黒髪校則とパターナリズム・限定されたパターナリスティックな制約 | なか2656のブログ

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(府立懐風館高校 ウィキペディアより)

少し前に大阪府立懐風館高校の黒髪校則訴訟の問題を取り上げてみました。ここで、未成年者である生徒の身じまいや服装などの自己決定権(憲法13条)も無制限に認められるものではなく、一定の制約に服する場合があると書きました。

■前回のブログ記事
・懐風館高校の頭髪黒染め訴訟について―校則と憲法13条・自己決定権

この点、憲法の学界から有力に主張されているのは、「パターナリズム」あるいは「限定されたパターナリスティックな制約」と呼ばれる考え方です。

国民の基本的人権は、「公共の福祉」の制約に服します(憲法12条、13条など)。この「公共の福祉」とは、ある国民と別の国民の人権が衝突した際(他者加害の場合)にそれを調整する原理であると一般にいわれます。

しかしさらに、個人を個人として尊重するために、公権力が本人の重大な利益のために制約するということも起こり得ます(自己加害の場合)。つまり、子どもや精神障害者などの判断能力が不十分な者のために、公権力がその個人へ干渉することも、公共の福祉つまり人権制約の一類型として認めなければならない場合があります。

たとえば、成人に対して飲酒や喫煙は原則として自由に認められていますが、未成年者に対して飲酒・喫煙は法令で規制されています。

このように、本人の利益のために本人の権利を制限することを、パターナリズムと呼びます。(高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁)

そして、憲法が保障する基本的人権の主体である国民には、当然、未成年者も含まれることから、未成年者の基本的人権の制約はやむを得ない範囲にとどめられなければならないと考えられます。そこで問題となるのが、校則のように未成年の自由に直接介入する場合です。

このような場合は自由への直接介入であるため、慎重な考量が必要であり、このような介入は、「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的に見て未成年者自身の目的達成能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合」に限って正当化されるとされています(=「限定されたパターナリスティックな制約」。)

そしてこの限定されたパターナリスティックな制約がとくに問題となるのは、校則で生徒の服装・髪形やバイクに乗ることを規制するなどの問題です。

そしてこの限定されたパターナリスティックな制約の考え方からも、中学生丸刈り校則訴訟(熊本地裁昭和60年11月13日)については、何がなんでも丸刈りを強制しなければならない理由がどこにあるのか疑問と批判されています(佐藤幸治『憲法 第3版』412頁)。

したがって、限定されたパターナリスティックな制約の考え方からも、今回の懐風館高校訴訟における学校やその校則の黒髪に関する規定も、「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的に見て未成年者自身の目的達成能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合」に該当するとはいえないとして、憲法学界から違法との批判がなされることになると思われます。

■参考文献
・佐藤幸治『憲法 第3版』412頁
・高橋和之『立憲主義と日本国憲法 第4版』122頁
・野中俊彦・中村睦男・高橋和之・高見勝利『憲法 第5版』221頁

憲法1 第5版



立憲主義と日本国憲法 第4版



日本国憲法論 (法学叢書 7)