訪日(第174You Tube(Wittgensteinの哲学)、田母神俊雄)(#84)
↓↓↓   ↓↓↓
https://ameblo.jp/naitotakaousa/
←(クリックはここ)アメーバーブログ
↑↑↑    ↑↑↑

You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。

メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。

*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。

*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。

・・・・

木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。

https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09

ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd

*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
・・・・

木庵の般若心経(3回目)
↓↓↓   ↓↓↓
https://youtu.be/ZRq3bKOLgLQ
↑↑↑  ↑↑↑

・・・・

第174You Tube(Wittgensteinの哲学)
https://youtu.be/w8pQvdL2KLY


『論理哲学論考』は、ウィトゲンシュタインが第一次世界大戦でイタリアの捕虜収容所にいたときに書いている。ウィトゲンシュタインは、バートランド・ラッセルに博士論文を提出した。この論文は一般的な論文ではなく、非常に変わっていた。長さはただの60ページで、「脚注」がないのである。単純なスタイルであるが、どこか奥行があるようであった。「Mondrian painting」(モンドリアン画)(木庵注:モンドリアンは抽象画の黎明期に活躍した、ロシア系の画家。抽象の父と呼ばれるような存在で、「デ・ステイル」という芸術雑誌を創刊し、それらの中で「新造形主義(ネオ・プラスティシズム)」という美術理論を提唱したことで知られている)のようであった。 モンドリアン画はあまりにもシンプルで、人々は理解できなかった。モンドリアンが美を下の段階から特別な本質的なことまでを単純化したように、ウィトゲンシュタインの哲学も、下部のことから本質的なことまで単純化しようとした。

哲学はいつも言葉の意味を分析しようとする。前提となることは、言葉の正しい理解が、一般的なまた特別な分野の哲学を理解する鍵となる。ウィトゲンシュタインは、言葉ではなく、基本的なコミュニケーションの言葉の集まりである文章を拠り所にした。主張していることが正しければ、その文章は正しい。例えば、文章「猫がマットの上にいる」は、「猫がマットの上にいれば、この文章は正しい。文章の中に言葉が含まれている。ごく小さい容器の中に、ウィトゲンシュタインの哲学の全てがあるのである。

哲学者は本質を理解するための鍵となる、「本質」、「原因」、「心」などのごく少ない特権的な言葉があることを信じている。ウィトゲンシュタインの世界、それは私たちの心の中にあるのだけが、完全に民主的である。一つの文章が他の文章より優れているということはない。それはただ、一つの検証が必要だけである。その検証とは、本当か本当でないかだけである。それ以上のことはない。我々ができる検証は、経験したことかどうかだけである。それ以上のことはない。全ての言葉は偶然の産物である。それが真実かどうかを確かめるために、論理、数学を見る。ただ論理も数学も何の助けにもならない。なぜなら、論理も数学も空っぽで、中身がないからである。論理実証主義者は物理学の世界の中に、新しく発見したものを押し込んでいる。ところが、ウィトゲンシュタインはそのようなものに無関心である。彼にとって、物理法則など必要などないのである。世界があるがままにある理由などどうでもよい。ウィトゲンシュタインにとって、常識の世界だけが大事なのである。過去の哲学者はウィトゲンシュタインのレベルまで身を落とすことはなかった。彼らは壮大な話を作りあげるのに忙しかった。「壮大な話を作ることは、無駄ではなかったが、有害であった」とウィトゲンシュタインは言う。壮大な話は、我々に混乱と暗さを導いたにすぎないというのである。そうであるなら、常識は哲学より優れているのだろうか? 何ということなんだ。哲学者として威張ることなど虚しく、むしろ、そこらにいる無学な人の方が優れているとでも言うのか。

誰も、ウィトゲンシュタインの言語に関する物言いが馬鹿げていることに気づいていない。ある事実を述べている人達のことを想像しよう。
一人が言う:「猫はマットの上にいる」。次の人は言う:「帽子が机の上にある」。3人目の人は言う:「机はマットの横にある」。このような一連の会話はそれほど長く続かない。彼らば事実について述べているが、何も主張などしていないのである。

