訪日(第165回You Tube(民主主義)、ビルマ(ミャンマー))(#32)
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木庵の般若心経(3回目)
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第165回You Tube(民主主義)
ttps://youtu.be/zAHcKQPKM1E

『アメリカのデモクラシー(アメリカの民主政治)』に対しての伊藤貫氏の解説
■最後に、民主主義と平等主義はマテリアリズムを強化して学問と芸術まで軽劣化させていくと。
  『民主主義体制下のもとでは、人々は目先の利益の獲得に執着する。彼らは、自分の置かれた境遇に不満を抱いており、どうしたら私はもっとよい生活ができるかということばかり考えている。富と快楽の増大が彼らにとってこの世で最も素晴らしいことのように思える。自由主義と民主主義は多数の自己利益増大主義者を生み出す。知的精神的に高尚な価値判断、価値規範を説く者はこれら自己利益のチャンピオンに踏み潰されてしまう。民主主義において社会の進歩はマテリアリスト(物質主義、経済利益優先主義、拝金主義)的な基準によってのみ計られるようになる。』

 『マテリアリストの基準によってのみ社会が進歩しているかどうかが計られる。

 公徳(Public Vertue)や公正(Public fairness)というコンセプトは空洞化していく。経済的な繁栄の追求は徳のある生き方とは無関係なものになる。そして人々は競争に勝つ、もしくは成功することが生きる目的となる。このような生き方によって人間は獣化していく。』と彼は言っている。

 しかも、もっとすごいのは、『マテリアリズムは精神の病である。マテリアリズムという病気は人間に内在している利己心という欠陥とすばらしい共存共栄関係にある。物質的肉体的な快楽主義を増強させて、文明を劣化させていく。民主主義体制では文学も劣化していく。作家は、大量に著作を売って金儲けすることを目指すようになり、大衆受けする文章を書きまくる。アリストクラシー社会の文学は少数の読者を喜ばせるために洗練されたスタイルで高貴な理想を描いた。当時の文学は金儲けとは無縁の行為であった。しかし、現在の民主社会の文学は単なる商売に過ぎない。』


木庵の反応
<そういえば、最近の芥川賞、直木賞では奇を衒(てら)った作品、大衆受けのする作品が授賞している傾向があるようだ。木庵>

 彼が言うには、『しかも民主主義は言語そのものを変えてしまった。民主主義社会の圧倒的な多数波は学問や哲学には興味がない。彼らは商売と政治に関心をもっている。従って言語はこの多数派の好みを満足させる形に変化していって、形而上学や神学、哲学は廃れていく。言語は決められたスタイルを失い、洗練と下品が無秩序に混在するようになる。そして、言語も社会も泥沼状態になっていくのだ。』と。

 これはトクヴィルの「マテリアリズムが文明の理解を破壊していく」という議論です。トクヴィルは19世紀はフランスでもギリシャ・ラテンの古典を読むことがはやらなくなったが、19世紀になってもギリシャとラテンの古典を学習することが民主主義に内在している数々の欠陥に対抗するために最も効果的な方法である』と指摘している。

 『古典をじっくり学ぶことが金銭欲にまみれた社会に、非常に洗練されて非常に危険な市民を生み出すからである。』

 Polished and dengerous person(洗練された危険な人物)が民主社会には必要という趣旨だが、これはトクヴィル自身ではないかと思える。

 啓蒙主義思想の言論の自由と表現の自由、報道の自由があればそれによって国民は啓蒙されて、すばらしい政治指導者を生み出すというのは100%嘘で、妄想に過ぎないと指摘している。このようなことを19世紀に言うのは非常に危険だが、さらってと述べている。彼自身が非常に洗練されていて危険な人物そのものだからだと思う。それを自覚していたと思う。

 トクヴィルはこういう啓蒙思想の自由主義、民主主義、平等主義を実践すれば国民の質は向上し、文明もよくなっていくだろう、人間の暮らしも政治もよくなっていくだろうというということに対して、彼の800頁の本のなかで、いろいろな欠点を非常に明瞭に説明して見せて、それは無理に決まっていると証明した。

 最後に彼がどう書いているかというと、やっぱり民主主義の劣化、低劣化、堕落、最終的には崩壊していくわけだが、それがどんどん悪くなっていくのを食い止めるのは、やはり宗教心を復活させなければダメだと、トクヴィルは言っている。

