前回、「力を入れるところ」と「抜くところ」の見極め方についてお話ししました。
今日は、実際に「これは抜いていい」と決めたあとに、なぜか湧いてくる罪悪感との付き合い方についてです。
頭では「これは抜いても大丈夫」とわかっている。
でも、いざ抜いてみると、なぜかザワザワする。
「本当にこれでいいのかな」「ちゃんとやらなかった自分が悪い気がする」。
この感覚、経験ありませんか?
まず、はっきりさせておきたいことがあります。




その罪悪感は、「あなたが間違ったことをしたサイン」ではありません。
多くの場合、それは「長年繰り返してきた行動パターンが、変わろうとしていることへの違和感」です。
心理学の研究では、自己批判が強い人ほど「頑張りすぎ」に陥りやすく、しかもその自己批判は、実際のパフォーマンスや結果の改善にはあまり結びつかないことが分かっています(セルフ・コンパッション研究の分野でよく指摘される点です)。
つまり、「罪悪感を感じるからこそ、次はもっと頑張れる」というのは、実は思い込みに近いんです。
罪悪感は、行動を良くする装置ではなく、単に「いつもと違うことをした」ときに鳴る警報にすぎません。
警報が鳴った=危険、ではないんです。

私にも、この警報に振り回された経験があります。
教師時代、生徒の提出物には、必ず一人ひとりにコメントを書いて返す、というのを何年も続けていました。
ある年、あまりの忙しさに、一部の生徒にはコメントなしで丸だけつけて返した週がありました。
その夜、正直、かなり落ち着かなかったです。
「手を抜いた」「あの生徒たちに申し訳ない」という気持ちが、ずっと頭に残っていました。
でも、翌週の授業で、何が起きたと思いますか。
何も起きませんでした。
生徒たちは、コメントの有無にはほとんど気づいておらず、むしろ「先生、なんか元気そうっすね」と声をかけてくれた生徒がいたくらいです。
私が抜いたのは、生徒にとって重要なことではなく、私自身の「ちゃんとした先生でいなければ」という思い込みだったんです。

罪悪感が湧いたときに、私が実際にやっているシンプルな方法があります。
**「その罪悪感が正しいかどうかを、感情ではなく事実で確認する」**という方法です。
やり方はこうです。
1.力を抜いたことをひとつ書き出す(例:夕飯を総菜で済ませた)
2.それによって「実際に困ったこと」があったかを、翌日振り返って書く
3.たいていの場合、「特に何も起きなかった」という結果になる
これを数回繰り返すだけで、「罪悪感=危険信号」ではなく、「罪悪感=ただの慣れない感覚」だと、頭ではなく経験として理解できるようになります。
罪悪感は消そうとしなくて大丈夫です。
ただ、「これは私を止めるための正しい警告ではないかもしれない」と、一歩引いて見てあげてください。
次回は、「頑張らなくていい」を、家族にどう伝えるかについてお話しします。
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