誰も、論理実証主義とウィトゲンシュタインの哲学との間に横たわる馬鹿げさを理解していない。ラッセルと実証主義者は、世界の最低のことまで剥ぎ取ろうとした。それが彼等のスタートであった。彼等は彼等が編み出した新論理学と物理学が世界を再び一つに戻すのに十分であると信じていた。
彼等は新しい未来のカーテンが開けられると思っていた。ところが、ウィトゲンシュタインは、そのカーテンさえ閉めようとしたのである。
ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』において、「哲学的な言及は、事実を述べていない。だから、ナンセンスである」と結論づけている。ナンセンスであるというのは、彼が論及した『論理哲学論考』も含まれるから変である。ウィトゲンシュタインは「もしある人が、『論理哲学論考』を混乱の世界に昇るための梯子として用いるなら、梯子を取り除いた方がよい。この本は無駄で効果がないので、何一つ述べることがなく、ただ黙っている方がよいのかもしれない。

ウィトゲンシュタインは問題を解決しようとしたが、哲学を捨ててしまった。そして彼の個人的な運さえ諦め、オーストリアで小学4年生の教師をするようになった。そして時が過ぎるとともに、結果としてではなく、そこに至る道へと気持ちが変わった。ウィトゲンシュタイン自身実際には書いていないが、死後編集者によって、「ウィトゲンシュタインが哲学への投資をするようになった」とウィトゲンシュタインが言ったように編集された。『論理哲学論考』において、ウィトゲンシュタインは「言語は世界を映す鏡である」と言っている。彼における投資とは、生活言語である。「鳥は飛ぶ」、そして、「人はしゃべる」。普通の言語がウィトゲンシュタインにとって重要である。普通の言語が目的を引き出すなら、普通の言語が機能するなら、それで十分である。そのことは我々でもできそうであり、そのことを期待すべきなのか。
つづく



自らの身は顧みず 田母神俊雄論続編#2
「3・1・09田母神俊雄講演会実況、DVDを本ブログより無料贈呈(15名限定)(詳細は「講演会、田母神俊雄、『わが思いの丈を語る』」#3参照)。現状報告、今のところ日本8名、米国4名。あと3名までとなりました。最後のチャンスです、申し込んでください。
 日本に送った2名、受け取られた。ロスから国際郵便で送ると、成田にまず着くので、関東地方の方が関西より早く着くことが分かった。
「木庵様、当DVD、第一号の申し込みでしたが昨日届きました。神戸は少し遅れるようです。問題無く私のPCで見れました。また講演内容が実に面白く興味深く拝見出来ました。お送りいただきた、お礼とご報告申し上げます。それにしても当時の最高学府である東大と京大のトップに左翼系の人を登用したとは驚きですが、60年代の学生運動に対して機動隊を入れて鎮圧しています。その後学生運動をやってきた人は大学を中退したり復学したりしています。不思議ですが、これら多くの人は大手マスコミ(新聞テレビ等)に就職したり、医者(医学界)になったり、結構いい人生を歩んでいます。当時も日本は学歴社会のはずですが、やはり実態は違うようです。
4) 2009/3/18(水) 午後 2:58 」
Mkamikadoさんのコメントと関係することを田母神氏も書いている。
  
「アメリカによる占領政策は、日本が二度と再びアメリカに戦を挑むことがないように、徹底的に日本を改造するものであった。『ウォーギルトインフォーメーションプログラム』と呼ばれるものである。その中に公職追放というのがあった。昭和21年からは大々的な公職追放が始まった。日本政府の要職にある人、大学教授や先生などが次々と20万人以上も追放された。20万人以上も追放されるのだから当然その穴埋めが必要になる。穴埋めのために戻ってきた人の中には戦前追放されていたある種の思想を持った人たちが多数含まれていた。いわゆる左翼と呼ばれる人たちである。東京帝國大学、京都帝國大学などの教授になった人たちの中には、自分の左翼の弟子をたくさん連れてそれぞれの大学に戻った人たちが多くいた。これらの人たちは入学してくる学生に左翼思想を植え付け、社会へ送り出すと共に、戦後新設された新しい大学の先生などに戻っていった。このようにして戦後の日本社会の中に左翼思想を持った人たちが次から次へと送りこまれていったのである。官公庁や経済界でもリーダーが左翼思想に染まればその弟子たちも次第に同じ色に染まる。こうして戦後日本の左翼化傾向が逐次強化されていった。全体が左翼化すれば自分が左翼であることもわからなくなる。今の日本には無自覚左翼が多数存在し、それが日本社会に数々の問題を引き起こしている。左翼と言うのは徹底的日本の伝統的価値観を否定する。古き良き日本がどんどんうしなわれていく。」


