新年も明けて3週間も経ちましたが、今年1回目の新年会に行ってまいりました。

場所は上野の韓国街にある「海雲台(へうんで)」と言うお気に入りのサムギョプサル屋さん。

オモニが優しくて、いつも帰りにはチャミスルやらキムチやらお土産を持たせてくれます(私にだけw)

サムギョプサル屋さんと言っても、私はもっぱらケランチムとチヂミでマッコリを飲んでいますがw


メンバーは、幹事をしてくれたガースーちゃんと、彼女の同期で仲良しのミキティとおフミ、セミナーチーム最年少のユカちゃん、一緒に韓国子会社の立ち上げの仕事をしたキムコと、まあ私の大好きな女子ばかりww

キムコは韓国の子なのに辛い物が苦手という珍しい子ですが、酒は私よりも強い。どれだけ飲んでも全く変わりません。

いつも「Kazuさんはお酒弱いです」と言われております😅


そんなメンバーでしたので、会も盛り上がり、二次会でカラオケに行こうということになりました。

何を隠そう、最近の歌が全くわからない私はひたすら昭和のヒット曲とか英語、韓国語の歌を歌っておりましたが、歌を探していてふと目に止まったのが「さらばハイセイコー」。

あ、あるのね、こんなのも。


ハイセイコーと言えば、アイドルホースの走りで、競馬ブームの火付け役とも言える馬です。

大井競馬出身でありながら、中央に転入して連戦連勝、皐月賞までは負けなしでした。



地方競馬出身で初のダービー馬かと期待されましたが、ダービーはタケホープの3着。三冠目の菊花賞もデッドヒートになりましたが、これもタケホープにハナ差で破れてしまいました。


当時(昭和48年かな)私は小学生でしたが、すでに競馬歴5〜6年でしたのでw、どうも地方のダート上がりと言うのが好きではなく、周りがハイセイコー、ハイセイコーと騒いでいる横で、イチフジイサミと言う馬を応援していました。


当時はグレード制がなかったため、いわゆる八大競争(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス、天皇賞春、秋、有馬記念)を勝つ事が名誉だった訳ですが、今やG1になっている宝塚記念や高松宮杯(当時は2000m)も勝っているし、有馬記念も3着、2着としっかり馬券に絡んで来る優秀な馬でした。

種牡馬としても、ダービーを勝ったカツラノハイセイコや皐月賞を勝ったハクタイセイ、エリザベス女王杯を最低人気で制したサンドピアリスなどを出しています。


そんなハイセイコーが引退した時に、主戦の増沢末夫騎手に歌わせた企画物の歌が「さらばハイセイコー」なのでした、

まあ、演歌と言うか軍歌と言うか、いわゆる昭和歌謡ですw




もう1頭、ハイセイコーから遅れる事4年。

昭和52年にも人気の馬がおりました。

テンポイント。

「流星の貴公子」と呼ばれた栗毛流星の綺麗な馬でした。



当時はクラシックレースでも関東馬の方が優勢で、関西馬は強い関東馬の対抗的な位置付けで捉えられていたのですが、この年も関東にはあのトウショウボーイがいて、テンポイントは西の総大将と言われていました。


元々スピード血統ではなかったことと晩成型であったため、春のクラシックは奮わず、秋になって本格化するかと思われましたが、菊花賞、有馬記念もともに2着に終わりました。


トウショウボーイ、グリーングラスと3強と呼ばれつつも、トウショウボーイにはいつも勝てずにいたのですが、明けて5歳で本格化し、重賞3連勝で天皇賞を制覇。

宝塚記念ではトウショウボーイの後塵を拝しますが、その後また3連勝して有馬記念も勝ち、年度代表馬となりました。


ちなみに、この年の宝塚記念と有馬記念は、歴史に残る本当に凄いレースだったのですが、これはまた別な機会に書くとして、テンポイントはこうして名実ともにスターホースとなったのでした。


しかし翌年の日経新春杯で66kgと言うとんでもない斤量を背負わされて出走して、レース中に骨折。

人気馬と言う事ですぐに処分されずに2ヶ月近くも、足をつかないように吊るされた状態で治療を受けていましたが、結局蹄葉炎で死亡。


何だかテンポイントの紹介みたいになってしまいましたが、その彼の死後にレコードが出されました。

「君よ、走れ テンポイント讃歌」


まあ、ひどい歌でしたww

元々は関西テレビの杉本清アナウンサー(テンポイントの大ファン)に歌わせる予定が、あまりに下手過ぎて、売れない新人歌手に歌わせたと言う話もありますが、歌自体がイマイチ。

