6000系6050編成は・・・ | すべて俺のせいさ!

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naka606の「すべて俺のせいさ!」


一昨年、こちら で少し触れたように、神戸線の6000系の6050編成は元 2200系で、現在は6000系に編入されて活躍している。
なぜ編入されたかというと、阪神・淡路大震災で被災し、形式消滅したからである。


2200系は1975年(昭和50年)に電機子チョッパの試験車両として登場し、2000、2300系で確立された阪急スタイルを少し変え、7000、7300系に至るまでの阪急スタイルを確立した。また阪急初の8両固定編成もこの形式が最初である。

当初は4M4Tの編成を組んでいたが、1985年(昭和60年)にVVVF制御装置と交流電動機の試験を行うためC#2720とC#2721を増備して6M2Tとなった。この2両は7000系7030編成に組成されて試験を行い、試験終了後は2250編成に組成されて同系列は10両となったが、C#2750とC#2751は10両編成を組む6000系の増結用に充てられた。

1992年(平成4年)に電機子チョッパの試験を終え、チョッパ制御のM車4両はT車化されて6000系や7000系に編入され、2250編成は4両化されて今津(北)線を中心に運用されることになる。


阪神・淡路大震災発生時、2250編成は今津(北)線の宝塚~宝塚南口間を走行中に被災し、特にC#2721は車体と制御器が修復不能な損傷を受けたため、廃車せざるを得なくなったのである。またC#2720も付随車化されて電動車を失って7000系に編入された。その結果2200系を名乗る必要がなくなり、先頭車のC#2250とC#2251はC#6050とC#6150に改番され、6000系に編入されたわけである。


波乱万丈?な人生を過ごしてきた2250編成は現在も屋根部分にアイボリー塗装が施されたこと以外、乗務員室後部の小窓なしが2200系の面影を残してるといえるが、今後、リニューアル改造が施されるとその面影かさらになくなるのではないかと私は危惧している(^^ゞ

小窓を設けるのは必至だし、化粧板や内装も従来車のリニューアル化同様、大幅に更新されるだろう。



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2012年4月現在、乗務員室後部の小窓はまだ設置されていない。