アマヤドリ「人形の家」激論版 2024.03.24(ソワレ、千秋楽)

諸般の事情により後半2/3強の観劇となりました。お芝居の千秋楽というのは慣習的に役者さんのお遊びを入れることが許されているのですが、見た限りではクリスマスツリーに赤いリボンが追加されていたくらいかな。シリアスなお芝居なのではばかられたのかもしれませんが、もしかしたら出演者のみなさんは、開幕すぐの、マカロンを仲立ちにしたシーンあたりで楽しんでいらしたのかもしれませんね。

今日の上演では、大塚由祈子さんは乳母を演じるにあたりラストの伏線を置くことをしていらっしゃらなかったように感じました。そう見えたのが正しいとするなら、「匂わせ」と取られる可能性のある演技は一切するべきでないという自分に厳しいお考えからのことかなと思います。
倉田大輔さんは、抑制の効いた演技は変わらずながら、いくつかのセリフの調子をわずかに変えて効果を上げていらっしゃいました。最後の場面での「恩知らず」「まるで…子供だ」という二つのセリフは、思いに押しつぶされてようやく言葉を出した、という風に発しておられたと思います。
宮崎雄真さんは、クログスタをあくまでこの世的な人物として演じ切ることでラストのノーラを際立たせてくださっている、と、改めて感じました。
中村早香さんは、クログスタの手紙の件でノーラとやり取りをしたのちの、退場する際の足音でさえ、演技しておられました。
西本泰輔さんは死を想う表情がやはり素晴らしく、ノーラとのやり取りでノーラが「通してほしい」むね発言するあたりのノーラとの息の合い方がどんどん良くなっていった様子が伺われました。最後の出番での酔っぱらい演技の良さは格別、そして、退場間際、トルヴァルとノーラそれぞれへの別れを見事に演じ分けていらっしゃいましたね。
さきにお名前をお出しした大塚由祈子さんは、クログスタの二回目の訪問をノーラに告げる際、小間使いから女主人への感情を漂わせることをされなかったように感じました、やりすぎは良くないとの考えで、演技を変えていらしたのかもしれません。

そしてノーラの徳倉マドカさん、トルヴァルとのやり取りのあと退場間際に子供の教育に関するセリフを吐くところ、クログスタとのやり取りにおける「見ていてごらんなさい!」の叫び。それぞれ、ノーラがいまだ子供に与える自分の影響に気づいていないこと、そして、トルヴァルを盾にして生きていることを示し、ラストを匂わせないのは立派でした。
家を出る準備をするために下がる前の、トルヴァルへの最後のやさしさを示すのであろう激情を発露するシーン、徳倉さん自身の感情とは受け取られることはもうないだろうと思われました、それだけコントロールが効いていました。
オーラス、退場するまぎわ、一歩ごとに間を空けた足音での表現には感心しました。

仮装舞踏会のときの大きな髪飾りそして「仮装を脱」いだあとの三つ編みが後ろに渡された髪型は、こちらの見誤りでなければ、千秋楽だけのものだったかもしれません。

中日前はギリギリのところでご自身の若さに邪魔されないでいたのかなと思われた徳倉マドカさんですが、数回にわたり拝見した今回の上演、中日を過ぎてのちの徳倉さんは、みずからの若さを操ることが出来ていたように思います。ところが、若さに邪魔されなくなったために、若さを操り得ているために、かえって若さが際立って見える、という、皮肉な状況が出現してしまっていたようです。しかしそのことが、同時に上演された「疾走版」とともに、若いひとたちを押しつぶす簡単なお仕事をやらかしてはいけないのだ、と気づくきっかけになった、と、わたくしとしては考えております。今回の上演に関わったみなさんの努力には、感謝あるのみです。


徳倉マドカさんのノーラ。確かに、若かった。けれど、素晴らしいノーラでした。