"何とか少年少女合唱団"みたいな子供達に、"見てくれ この脚〜🎵"なんて歌わせる感覚がついていけません。ハイセイコーの方がよっぽど良い曲です。



私は杉本アナウンサーのレース実況入りのLPレコードを買ったのですが、ほぼレース実況しか聴きませんでしたw


その後、あんまり競走馬を歌った歌って聞かないですよね。

オグリキャップはあったかも、時代的に。

でも、ディープインパクトもキタサンブラックもないですもんね。

まあ、キタサンブラックはサブちゃんの"まつり"がテーマ曲みたいなものですが…ww


と思って調べてみたら、いや、あるわあるわ……。


オグリキャップ

1991 - オグリキャップの歌 / YUKARI

カツラノハイセイコ

1979 - いななけカツラノハイセイコ / 増沢末夫

キタサンブラック

2015 - 夢に向かって / 北島三郎

2017 - ありがとうキタサンブラック / 北島三郎

グリーングラス

1980 - いつか息子に-グリーングラスに捧ぐ詩- / 佐々木功

サイレンススズカ

1998 - 天馬のように / 因幡晃

ザッツザプレンティ

2017 - 大輪の花 ザッツザプレンティ / 松原愛

スリープレスナイト

2017 - 眠れない夜 スリープレスナイト / 松原愛

ダンスインザダーク

2017 - 暗闇で踊れ!ダンスインザダーク / 松原愛

ディープインパクト

2007 - 翔んでディープインパクト / 和田青児

2007 - 飛べディープインパクト~ディープインパクトのテーマ~ / アレキサンダー・ラボルテ・パドロン

テンポイント

1976 - 君よ走れ-テンポイント賛歌- / 菖蒲芳則

1978 - あゝテンポイント~悲運の名馬~ / デューク・エイセス

1978 - 泣くな!テンポイント-涙で蹄を濡らすな- / 伊勢功一

ハーツクライ

2017 - 心の叫び ハーツクライ / 松原愛

2017 - 砂漠に咲いた花 ハーツクライ / 松原愛

ハイセイコー

1975 - さらばハイセイコー / 増沢末夫

1975 - ハイセイコーよ元気かい / 増沢末夫

ハギノカムイオー

1982 - 英雄鮮やかに甦れ / KATSUHIKO

ハクタイユー

1982 - 白馬くん / 柴田一幸

ハルウララ

2004 - ハルウララの詩(うた)―ただ、ひたすらに― / 堀内佳、スターター吉田

2004 - ガンバッテるんだ! / 嶋大輔

2004 - YOSAKOIウララ~ハルウララのテーマ~ / リストラーズ

2004 - ハルウララ賛歌 / 宮川大助

レッツゴーターキン

2017 - ありがとう!レッツゴーターキン / 松原愛

ローズキングダム

2017 - ようこそバラの王国へ ローズキングダム / 松原愛


キタサンブラック、ありましたね〜。

さすがサブちゃんw

ディープインパクトもやっぱりありましたか。まあ、あれだけの活躍馬でしたから、当然と言えば当然ですかね。

ハルウララも話題になったので、これも納得。


それ以外のラインナップを見ていると、レッツゴーターキンは作った人がきっとあの万馬券の天皇賞取ったんだろうなあとか、サイレンススズカは劇的と言えば劇的な最後だったので、思い入れの強い方がいるんだろうなあとか、色々な想像が頭を巡ります。


しかし、気がついたのは、ハルウララ以外は全部男馬だと言う事。

ウォッカやダイワスカーレット、エアグルーヴなどの名牝の歌があっても良いんじゃないかと思いました。


その一方で、スリープレスナイトとかザッツザプレンティとかローズキングダムとかは、G1勝ちもないのに歌まで作ってもらって幸せですね。

愛されていた証拠ですもんね。


【訂正とお詫び】

上記3頭はG1勝ちがありました。

スリープレスナイト スプリンターズS

ザッツザプレンティ 菊花賞

ローズキングダム 朝日杯FS・ジャパンC

訂正と共にお詫び致します。

ご指摘くださったkizunaさん、ありがとうございました。



クラブの馬達にも歌を作ってあげたら良いのになあ。個性派揃いですから歌も作りやすい気がします。

あ、そういえば前に作ったわ、ナンシーの歌w