キングスクロス駅からヨークロードを北上したところに位置するKings Placeで世阿弥元清(C.1363-1443)作の『砧』を観た。Kings Placeは2008年にオープンしたオフィス複合施設で新聞ガーディアンとインディペンデンスの本拠地。日本の伝統演劇にも関わらず、日系財団のサポートが充実していたためかチケットもそれほど高価ではなく(私の席は20ポンド)、客席も8割以上埋まっていた。狂言は観たことがあるが能は初めてだったので、前幕のイギリス人向けの『砧』に関するトークは助かった。トークは「遠距離恋愛をしたことはありますか?」というSOAS教授Alan Cummings氏の問いから始まった。そして、題名の「砧」とは布を叩いて柔らかくし、光沢を出すために使用される木や石の塊のこと。秋に布を叩いて伸すことによって、冬にその布を纏った時に風が通らないようにする、東アジアの慣習で使われたという。また、主人公の妻が目の前に片手を翳すと「泣いている」、そして両手を翳すと「大泣きしている」という意味など、簡単に所作についての解説がなされた。また、解説の小早川氏によれば『砧』の謡は他の能作品と比較するとリズミカルではないので難しい作品であること、世阿弥が島流にあった晩年の作らしく、主人公の妻の細やかな気持ちの揺れなどが表現されており、彼の最高傑作とみなされているとのことだった。世阿弥本人による「後世の人はこの能の味わいがわからないだろう」という予想に反して、人気の高い演目だとか。さて、あらすじは…

 

 九州の芦屋某(なにがし)という地主が訴訟のために京都へ旅立ってから早三年。彼は長らく離れた妻の元に夕霧という名の侍女だけ帰宅させる。夫の帰りを待ちわびる妻は下賤の者たちが使う砧を取り寄せて、中国の故事にある蘇武の妻のように、夫の元にその音が届くようにと砧を打つ。しかし、夫から今年も帰郷できないという知らせを受け、病に臥せり死んでしまう。妻の死を知った夫がそれを弔うとあずさを介して妻の亡霊が現れる。恋慕や嫉妬、執心に駆られ妻は成仏できず地獄に落ちていた。夫のつれなさに恨み言を述べる妻は夫の読経によって最後には成仏する。

 

 650年も前の話なのに、現代でも十分に妻の心情が分かること驚いた。また夫や妻の台詞は候文ながら、所々現代語に近いものもあり、「恨めしや」などはっきりと意味がわかったりする。また、舞台の右手には謡手が三人座っており、英語のパンフレットではChorusと訳してあったので、まるでギリシャ悲劇で使われる数人の歌い手Chorusと同じではないか、と思った。舞台正面に座る大鼓、鼓そして笛の音には聞き覚えがあり、黒澤映画など時代劇で耳慣れた音色だった。マクベスを元にした『蜘蛛巣城』(1957)は能の表現を応用しているが、特にその音楽が顕著。黒澤明監督は能のことを随分勉強したらしいと知った(動画参照)。

 

 トークの中で小早川氏が指摘した通り、能にはカーテンコールが無く、演者は一人一人舞台から去っていき、最後は誰も居なくなった。「拍手はその後にしてくだされば、演者は舞台袖でそれを聞いています」との言葉に従い、観客は無人の舞台へ拍手を送った。

 

Event Schedule:

Kinuta Pre-concert talk: 25 min

観世流能楽師 小早川泰輝

Dr Alan Cummings (SOAS)

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休憩: 20 min

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能『砧』: 75 min

 

 

 

今回の公演に関する動画はYoutubeに無かった。代わりに『砧』に関する動画。野村萬斎が家人役で出演している。

 

編集はあまり上手くないけれど…『蜘蛛巣城』(1957)に関する動画

 

 

能舞台は四隅の柱で表現