木庵の反応
<伝統的価値観の中心とする皇室問題。長い伝統によって培われたものであるが、これを戦後の短い価値観で歪めていこうという動きがある。下の記事はOGさんとのメールでのやり取りの一部である。木庵>

OGさん
記事送ってくださり、ありがとうございました。難しい問題ですね。雅子様の父親の考えが気になります。大まかなところで西尾氏の言うことは正しいとおもいます。しかし、人情的に雅子様を弁護する皇太子の気持ちも分からないわけではないのですが、日本の長い伝統の上に培った天皇制を革新の思惑で破壊されてはなりません。私の観察によると、美智子妃殿下は、学歴、才能、そのような俗的なものから脱皮なされ、今は皇室の一員として誇れる人に進歩なされたとおもいます。それと比較して、雅子様にはまだわがままが見えます。そのわがままを許す背景として、彼女の父親の存在(外務省エリート)、日本の左翼の思惑が見え隠れしているようです。今後とも西尾氏の声だけでなく、皇室を日本の要とする論法に耳を傾けていきたいとおもいます。また、よい記事がありましたら、紹介をお願いします。
木庵より


木庵さん
 関連のメモを探して見ました。ご参考までにお送り致します(実際は相当数の記事が添付されているが、ここでは、OG氏が書かれた本文だけを紹介する)。

 民族の神話と直接つながる日本の皇室、そして天皇は神ではないが最高位の神官であり、民族の伝統・文化の中核であります。日本人の生活に深く根ざしているお祭りなどの諸行事、諸芸能から和歌、種々の習い事まで皇室と密接不可分なつながりを持っています。
要するに天皇様は民族の氏子代表であり、豊作を祈り、民の安全を守ることをひたすら祈ってこられたのです。国民も民族が危機に瀕した時には、争いを止めて天皇の下に結集することで、危機を乗り切ってきました。これは絶対に強制では出来ることではありません。

現在発売中の「Will」別冊、「歴史通」4月号の巻頭言に次のような文章があります。

アメリカ人はなぜか「チェンジ」という言葉が大好きである。    
    ・・・中略・・・
アメリカ人は自国の歴史を遡ると、次々と不幸な事件、是認し難い事実と遭遇する。50年前までの公然たる人種差別、150年前までの黒人奴隷、その前にはインディアンの大量虐殺がある。それはさながら「建国の原罪」といってもいいほどのものだ。日本人としてはそれに「原爆投下」という大罪を加えざるを得ない。従って彼らアメリカ人は歴史を振り返ること自体を忌避する傾きが強い。つまり常に未来に向かってチェンジし続けなければならないのである。

日本人の歴史意識は逆である。政治的理想が太古に宿っていたから、つねに「復古革命」が可能だった明治維新も昭和維新もそうである。その意味でアメリカ史と日本史は対照的なのである。歴史を遡行して絶望に到るか、希望に到るか、天地の差と言わねばならない。

とあります。大変面白い指摘だと思います。
ところがアメリカ史はともかく、日本の歴史についても、左翼はこのようには絶対に言いません。

天皇制国家機構は、搾取諸階級の現存の独裁の強固な背骨となっている。その粉砕は日本における主要なる革命的任務の中で一番重要であるとコミンテルンが日本共産党に与えた「32年テーゼ」では書かれています。そして、「ソビエト連邦を擁護せよ」という任務の次に「君主制の廃止」が掲げられていました。こうした「32年テーゼ」に述べられた「天皇制」についての認識と把握は、戦後もそのまま引き継がれ、宮本顕治が戦後1946年に執筆した「天皇制批判について」(「前衛」同年2月1日号)の中で、「32年テーゼ」の命題を更に敷衍(ふえん)して天皇制の廃止を強く主張しています。

要するに反日左翼は日本の歴史を貶め、日本民族の中核である天皇の打倒を虎視眈々と狙い続けているのです。雅子妃問題と女帝問題は、まさに反日左翼には格好の橋頭堡となる可能性を持った問題なのです。紛うことなく民族と国家の危機だと思います。
OGより
つづく


写真:ピート・モンドリアン(Piet Mondrian)と、他人彼の作品
↓↓↓   ↓↓↓
https://ameblo.jp/naitotakaousa/
←(クリックはここ)アメーバーブログ
↑↑↑    ↑↑↑