Waterloo駅近くにあるOld Vic シアターで演劇『Machinal』を観たのは2週間前。英国高等教育アカデミーの指導資格の応募締切が昨日だったし、昨日はリサーチ関連のワークショップがあり、オフィスの仕事の締切まで重なり忙しく、今日までブログに手が出せなかった。前日の17日に字幕のボランティアをしているウェールズ出身の友人から、この劇の「タダ券が手に入った」と連絡があった。で、当時はまだエッセイの採点中だったが「息抜き」としてありがたく参加させて貰うことに。舞台から見て2階の真正面だったので、かなり良い席で字幕がよく見えた。ただ折角あらすじが書いてあるWebサイトを先に送って貰ったのに、読む時間がなく何も知らない状態で舞台が始まってしまった。さて、そのあらすじは…

 

 母を養うために速記者として働く若いヘレン(ロージー・シェアリー)は会社に毎日遅刻してくる。彼女は抵抗を感じながらも社会が女性に期待する儀式に従って生活している。ある日彼女は自分が働く会社の社長ジョーンズ氏から求婚され、気が進まないにも関わらず結婚を承諾。でも結婚当初から夫には常に嫌悪感を抱き続ける。子供が生まれた後、彼女はバーで出会った若い男と関係を持つが、それが彼女の人生への欲望を煽る。衝動に駆られて夫を殺害した彼女は有罪判決を受け、電気椅子で処刑される。

 

 『Mechinal』(1928) はジャーナリストでもあるソフィー・トレッドウェルの作品。1920年代という時代における女性の抑圧を描いた作品だが、現代にも通用する部分が多い。当時のニューヨークで実際に起こったルース・スナイダーによる夫殺しの事件から発想を得ているが、社会が要求するメカニズムの中で自分を押し殺し続けたら誰にでも起こり得る話だと思わせる普遍性がある。結果、舞台が終わった後も自分の母の言った言葉が蘇ってきたり、金や利益目当てらしき結婚をした人たちなどが思い出され、すっかり重い気分に。イギリスでもヴィクトリア朝時代、金のために結婚し夫を毛嫌いするというストーリーとしてITVドラマ『The Forsyte Saga』(2002) があるし、19世紀初に遡って反対にずっと年上の求婚者と最後には幸せな結婚をするアン・リー監督映画の『ある晴れた日に』(1995)など似たようなテーマがあるが、バッドエンドだったりハッピーエンドだったり色々。でも、これらは皆フィクション。対して『Mechinal』は実話を基にしている分余計に真実味がある。また、所詮アメリカの価値観は金に大きく支配されている (ヨーロッパは階級だけど) という意味でもやるせ無さが残る。

 

 主役ヘレンを演じるロージー・シェアリーの熱演で終演後はスタンディング・オベーションが起こった。「身につまされる」という意味で忘れられない演劇。