日本からの帰国便でドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ/Arrival』(2016)を観た。公開当時確か映画館で観たから二度目の観賞。当時、原作テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』を読んでからブログに書こうと思っているうちに書きそびれてしまった。映画の後に原作本を買って読もうと思うことは滅多にないけれど、印象深く考え込んでしまう物語なのでもっとよく解りたかったのだ。気持ちだけ先走って実際に小説を読む、という実践が伴わなかったけれど。さてそのあらすじは…

 

 奇妙で神秘的なエイリアンの宇宙船12隻が世界の彼方此方に到着する。米軍の要請で言語学者のルイーズ・バンクス博士(エイミー・アダムス)はエイリアンたちが平和的かあるいは威嚇的な意図でやってきたのかを彼らと喋ることで理解することを求められる。しかし、世界中の他の国々は予定外に起こることは大抵破壊を目的としていると考える傾向があって一触即発の危機に陥る。一方、コミュニケーションも全く違った方法をとるエイリアンたちにとって時間とは直線的に進むものではなく、ルイーズにも思いがけない助言を与えるのだった…(IMDbより翻訳)

 

 このSF映画に出てくるヘプタポット(7本脚)と呼ばれるエイリアンは過去や未来という(多分)言語学者ソシュールのいう通時的な時間感覚がなく、共時的にあらゆるものを見たり書いたり考えたりするらしい。だからエイリアンたちが描く書き言葉は筆使い又はストロークがなく一度に発射される墨で表現される。この対比は原作者が中国系アメリカ人である、という事実に関係していると思う。というのも、英語などアルファベットを使う言語は書き言葉それ自体には意味がなく、表音文字なので音に重点があって、通時的。比較すると表意文字である漢字は偏や旁の意味の方式を知っていれば読み方は分からなくても意味が通じるし、元は絵なので一目で意味が分かるから共時的なのだ。この傾向は表意文字や表音文字を使う人たちの考え方にも影響していて、例えば日本の研究は一眼見れば分かる表やダイヤグラムを重視するけれど、英語の研究はあまりそれらに頼らず、耳で聞いても判断できる論理で勝負する。換言すれば、前者は視覚重視、後者は聴覚重視なのだ。この違いはそれぞれの社会に大変な影響を与えている。前者はイメージに影響されやすいが、後者は議論に重きを置く、と言った具合。恐らく中国語と英語の両方を使う環境に育ったであろう原作者はこの違いを敏感に感じ取っていたに違いない。

 

 でも、この原作小説と映画は更に重要な問いを観るものに突きつけてくる。「もしあなたが未来を見ることができたら、これから起こる現実を受け入れますか?それとも争いますか?」ネタバレになるけれど、映画の最初の場面で主人公のルイーズは娘の赤ちゃん時代から少女になって死ぬまでのフラッシュバックのようなヴィジョンを見る。物語が進むにつれて、ルイーズの将来が挿入される手法は映画という時間が司る媒体によってより効果的に表現されていると思う。忘れ難い映画だ。

 

予告編