訪日(第174You Tube(Wittgensteinの哲学)、田母神俊雄)(#82)
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You Tubeを立ち上げた
対談に参加したい人は、
⓵ 木庵のメールアドレスをクリックする。
メールアドレス:takaonaito03@gmail.com
⓶ どのようなトピックス、日時などを木庵と話し合う。
⓷ 実際にズーム上で対話をおこなう(自動的に録画できるようになっている)。
⓸ ズームで録画したものを、You Tubeに移動(木庵の作業)
⑤ 出来上がったYou Tubeのアドレスをブログに掲載。
⓺ You Tubeのアドレスをクリックすると、誰でも対話の様子が見れる。
*顔を隠したい人、仮の名前でもよい(勿論木庵の顔はだす)。
*二人以上もできるが、40分でズームは切れる(延長する場合は、再開する必要あり)。
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木庵のZoomミーティングに実際に参加する場合:
下のURLをクリックする。
https://us04web.zoom.us/j/5582589118?pwd=b0xsUHBQM2NYb0NNVFdYK3JSY2daUT09
ミーティングID: 558 258 9118
パスコード: 2BaZGd
*URLをクリックするだけで、ミーティングルームに入れる(ミーティングID、 パスコードの入力は必要ないよう)。
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木庵の般若心経(3回目)
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第174You Tube(Wittgensteinの哲学)
https://youtu.be/w8pQvdL2KLY
Wittgensteinの哲学
ルートヴィヒ・ヨーゼフ・ヨーハン・ウィトゲンシュタインは1889年4月26日、オーストリア・ウィーンで生まれ、1951年4月29日に亡くなっている
ウィトゲンシュタインについて、哲学のクラスを受けていると、彼の名前は頻繁に出てきた。ただ彼自身の哲学がどうなのかということがよく分からないまま聞いていた。そして、ウィトゲンシュタインに関して、「言語哲学」とか「分析哲学」という言葉を教師がさかんに述べていたのだけは記憶にある。
それに最近、You Tube「一人語り」での「哲学の性質について」でも、ウィトゲンシュタインの哲学について、カーター先生の解釈を断片的に紹介した。それでも、まだよく分からない。
そういえば、ベンソン先生がアシスタント・プロフェッサーからプロフェッサーになられたときの記念パーティーで、ウィトゲンシュタインの人となりを紹介されたことがあった。彼がトイレに入った後、便器が汚れていたという。ウィトゲンシュタインは下痢症であったからである。
ウィトゲンシュタインは天才と言われ、人生の多くの時期に自殺願望があった。現に彼の兄弟のうち3人が、実際に自殺しているという。彼の才能を最初に見つけたのは、バートランド・ラッセルであった。バートランド・ラッセルは、ウィトゲンシュタインにケンブリッジ大学へ博士論文を提出するように要請し、ウィトゲンシュタインは実際に提出した。しかし、彼の論文では「脚注」が書き込まれていなかった。「脚注」なければ、内容が著者自身のものか、他者からの借りものかがはっきりしない。そのために、ウィトゲンシュタインの論文は却下された。
ウィトゲンシュタインは第一次大戦で、オーストリア・ハンガリー帝国軍の志願兵として戦地に赴いている。また戦功により勲章ももらっている。最後にはイタリア軍の捕虜になった。捕虜時代もバートランド・ラッセルと連絡をとろうとしたが、ラッセル自身反戦運動で刑務所に入っていて、連絡がとれなかったという。戦後発表された初期の著作『論理哲学論考』に哲学の完成をみて、哲学の世界から距離を置くようになった(前期ウィトゲンシュタイン)。その後、オーストリアに戻り小学校教師となるが、生徒を虐待したとして辞職。そしてその後ふたたび哲学の世界に身を置くようになった。
ベンソン先生がウィトゲンシュタインとの接点があったのは、ウィトゲンシュタインが晩年にアメリカにやってきた時であろう。ベンソン先生の師匠であるルドルフ・カルナップが主導する論理実証主義が流行していた時代である。
