ミヒャエル・ハネケ監督のカンヌ映画祭パルムドールを受賞した『Amour(愛、アムール)』をロンドンの中華街前にあるCurson Sohoで見た。ロンドン・フィルムフェスティバルでも評判が高く、早々にチケットが売り切れてしまっていた作品。ハネケ監督作品では、『Hidden (隠された記憶)』 (2005年)が印象的でフランスの植民地アルジェリア問題を切り口にしたサスペンス調の名作だった。今回の『Amour』はフランスの老々介護を正面から取り上げ、労働問題など権利の面では世界でもトップの先進国であっても、老齢介護についてはあまり他の国と変わらないことが分かり、かえって世界共通の普遍性があるテーマとなっている。それにしても、80歳を超す主人公ジョージの衰えていく妻アンへの強い絆がある愛には、周囲を寄り付かせない凄みさえ感じた。二人の演技もあまりに真に迫っていて、まるでドキュメンタリー映画を見ているような錯覚を覚えた。

老齢になってからの脳卒中の恐ろしさは発作の度に階段を転げ落ちるような体の衰え方にある。元の体に戻るのは非常に難しい。最初の発作はある日突然起こり、まるで崖っぷちを知らずに歩いていて突然転落してしまったかのようなものだ。その後は思いもしなかった車いす生活、そしてさらに発作が起これば進んでいく認知症。母がまるで違う人になってしまったことを目前にしたとき、一体何をもって生きているというのだろうか、と大いに疑問を持つと同時に、現実として受け入れることができない自分に、愕然としたものだ。

映画では夫のジョージは自身でさえヨタヨタしていて危なっかしいのに、信じられないほどきちんと妻の介護をしている。彼の献身ぶりの片りんはまず最初の場面で教え子のピアノリサイタルあとで、「今日の君はとても綺麗だったよと言ったかな」と妻を褒めるところから始まる。さすがフランス男、80過ぎであっても言うことのレベルが違う。最初の発作の場面でも、すぐにティータオルに水を含ませて顔や首筋を冷やしてあげるという甲斐甲斐しさ。妻が車いす生活になってからは、野菜と肉のバランスのとれた食事をちゃんと作ることができる。彼らの住居である、パリのアパルトマンも古びてはいるけれどしつらえはなかなか素敵だ。音楽家夫婦なのでもちろんグランドピアノがあって、いろいろな写真が入っている額縁、映画の途中で中断するように映される絵画などと本棚との取り合わせは、使う側のセンスの良さが要求される。確かに妻が「もう病院には二度と戻りたくない」というのもよく分かる。しかし、それが故に二人が行きつく先は決まってしまうのだ。

生きていくことと幸せ、そして死との組み合わせの一番バランスのとれた地点はどこにあるのか。最後に死を暗示する形で二人で家を出ていく場面は、これが彼らにとっての幸せなのだ、と映画の観客には思わせてくれるけれど、その後一人で空っぽのアパルトマンに入っていく娘には、その暗示はないのである。娘役のイザベル・ユペールに近い自分の境遇からすると、映画全体を通して、娘にとってあの結末は耐えられないし、自分を責めるだろうなと同情してしまった。人間は生まれてくることは選べないけれど、自分の死の選択は可能である。ただ、自分の死後に残されるものの喪失まで考えが及ぶかどうかはわからない。