 トクヴィルとキリスト教の関係は非常に複雑で、彼は16~17歳まで熱心なキリスト教徒だったが、17歳の頃哲学書をたくさん読んで、キリスト教の教義にはフィクションに過ぎないものが多いと悟った。一時的に少年時代にキリスト教の信仰を失う。一生涯彼はキリスト教の教義に対して疑問を持っていた。なので、キリスト教の考え方をすべて肯定する立場には戻らなかったが、しかし、3・4世紀から14、15世紀までヨーロッパ文明の基盤となったのは、キリスト教的な人間観とキリスト教的な世界観である。
 
 キリスト教の教義に疑いを抱くようになったトクヴィルではあるが、キリスト教的な人間観と世界観を捨てたら大変なことになると考えていた。これを捨てると人間はますます悪くなる、と悟った。キリスト教の教義に失望した後も、キリスト教的な人生観、世界観を捨ててはいけないと考え、言い続けていた。彼によれば、神もしくは究極の真善美という概念を持たない限り、人間は価値判断の基準を持てない。なぜならば、人間はみんな目先の利益、虚栄心とか欲を満たすために生きているが、目先の利益、権力を求めるために他の人と争うことしかできなくなる。そうするとそれが、目先の競争に勝つことが人間の価値判断の基準になるかというとそれはならない。

 それは本当の永続性をもつ価値判断の基準にはならない。だからトクヴィルは神もしくは究極の真善美というようなコンセプトを維持しない限り、人間は価値判断の基盤となるものを持てない、ということを指摘した。

 彼が言うには、『神に関するアイディアが明確でないのなら、人間が生きる意味と目的そして、義務の観念も曖昧になってしまう。その結果人間は懐疑心にとりつかれて動揺し、無責任になったり、臆病になったり、無思考状態になったりする。神の概念、つまり、人間の利害を超えた崇高なもの、こそ人間にとって最も重要なことである。しかしながら、この概念は人間にとって最も困難な概念であり、人間の理性をもっても答えが出てこない問題である。』

 トクヴィルは、神に対する信仰、尊敬心、神の視点からの判断を大切に思っていたが、しかし、理性というもので、神の存在が証明できるかというとそれはできない。ただし、神が存在しないということも証明できない。人間の目先の利害打算を超えた、勝ち負けを超えた超越的な価値(Transcendental Value)というものが存在するか否かも人間の理性を使っては肯定も否定もできない。

 だから彼は、これが人間にとって最も重要なことであるが、もっとも困難であり、しかも理性を使ってもイエスかノーかという答えが出てこない。科学的な実証主義を使っても答えは出ない、と指摘している。

 例えば、パスカルは有名な数学者、物理学者だったが彼は神の存在を信じた。最近ではホワイトヘッドという有名な数学者も信じていたし、アインシュタインも神の存在を肯定していた。有名な数学者、物理学者にも神の存在を信じている人もいる。自然科学の実証主義を使っても答えが出てこない。トクヴィルによると、神はいるかいないか、神の基準からみると別に見えるという思考が可能かどうかは、理性によっては答えが出ない問題。つまりBrain/頭脳を使って判断するか、霊魂か精神(人間のSoul or spirit )によって直感するしかない、と考えていた。

 Intuition(直感)を肯定するか否定するかによって立場が変わってくる。スピノザ、ライプニッツ、パスカル、アインシュタインといった科学者は肯定していた。頭のいい人は宗教を信じないが頭の悪いやつが信じていると言うことは言えない。

 最終的には民主主義、自由主義、平等主義の欠陥を本当に是正しようとするならば、トクヴィルは、神の存在というものをもう一度考え直して、信じる必要があると、また、魂の存在を信じるべきであると言っている。

 彼は、『宗教心を失った近代人がマテリアリズムや快楽主義といった罠にはまっていくなら、自由主義、平等主義、民主主義を実行しても社会はいずれ、道徳的な麻痺状態に陥っていくであろう。宗教を失った民主主義は価値判断力を失って不安定で無秩序になる。従って社会に古くからある宗教を慌てて捨てない方がよい。宗教を慌てて捨てて、新思想を注入してもろくな結果にはならない。人々は心の空洞を埋めるために、快楽主義に飛びつくであろう』、と言っている。

 最終的には神学論争的にはなるが、宗教心をもつことが民主主義、進歩主義、平等主義、自由主義による人間の腐敗、堕落、文明の劣化に対抗するためにも、そういう考えを持たなければいけない、ということ。

