BBC iplayerで昔から観たいと思っていた『ニュルンベルク裁判』(1961)を数日に分けて鑑賞。 何しろ豪華キャストで、マレーネ・デートリッヒ、バート・ランカスター、マクシミリアン・シェル、ジュディ・ガーランドにモンゴメリー・クリフトなど。でも、内容はナチスドイツの戦犯の裁判なので、自殺しなかった有名人、例えばヒットラーお抱えの建築家アルバート・シュペーアは登場するだろうか、という期待は大きく裏切られた。ドイツ法曹界の重鎮が裁かれる裁判。そのあらすじは…

 

 ナチスの最重要人物たちがすでに裁判を受けてから3年経った。この裁判は、ナチスの人種差別における断種・浄化政策を遂行するために職務を利用した4人の裁判官に関するものである。アメリカの元判事ダン・ヘイウッドには、困難な任務が待ち受けていた。東西冷戦は激化しており、ドイツも連合国政府も過去を忘れたいと考えているため、これ以上の裁判は誰も望んでいない。しかし、それが正しいことなのかどうかは、法廷が判断しなければならない問題なのだ (IMDbより翻訳)。

 

 数日に跨がって何とか3時間の映画を観終わったが、法律用語も多く英語字幕付でもキツイ映画だった。日本で初公開の時も吹替版だったというのも納得。その上、ナチスによるユダヤ人大量虐殺のドキュメンタリーを被告である法律家たちに見せるのだが、一緒に見ている観客も目を覆いたくなる場面の数々。ブルドーザーで山と積まれた裸の遺体を巨大な穴に移動させる衝撃映像などが目に焼き付けられる。「ホロコーストは無かった」などというフェイクニュースをどうして唱えることが出来ようか。とはいえ、被告も一般のドイツ人たちも「ナチスがこんな酷いことをしていたなんて、知らなかった」と主張する。

 

 それに裁判で立証される事実も、どこか痛々しく見続けるのが辛い展開。知的障がいがあるモンゴメリー・クリフト演じる青年の断種措置の裁判や、アーリア人の女性ジュディ・ガーランドが10代のころ死刑になったユダヤ人老医師の愛人だったことを証明する、など。所々で流れるデートリッヒの持ち歌リリー・マルレーンなどで戦時中彼女のナチスに対する勇気ある抵抗が仄めかされるし、彼女が演じるドイツ軍将校の未亡人役も凛として神々しいのだが…

 

 未だに解決の目処が立たないイスラエルとパレスチナ戦争も、元はと言えば第二次世界大戦時ユダヤ人大量虐殺が無かったらイスラエルの建国もなかったかもしれないし…ドイツ語翻訳家の池田香代子さんによると彼女が「アウシュビッツ収容所に見学に行った時、軍服を着たイスラエル兵50人位と同宿したが、イスラエルの新兵は弾丸研修で必ずアウシュビッツを見学すると言っていた」とか*。イスラエルは男女を問わず国民のほとんどが徴兵される国。果たしてこうした研修が新たな世代の憎悪を増幅していないと言えるだろうか?例えばこれを日本に置き換えて、高校生が修学旅行で必ず広島の原爆平和記念館や沖縄の平和祈念資料館を訪れることになっていたら、どうだろうか?若い人たちに異なるメンタリティーが形成されるのではないか?など、悶々と考えさせられる映画だった。

 

弁護士役マクシミリアン・シェルの名演説 (日本語吹替)

 

*Youtube (2023) ’19世紀ヨーロッパに端を発するパレスチナ問題【内田樹の談論風発】3’, デモクラシータイムス, 11/10/2023

6:05〜アウシュビッツで