵も自分、自分を楽しませるのも自分。ワガママ=あるがままで良い。

起業のプレッシャーは勿論0では無いけど、亡くなった長男優大からもらったメッセージ、「(パパは大丈夫、なるようになるから)」を胸に、これからも創造を楽しみ、ゆる〜く生き、ゆる〜く働いてゆきます!

現在会社としてのホームページを準備中ですので、Amebaブログもあと1回か2回で卒業する予定です。新会社ホームページでも「社長の徒然」というゆる〜いコーナーを作って発信は続けてゆきますので、皆さま引き続き暖かいご支援を宜しくお願い申し上げます🤲