論理実証主義は1930年代にウィーン学団と名乗る、ウイーンを拠点に、形而上学を脱却して科学的世界観を打ち立てようとするグループが誕生し、その後世界に影響を与えるようになった。論理学と科学、とりわけ数学の基礎に関する徹底的な再検証が必要と考えるグループであった。その創立者の一人がルドルフ・カルナップであった。学団の一人シュリックは、ウィトゲンシュタインをウィーン学団に引き入れようとしたが、うまくいかなかった。むしろ、ウィトゲンシュタインは、学団の討論会に顔を出すことすら拒絶した。そしてようやく、シュリックはウィトゲンシュタインから「学団の討論会とは別のところで、ごく少数の気の合いそうなメンバーとだけなら会ってもよい」との返事を引き出すことに成功した。選ばれたのは、カルナップたちであった。そして、会合がしばらく続いたが、やがてウィトゲンシュタインは、カルナップ達に対して、方法論や関心事だけでなく、気質的にも相容れないものがあると感じて、距離を置くようになった。
ところで、ウィトゲンシュタインが論理実証主義者の系統にあるかどうかは、カーター先生の論及を待つとしよう。
さて、この天才のようなウィトゲンシュタインの哲学を、カーター先生はどう解釈しておられるか、先生の著書『Encyclopedea of Philosophy」の「Wittgenstein」の項の部分を翻訳してみる。
つづく
講演会、田母神俊雄、「わが思いの丈を語る」#13
「3・1・09田母神俊雄講演会実況、DVDを本ブログより無料贈呈(15名限定)(詳細は#3参照)。現状報告、今のところ日本7名、米国3名。あと5名までOKです。残り少なくなりました。申し込んでください。
質問9(女性):日本の子供たちに、誇りを持てるようにするにはどうすればよいでしょうか。教育にこれからどのように関わっていこうと思われていますか。
答え:教育を正常化するには、20年、30年はかかるでしょう。家庭での教育は大事になりますが、親が礼儀など教えられない人がいるのが問題です。教育を立て直すのに崩れた期間の半分ぐらいはかかるでしょう。3月に早稲田大学と独協大学で講演をする予定になっています。
質問10(アメリカの大学で政治を専攻し、博士号習得を目指している男子留学生):米国の軍事、特にグアムへの移転に関する問題について尋ねたいです。それに米国と同盟国としてどう付き合っていけばよいと思われますか。
答え:米軍の再編は、米軍の縮小、ひいては、日本や他国の協力を得ようとするでしょう。日本がアメリカから守ってもらい得ているものと、アメリカに日本が与えているものを比較すると、与えている方が多いと思います。日米関係は今後も強化する必要があります。国と国との関係は結局個人と個人とのチャンネルのつながりになるので、人的なつながりを大事にする必要があるであろう。
質問11(女性):憲法についてどう考えておられますか。
答え:憲法改正には手続き上大変な作業を必要とします。近頃憲法無効論という説が出てきて、これだと現行憲法を廃棄することができます。つまり、国際法では戦争に勝ち敗戦国に占領政策を行うとき、占領している国の憲法を戦勝国が作ってはいけないというのがあります。そうだとすると、日本国憲法はGHQにより強制的に作らされたものですから、この憲法は無効ということになります。
木庵の反応
<これは近頃、名前は忘れたがある学者が唱えた説である。現実的に戦後60年、現行憲法を我々は受け入れ、その憲法の下で戦後が動いたので、現行憲法無効論というのは論理的には正しいが、それを実行となると、また国民の合意を入れることなどを考えると、困難が待っているであろう。今のところ現実不可能な奇想天外な説とされてしまうであろう。木庵>
<講演会の後のレセプションにも参加した、約100名ほどの人が、ちょっとした食事をしながら、田母神氏との歓談や写真撮影を行った。木庵は記者気取りで、幾人かの人にインタビューをこころみた。木庵>
1)田母神氏はカチカチの人かと思っていたが、楽しい人であった。
2) 難しい話になるかと思っていたが、ユーモアがあり、聞きごたえのある話であった。
3) 場に応じた話が出来る方であると思った。質問を上手くかわしておられるところがあった。例えば三島由紀夫のこと、本当は違う考えを持っておられるのではないでしょうか。
