アマヤドリ「人形の家」激論版 2024.03.21(ソワレ)

徳倉マドカさん演じるノーラが、登場するなり、バッグに隠し持っていたマカロンを口に入れ、美味しさに飛び跳ねてみせます。これまでの上演ではカットされていた場面なのでしょうね。この場面が無かった今までのパフォーマンスでは中村早香さん演じるところのクリスティーネの登場したあとノーラとクリスティーネの間に交わされるマカロンをめぐるやり取りがいささか唐突に思われたのですが、今回の復活でわかりやすくなりました。
食べ物を口に入れるため口が乾いてセリフが言いにくくなるリスクを抱えるかもしれないのに、リスクを覚悟のうえでも、というか、リスクを上回るほど役者のみなさんがノッてているが故の復活、ということなのでしょうね。
この場面に限らず、今日まではカットされていたと思しき所作やセリフがいくつか復活した模様ですが、それらに関しては、気づいた限り、適宜記していきます。

クリスティーネを演じる中村早香さんは、宮崎雄真さん演じるかつてのパートナーたるクログスタの登場にあたり、クログスタが姿を現すその瞬間にはご自身のセリフが無いのですけれども、人越しに見えるクログスタを見て目を丸くするというリアクションをしておられました。
観客は、セリフの無い瞬間の自分を見ていないかもしれないけれど、自分がリアクションを行うことで場面の雰囲気は確実に変わるのだ、というお考えからでしょうね。
中村さんはクリスティーネとクログスタの復縁シーンに於いて、ノーラの迎えるのが、自分たちのような復縁であろうことを信じ切っているものとして演じ、結末を匂わせることをなさいませんでしたが、みずからの役割を決してはみ出さないためには、どれほどの克己心を要したことか。

リアクションといえば、ランクを演じる西本泰輔さんは、クリスティーネの登場する場面で、クリスティーネに対するリアクション、クリスティーネに職を与えるようトルヴァルに迫るノーラ、それぞれに対するリアクションを的確に演じ分け、場面の空気を成立させていらっしゃいました。
西本さんはのちの場面での、トルヴァルに甘えるノーラをみて自分の置かれた位置を悟る様子、そして、最後の登場となる場面での酔っぱらいの演技が、見事でした。

クログスタとノーラとの対決が二か所あります。
クログスタを演じる宮崎雄真さんは、最初の対決では「相手の出方を見る→相手を手玉に取る」様子をノーラに対する表情で演じ分け、その後の対決シーンでは、解雇された怒りで我を忘れる様子を確実に演じておられました。この、我を忘れる様子、ほとんど狂気のさまが、クリスティーネとの復縁によって収拾される箇所の演技が、また、素晴らしかったですね。

乳母の役でみごとに伏線を提示して見せた大塚由祈子さん、あくまで伏線であり、匂わせているのではありません、本筋に関係ないと一見思われる役柄であることからこそ可能になったのでしょうけれども、伏線、すなわち、徳倉さんと並んで座ったシーンでの大塚さんの視線の鋭さは見ものでした。
ヘレーネを演じる際の大塚さんは、中日を過ぎた今回の芝居が、役者のものになったことを感じさせてくれました。

ヘルメルを演じる倉田大輔さん、ノーラに向かっての「顔に書いてある」というセリフが二回登場しましたが、これも前回までは最初の一回だけだったのじゃないかな。倉田さんの終始一貫した禁欲的とさえ思える演技があってこそ、ノーラなる人物が成立するのだ、ということを、今日の上演に於いても、気づかされました。
なお、一回目の「顔に書いてある」を受けてノーラは、夫に対する非常に強い違和感を示しはしますけれど、けっしてラストの行動を匂わせたりはしません。ノーラを演じる徳倉マドカさんの緻密な演技設計が伺われるところでした。
ランクが名刺を残していくシーンは、今日より前のパフォーマンスでは、倉田さんの手にするのはランクの名刺だけであり、こんなにたくさん、と、名刺とともに郵便物を示す所作もセリフもカットされていたのを復活させたものでしょう。

ノーラを演じる徳倉マドカさんは、各所に若さをのぞかせますが、その若さは、あくまでも徳倉さんご自身が乗り越えていらっしゃったものです。すなわち、徳倉さんは若さを演技の逃げ道としていないのですね。
幕切れ近く、家を出るための準備をするまえ、ノーラではなく演じる徳倉さんご自身が激情に駆られて叫んでいるかのように取る人がいるかもしれないと感じたシーンがありますが、この激情さえ、劇中の夫に対する演技であることがわかりました。すなわち、あくまでも劇中の相手に対しての劇中人物の演技なのであって、徳倉さんご自身が観客に向けての激情表現に逃げているわけでは無いのです。
その、激情を示す、すこし前のあたりの倉田さんと徳倉さんのやり取りは、芝居が作者や演出者の手を離れて自分たち役者のものになったことの喜びにあふれていました。
トルヴァルの「愛していないのか」というセリフに対してノーラが「愛していない」と答えるシーン、ここでノーラは、自分の、自分なりの愛が、閉じた世界に生きるトルヴァルには通じないことを確認しているのですね。別れることが自分の愛の表現であるのに、トルヴァルにはその愛が通じないのだ、と。よほど集中して鑑賞していないと、単にノーラからトルヴァルに対しての売り言葉に買い言葉のやり取りと見えてしまうかもしれないところですけれども、そう見えてしまったとしても観客のみに責任がある訳では無く、徳倉さんの若さが邪魔をしてしまっているかもしれない場面でもあります。わたくしは徳倉さんがご自身の若さからギリギリ逃れ得ていると見ましたが、これからごらんになる方は、このパートの徳倉さんの演技の示すものを、そして、トルヴァルに扮する倉田さんの演技あって初めて徳倉さんの演技が成立していることを、ご確認ください。

中日を過ぎた「人形の家」、カットされていたセリフや所作が復活したことは、出演されているみなさん、劇団の主宰者である広田淳一さんがノッている様子を示すものでしょう。
脇を固めるみなさんの凄腕ぶりを再確認するとともに、主役を務める徳倉マドカさんの演技設計の確実なることを確認する、そして、いよいよ芝居が役者のものになってきたことを感じさせてくれる、とても嬉しい上演回でした。