 アメリカは少なくとも1950年代まではキリスト教的な価値判断が正しいというのが一般的な世論だったが、1960年代からすでに60年間キリスト教的な価値判断は笑いものになってきた。

 特に大学の教授とかマスコミはキリスト教的な価値判断を嘲笑してポリコレとかフェミニズムとかgender equolityかwokenessとか新しい思想を持ち込み、お互いに喧嘩ばかりしている。今のアメリカでは社会的なこと政治的なことについてまともな討論がなりたたない。共通の価値規範とか文明観を失った国民はお互いに罵るだけでまともな議論にならない。トクヴィルも言ったように、慌てて古くからある宗教を捨てて新思想を注入するとろくでもないことになる、というのはほんとにほんと!

 アメリカの今の価値判断の錯乱状態=キャンセルカルチャー、(おまえの話は聞きたくない、あんたの意見に耳を傾けるつもりはない)では、民主主義は成り立たない。アメリカはここまで来ている。私はアメリカのこの状態をみるたびにトクヴィル先生は正しかった、180年前に今のアメリカがこういう状態になることがすでにわかっていたのだとつくずく思う。


木庵の反応
<トクヴィルは「民主主義、自由主義、平等主義の欠陥を本当に是正しようとするならば、神の存在というものをもう一度考え直して、信じる必要があると、また、魂の存在を信じるべきである」と言っている。このことについては、議論の余地があるだろう。次の木庵の「一人語り」では、トクヴィルが批判した啓蒙主義者の一人、ヒュームの哲学について触れる。木庵>


ビルマ(ミャンマー)#8
アウンサンは日本の裏切り者か?
  アウンサンはビルマの英雄である。ビルマ民主化のリーダーで、現在軍事政権によって自宅に軟禁されているアウンサンスーチー女史の父親である。上記では、「たまたま警察の追跡を逃れ、又外国の援助をえるため、アウンサンとタキン=フラミャインの二名が海路脱出し、アモイにひそんでいた。彼らは中国共産党でも、日本とでも、連絡がとれたほうから独立達成のための武器援助の約束を取り付けたいとの計画であった。彼らの脱出を知った鈴木はアウンサンらをみつけ、40年11月空路東京につれてきた。」とある。また、「そのころ、共産党員やアウンサンらのビルマ革命党派の閣僚たちが密かに集まり、反日蜂起の計画を相談していた。そしてその後、アウンサンの率いるビルマ国民軍・ビルマ革命党によって、ばらばらに行なわれていた抗日運動は統一されるにいたった。ここに、反ファシスト人民自由連盟、ビルマ語でパサバラと呼ばれる組織が誕生した。」とある。
   ということは、日本はアウンサンによって利用されたに過ぎないのであろうか。そこで、アウンサンと鈴木率いる南機関、それに大本営などの思惑を、岡本郁子氏の記述、「ビルマ独立義勇軍と南機関」(著書:アジア読本、ビルマ、発行所:河出書房新社、著者:田村克己・根元敬、初版発行:1997年2月20日)、や「ビルマの大東亜戦争ーー雷帝と呼ばれた男・鈴木敬司」(発行所:株式会社元就出版者、第一刷発行:2004年12月7日)を参考にしながら述べていく。