4) (台湾生まれ日本育ち、アメリカで生活しておられる台湾出身の方。テレビ局を持っておられ、台湾独立運動に携わっている方)10年前の日本人の意識と今日のみなさんの意識は大分変わった。
5) 今度の選挙に出て、日本を変えてもらいたい。
6) 田母神氏はエンターテイメントにおける才能もお持ちのようである。人間関係も上手くこなされ、防衛省のトップになるべくしてなった人であると思う。
7) 満州国、それに中国への侵略はあったと思う。また南京事件もまったくなかったのではないと思う。田母神氏の歴史認識には少し疑問に思う。
8) 名前や年代などの記憶力は抜群。一種の天才だと思う。
9) 田母神氏は小中高生でも分かるような話が出来る人である。学校の先生にもなられてもよいような教育者の顔を見ました。
10) 田母神氏は明治維新時代の坂本竜馬というより高杉晋作のような人であると思う。最後の締めはちょっと納得がいかなかった。もっと厳粛に、「これから始まる」というような雰囲気でやってほしかた。お祭り騒ぎで、終ってほしくなかった。
11) 田母神氏の言われる論点は分かるが、その論点の出た根拠を示してほしかった。
12) (上の話を聞いていた人のコメント)当たり前のことを言っておられるのであるから、根拠云々と言うこと自身がおかしい。
13) アメリカにやってきて6年になり、大工をしているが、日本はサラ金地獄などで大変であるのが伝わってきます。また日本のよさも見えてくるようになりました。今日は田母神氏の講演を聴いて、凄く刺激を受けました。これから日本のことを深く勉強したいとおもいます。
<最後に田母神氏に直接質問を投げかけてみた。木庵>
「日本は強い親父を求めているんですよ。日本政府の妥協の結果生まれたのが、北朝鮮による拉致問題を筆頭とする、日本のだらしなさです。妥協するごとに基点が左へ左へと移動し、いまや保守そのものの砦は、完全に占領されてしまっています。このような時代にあって、日本人としての自信、誇りを取り戻すべきです。教育が未来を作ります。道徳を含めた、真の人間教育をおこなうべきです。本日の講演で皆さんの日本への思いが、私への共感となって整理され、今後この共感を下に、発展されることを切に望んでいます」
木庵の反応
<次に田母神氏の著書「自らの身は顧みず」の木庵の書評を載せる予定だが、ここで、田母神氏の講演に対する一般的な感想を書いて、「講演会、田母神俊雄、『わが思いの丈を語る』」シリーズを閉じることにする。
田母神氏のような、今後の日本を動かす能力のある人が、時間を裂いてロスにやってきて、その講演を聴けたことはラッキーであった。ただ聴くだけでなく、講演のレポートを書き、日本の読者からの反応に対応したりして、彼の置かれている位置が確認できた。普通の時代には、生活が安定している時代には、人間の心の力はそれほど大きくはない。安定した体制の中で社会が惰性で動いているので、個人個人の思いなどはそれほど重要な働きをしない。ところが時代の変換時期、つまり現在において、今までの惰性から来た弊害が各所に出て、詰まり現象を起こしている。その詰まりを取り除くには自己保存型の人間ではできない。詰まりを取り除くには強い意志力を必要とするからである。時代の変わり目に英雄が求められるのは、そのような理由からである。さて、この詰まりを取り除く役をする英雄の候補の一人に田母神氏の名前が挙がっている。彼は組織のトップに上り詰めるような常識を具えておりながら、トップのときから物議をかもし出す(?)言動をわりとしていた。そして更迭という願ってもない処分を受け、日本改革の旗手になる状況が整った。問題は彼をサポートする人間たちが彼をどこまで英雄にしたてるかである。変換の時代には、心とか精神が重要な働きを演じる。簡単に言えば、強い念力の所有者が英雄となるのである。念力というものは、邪悪であったり俗っぽいものの中から生まれない。純粋な憂国の情がないと生まれない。西郷隆盛が言っている、「金もいらぬ、地位も名誉も、命もいらぬ、そのような人間でなければ、国家社会を共に歩んでいけない」と。古めかしい言葉ではあるが、現在の田母神氏にぴったりの言葉で、保守の中で些細なことで内部分裂している人々にも聞かせたい言葉である。木庵>
写真:ウィトゲンシュタイン
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