中華街の中にあるCurzon SOHOでフランソワーズ・オゾン監督の『Dans la maison (危険なプロット)』を見た。フランス映画らしくよく練られた作品で、リセ(高校)の生徒が描く小説を取り巻く話である。文学教師のジャーマインがあるクラスのエッセイの採点をしているのだが、どの生徒もひどい点数ばかり。その中で唯一光る才能を見せたクロード(Ernst Umhauer)のエッセイの内容はクラスメート・ラファの「完璧に幸せな家族」と素敵なママンについて。高校生にもなってラファは両親が毎日迎えに来るのだが、他の子と違って恥ずかしがったりせず、素直に喜び家族の仲の良さを隠さない。そこに疑問を持ったクロードはラファが苦手な数学を教えてあげると言う口実で彼の家に徐々に入り込んでいき、その状況をエッセイの中で描く。覗き見的な興味もあって、ジャーマインとその妻(クリスティン・スコット・トーマス)は「To be continued (続く)」で終わっているクロードのエッセイに引き込まれ、元作家であるジャーマインは続きが読みたいこともあって、課外授業という形でクロードに小説の書き方を教える。

 実際、文章と映像という違いはあれど、ジャーマイン夫婦の視点は映画を見る側の私たちの視点とかなり一致し、途中からクロードの書く小説と実際のクラスメートの家庭での出来事のどこまでがノンフィクションでどこまでが創作なのかが分からなくなっていく。またクロードのラファのママンに対する恋、クロードとジャーマインの創作を通じた(疑似)恋愛、また「親友だ」と信じるラファのクロードに対する恋が交錯する。この人間関係の真ん中でほぼすべての人から才能や美貌を認められ、愛されるクロード。映画の中でジャーマインは妻に「普通の少年だよ」と言うが画面で動く姿は相当な美少年で、学校の中でも疑いの眼差しを受ける。そしてクロードのせいで崩壊していくジャーマインの人生。オゾン監督の手の平の上で、観客はストーリー展開に自然に誘導され、また、終盤で明かされるクロード自身の厳しい現実生活を垣間見せられるので、非常に納得がいく構成になっている。

 ビスコンティ監督の『ベニスに死す』の美少年(
ビョルン・アンドレセン)をつい思いだしてしまうほど、クロードを演じたUmhauerはチャーミングで、彼の描写もあくどさの手前で止まっている。ボーダーラインもどきの少年の話にしては、映画自体もフランス郊外の公園や自然が美しく、どこかさわやかで心地よかった。また、モダニズム建築をうまく使ったジャック・タティの『プレイ・タイム』のように、大きなガラス窓から観察できる人々の生活、ヒッチコックの『裏窓』のように、他人の家を映画を通して覗き見る手法は斬新さとは違うが、うまく過去の作品から引用していて、上手い。また、世代や性別に対する垣根が低いせいか、微妙な愛や恋についてはフランス映画は一枚上手なような気がする。