マーティン・スコセッシ監督、遠藤周作原作の『Silence/沈黙』をHackney Picturehouseで見た。日本滞在中に、NHKのドキュメンタリーで、この映画の製作過程を見て面白そうだと思ったからである。イタリア系移民で敬虔なカソリック信者の監督は28年も前から原作小説に興味を持っていて、映画化のために研究者まで雇って資料を収集したという。番組の中で写された資料室では、本棚に本とファイルがうず高く積まれ、何年にも渡る研究者の努力が窺われた。日本の時代劇のハリウッド版と違って、きっと時代考証はしっかりしているだろう、と予想したが・・・あらすじは以下の通り。

  江戸時代初期、若いポルトガル人宣教師ロドリゲスとガルぺ(アンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライバー)は、連絡が途絶えた恩師の宣教師フェレイラ (リーアム・ニーソン) を探すために、キリシタン弾圧の真っ只中の長崎に密入国する。二人は隠れキリシタンの村人たちから歓待を受ける。しかし、彼らをかくまう村人たちが長崎奉行 (イッセイ尾方) に捉えられ、公衆の面前で拷問される。岩場の陰から見ているだけで何もできない二人。結局、五島列島出身で、 マカオから二人につき従ってきたキチジロウ(窪塚洋介)の裏切りで、ロドリゲスも捕まる。信者の命と引き換えに、獄中で棄教を迫られるロドリゲス。彼は宗教家として重大な疑問につき当たるが・・・

  残念ながら時差ボケもあって、途中で寝てしまった。真面目で真摯な映画だが、中盤が冗長で退屈。何より不思議なのは、日本人が皆ほぼ英語が堪能であること。当時の日本ではありえない設定を気にしない、アメリカ映画のご都合主義に、苦笑せざるを得ない。これでは映画が台無しだ。何故キチジロウに通訳の役目を担わせなかったのか。原作は小説なのだから、そのくらいの改変は可能だったはず。おまけに、舞台セットが日本に見えず南国の島に見えた。恐らく時代考証のリサーチはちゃんと行ったのだろうが、村人の住む家のつくりが粗雑。日本の時代劇を見慣れている影響もあるかもしれないが、民家園にある建物などから察するに、私は器用な日本人の建てる家はたとえ田舎の農村であっても、400年前であっても、もう一段階精密できめ細かいと思う。村民が作った十字架にしても、もう少し上手く作りそうな気がする。ここまでは個人的な見解で想像の域を出ないけれど、五島列島の村が海岸の砂地に立地していたのは、さすがにいただけない。あれでは、台風や高波で一気に村が流されてしまう。一人の研究者による時代考証の限界か。監督自身がよく知らない国の歴史映画を撮ることの難しさを痛感させられた。