BBC iPlayerで『Sorry We missed you / 家族を想うとき』(2019)を観た。ケン・ローチ監督作品なので社会派映画であることは予想できたが、宅配便ドライバー家族の厳しい状況を映していて、観るのが辛かった。同監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』も厳しい状況を映していたけれど、時々ちょっと笑える場面があるのだが、本作は英国における新自由主義の時代を反映して更に厳しい状況の連続。ゼロ時間契約の宅配ドライバーの仕事をようやく手に入れた主人公は、個人事業主としての契約なので保障がなく、仕事ができない日があると借金が重なっていくという悪循環に巻き込まれていく。あらすじは…

 

 リッキー(クリス・ヒッチェン)とその家族は2008年の金融危機時の借金と格闘してきた。新車のバンで幾らかの独立が取り戻せる機会が生まれ、個人事業主として配達ドライバーのフランチャイズを展開できそうだった。家族の絆は強いが、異なる方向からの圧力で全ては限界点に達するのだった(IMDbより翻訳)。 

 

リッキーの仕事もキツいけれど、介護者として働く妻のアビー(デビー・ハニーウッド)もキツい。彼女が作った食事を介護される側の老人が床に撒いてしまったり、夜中でも彼らの粗相の支援で呼び出されたり。それなのに移動に使っていた彼女の車をリッキーが自分のバンを手に入れるために売ってしまう。両親の関係がギクシャクするにつれて、長男のセブが荒れていき、友達と共にグラフィティ活動で警察に捕まった結果、学校からは休学を言い渡される、と言った具合。普通に真面目に働いている人たちが暮らして行けない社会なんて。サッチャーをはじめ新自由主義を推進してきた全世界の政治家の罪は重い。ついでに邦題『家族を想うとき』は宅配便の不在届を意味する原題『Sorry We Missed You』と違って、映画の主題である主人公の生活を全く反映していなくて残念。