ビルマ独立義勇軍と南機関
  イギリスからの独立闘争を繰り広げていたアウンサンの目的実現のためには手段を選ばないことであった。アウンサンは一時共産党に所属していたほどであるので、中国共産党と接近したかったのだろうか。鈴木敬司という大本営から送られた熱情ある人物に動かされたというのが本当なのであろうか。それより、彼には確固たる、ビルマ独立のためのシナリオがあったのだろうか。
  ビルマの未来を背負う若者30人が海南島に集結したのは、1941年6月であった。後に「建国の志士」と呼ばれるようになったこの三十人に対して、「日本はビルマの独立のための武器援助を与え、軍の進駐はビルマ南部地区のための小規模なものにとどめる。ビルマ全土に関しては、独立軍と南機関の作戦、施政に任せる』と、約束をしたとされる。しかし、これは大本営の了解を得たものではなく、鈴木大佐の責任においてなされた約束にすぎなかった。30人の志士がそのような事情を知る由もなく、彼らは訓練を受け始めた。海南島での訓練は、彼らにとって厳しいものであった。特に日本人下士官のビンタは、ビルマ人にとって大変な屈辱であった。日本側が約束を履行しなければ、ゲリラ戦をしてでも海南島を脱出しようという話さえもちあがった。こうした動きを察知したアウンサンは、「独立という本来の目的を達成することが必要だ」と同志を説得したという。当初の計画では7,8月にビルマに潜入するということであったが、実現されず、秋にはアウンサンは鈴木とともに東京に出向き、ビルマ潜入の具体的な申し入れをしたが、色よい返事は返ってこなかった。こうした参謀本部の態度の曖昧さを直に感じたアウンサンは、日本への信頼を疑い始めたという。その当時の日本軍は「大東亜圏」の建設を旗印に南進策を固めていた時期にあたり、ビルマ工作どころではなかった。
  ところが、太平洋戦争の開戦と共に、ビルマ工作をめぐる状況も変化してきた。南機関は南方軍総司令部付、さらに第15軍の指揮下に入った。そして、ようやく独立義勇軍が結成された。
   ビルマ建国の志士と鈴木との間には強い絆で結ばれていた。鈴木は日本から送られた諜報活動の司令官であったが、ビルマ独立運動に、日本軍の思惑を離れたり超えたりして、活動していた。今でも彼を評価する人が多いが、果たして、彼はビルマ独立の恩人なのだろうか。
  「ビルマ義勇軍」の名称は鈴木が考えた。これは伝統的なビルマ風の軍的な響きがある。鈴木はビルマでは、ボ・モージョと名乗っている。ボは士官、モージョは稲妻という意味で、イギリスのビルマ支配を打ち砕くシンボルとしての「稲妻の到来」を意味した。古くからある民話で、「東の方からビルマを救済してくれる王子がやって来る」という伝説を、現実のものとして復活させたのである。彼の思想・信条は、「孫子の兵法」であった。
  孫子曰く  臣スデニ
  君命ヲ受ケテ将トナル
  将ハ軍在リテ君命ノ受ケザル所在リ
  又曰く将能ニシテ君御セザル者ハ勝ツ
 大意は、孫子曰く「臣は君命により将となった。しかし戦場にあっては、君命を待たずに自分の判断責任によって軍を動かすことがある」。又曰く。「将が有能で君が臣を御することがなければ戦いに勝つ」。
  この考えからいくと、大本営からすると独断専行と困った存在と鈴木が映り、鈴木からすると大本営は無能と映ったのだろう。ところで、鈴木は恩賜の軍刀をもらった秀才である。
  鈴木は、イギリスがビルマを占領した当時、タイに亡命したビルマ皇太子ミングンの直系の子孫であるという噂を流した。ボ・モージョの名前と伝説はまたたく間に、ビルマ全土に浸透していった。また、伝統的に伝わる「トウェタウク」と呼ばれる血を飲む儀式を、ビルマの同志とおこなっている。指を血が出る程度に切って銀杯に注がせ、それに酒を注いで混ぜ合わせたのち、「共通の敵イギリスと戦うために、われわれは血で結ばれている」と唱和して、飲み干したという。この儀式を通して、ビルマの人と心を通わせていった。
 独立義勇軍は74人の南機関員、30人の志士のうちの27人(一人死亡、二人はすでにビルマに潜入)そして新兵200名で発足した。なお司令官は鈴木でアウンサンは副司令官であった。
   太平洋戦争の開始とともに、より戦略的な配慮から、ビルマ全土への侵攻が計画された。1942年1月21日に東条英機首相が、そしてその翌日には、弟15軍総司令官飯田祥二郎中将が、侵攻の目的をビルマの独立にあると明言した。にもかかわらず、3月8日、南方軍はビルマの独立は時期尚早として、まず日本による軍政を敷くべきであると方針を一転した。
   こうした日本軍の方針転換と日本軍自身の疲弊が相まって、義勇軍と日本軍の間の衝突が頻繁し始めた。42年5月時点で2万から3万人へと急激に増大したが、必ずしも末端まで統率が行き渡っていなかった。
  「『独立』はとりあえずやってきた。・・・しかし、その独立は名目上のものに過ぎなかった」とアウンサンが言及しているように、日本軍制の下での独立であって、南機関が約束したものではなかった。
  43年6月4日、日本は軍制施行を布告した。完全な独立を認めるべきだと主張してややまなかった鈴木以下の南機関は、もはや日本軍の無用の存在になった。2週間後、鈴木は帰国の命令を受け、南機関は解消した。
つづく


写真:ビルマ(ミャンマー)の地図
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