映画に詳しい友人の勧めで「クラシック音楽の映画」という認識だけで徒歩圏内のキャッスル・シネマで観た『Tar』(2022)。キャッスル・シネマには昨年12月にナショナルシアターライブとして映画化されたチェーホフの『Seagull/かもめ』を観に行ったのに、機械の故障で映画自体が直前でキャンセル。払戻プラスおまけで映画のタダ券を貰ったので気楽にお勧め映画に行ったが…まさか、こういう話とは露とも知らず、後味の微妙さにブログを書くのを躊躇してしまった。全編通して主人公が心理的に追い詰められるため、不気味な感じが続くし後味も悪い映画。そのあらすじは…

 

 誰もがうらやむ夢のようなキャリアを達成した、有名な指揮者兼作曲家のリディア・ター(ケイト・ブランシェット)。ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の初の女性首席音楽監督として頂点に立っている。 指揮者としてリディアはオーケストレーションを行うだけでなく、団員を心理的に操作する。 先駆者、情熱的な巨匠として男性優位のクラシック音楽業界をリードする。 さらに、リディアは仕事と家庭を両立させながら、回想録の出版に向け準備中。 最重要課題であるグスタフ ・マーラーの交響曲第 5 番のライブ録音に嬉々として挑戦する。 しかし、制御できない力によってリディアの精巧な外観は徐々に削ぎ落され、天才の汚れた秘密と陰湿で腐った権力の有様が明らかになっていく。人生はリディアをその台座から叩き落とすのだった…(IMDbより翻訳)

 

 映画の前半はインタビューを通じてリディアの達成した偉業を知らせる。「頭が良い上に容姿端麗で何でもできる人って居るよなぁ」と優秀な同僚を思い浮かべながら映画を観ていた。音楽家は耳が良いので普通のことなのかもしれないけれど、主人公も大学では英語で教える一方、ドイツ語でオーケストラに指示をだす。カリスマ性があるのでいちいち「凄い人」と思わされる。しかし、「あれ?何か違和感が…」と思っているうちに主人公が発する不安感に巻き込まれ徐々に違和感が増幅。「ええっ、こんな人だったの?」と段々明らかになる彼女の本性。長年の経験からカリスマ性がある人は仮面をかぶっていることが多いので注意するのだが、演者がケイト・ブランシェットだから油断していた。

 

 話は少しずれるのだが、近年人生の長さはあまり違わないのに偉業を達成する人には、強力な影武者というか、援護者が居ることに気が付いた。音楽の父バッハは優秀な妻を含め家族で作曲していたそうだし、建築家のル・コルビュジェには同じく凄腕のパートナーである従弟ピエール・ジャンヌレが居た。コルビュジェに近いレベルの人がもう一人この世に存在したら、そして相談したり刺激しあったりしたら、結果は目に見えている。大学時代の恩師を含む数人の有名教授には、プロの作家や研究者である配偶者が居てお互いに協力し合っていたり。だから、昔よりもただただ才能に圧倒されることは少なくなった。というわけでこの映画もそういう展開かと予想していたのに「人格障害系の仮面だったか」とがっかり。権力を持つと女性もパワハラに走るとは身も蓋もない展開。というより、自分的にはLGBTの主人公とパワハラというミスマッチに違和感を持った。大抵LGBTの人々は社会の規範と異なるため少数派となる経験を経ているので、私の知る限り彼らが権力を握った途端パワハラ、というのは合点が行かない。パワハラって無神経な人がするものじゃないのか。生育過程の影響もあり、大抵の場合は特別に繊細で敏感な人がほとんど。監督はあまりLGBTの人を知らないのでは?しかも、リディアはゲイで妻はベルリンフィルのコンサートマスターという最強カップル。なのに二人の芸術上のコラボレーションは描かれず愛憎劇だけ。ゾクゾクさせる骨太な映画であるとは認めるけれど、もう少し夢を見させて欲しかった。

 

 主人公のベルリンの自宅は中心街ミッテ地区にあり、インテリアにコンクリート打放と木を使い、天井も高く高級な仕上げ。ベルリンフィルの指揮者とコンサートマスターは流石にお金持ちらしい。コンサートホールの撮影はハンス・シャロウン設計のベルリンフィルハーモニーホール(1963)ではなく、9日間貸切可能だったドレスデンのコンサートホール。新しくリノベーションされたばかりだとか*。

監督脚本はトッド・フィールドでいくつかの部門でアカデミー賞候補になっている。
 

*Hobbs, C. (2022) 'On Location: Berlin Takes Center Stage in ‘TÁR’', Condé Nast Traveler, available at:

 

 

日本語版の予告編が見当たらないので英語版