ミシェル・ヨー主演の異次元アクション映画『Everything, Everywhere, All at Once』(2022、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナート監督)を地元Castle Cinemaの月曜割引で観た。インターネット・ムーヴィー・データベース[IMDb]の評価は8.3と高かったけれど、はっきり言って期待外れ。あのノリについて行ける人が高評価なのだろうけれど、どこか痛々しさを感じたのは私だけ?それともチャイニーズ・アメリカンの発音で詳細が分からないから、面白く感じなかったのか?6ポンドの月曜割引でなかったら、腹が立ったかもしれない。そのあらすじは…

 

 コインランドリーの経営は危機的状況、気弱な夫ウェイモンド(ジョナサン・キー)との関係は暗礁に乗り上げ、過労気味のエヴェリン(ミシェル・ヨー)。夫との結婚当初から批判的な父親や娘のジョイとの関係もボロボロであらゆる面で苦労の連続。悲壮的な中年の危機に直面するだけでなく、エヴェリンは情け容赦無い税務署員のディアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)との不快な面談にも備えなければならない。しかし、スパイマスターの末端エージェントが忍耐の限界に達すると、彼女は説明がつかない多次元宇宙の裂け目に投げ込まれ、並行現実の中で目を見張るような自己の探求が始まるが…エヴェリンはウサギの穴に飛び込んでいくのか?でも、宇宙にはいくつ並行世界があるのか?抑制が効かない可能性の力を理解し、新発見の能力を利用し、邪悪な存在が不可視の世界にある薄い無数の層を破壊しようとするのを疲労困憊のエヴェリンは防ぐことができるだろうか?(IMDbより翻訳)

 

 あらすじを翻訳してもあまり意味が伝わらないのは、並行宇宙のことを理解できていないからか…あまりに現実的なコインランドリーの経営や税務署でのやりとりと突然始まるSF仕掛けのギャップに白けてしまった。それにしてもイギリスでコインランドリーと言ったら、移民が最初に始める仕事の典型だが、アメリカでも同じとは!でも、ミシェル・ヨーとジョナサン・キーを見ていると往時の香港コメディ映画のノリなので(実際ヨーはマレーシア、キーはベトナム出身だけど)中国から父を呼び寄せる設定に違和感も感じる。娘のジョイがゲイで女性パートナーを祖父に紹介する際、それを隠すエヴェリンの「親友よね」という言葉にジョイが猛反発するのはリアルだけれど。並行世界では中国に残って大女優になっていたり、鉄板焼きシェフやら京劇俳優やら色んな可能性を見せるエヴェリンが、現実世界ではやっとこ米国で暮らしている「移民」という境遇...この落差にどこか納得できずモヤモヤする。「移民」の自分と同一視してしまうからかもしれない。